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Channel: 崔吉城との対話
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台風24号「ワンアジア共同体」講師伊藤亜人氏来られず

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 台風で愛犬ミミの散歩が今朝、居間でウンチをしてしまった。高齢犬のそれを見て家内は拍手をしながら喜んだ。昨日まで排便状態が悪くて心配していたからである。今日10月1日は「ワンアジア共同体」講義の最初の時間、東大名誉教授の伊藤亜人氏によるものであるが台風24号の影響で来られず、とても残念である。急遽本学の鵜澤宏和教授と私が代講することとする。ご了承いただきたい。今度の講座のテーマは「アジアの文化・宗教・芸術」である。イントロとして崔が調査旅行したアジア諸国からみる言語、稲作、シャーマニズム、仏教、文化財などに触れる。それらの羅列ではなく、日本は日露戦争、日清戦争、日中戦争、太平洋戦争などアジアへ大きく災難を与えたことも指摘しなければならない。戦争や交流が交差したアジアの共同体への道のりを探ぐる努力をしたい。


アジアの多様性

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 アジア共同体の15回の講義の最初、代講となった。日本以外に韓国、中国、ベトナム、タイ、スリランカ、ネパールからの、特に留学生が多かった。鵜澤教授がアジアの多様性を指摘し、私が歩いたアジアについて現地調査の写真を見せながら話をした。稲作の粒食文化と麦の粉食文化、粘りけの食文化とその外の食文化などに分けられる。日本とアジアの関係は戦争と植民地が大きい。1895年日清戦争、1905年日露戦争、1931年満洲事変、1937年日中戦争、1941年太平洋戦争など。日本の旧植民地のサハリン、朝鮮、満洲、台湾、パラオそして多くの占領地、例えばベトナム、ミャンマー、シンガポール、インドネシアなどで私が撮った写真を以て、アジアについて語った。言葉の困難さから日本語についてアルタイ語族として日本語と朝鮮語、ツングース語の親縁関係であること。中国も漢字文化圏、特に日本語の漢字の難しさに触れた。難しさは表現の豊かさであることを指摘した。一つの単語も知らなかった私が日本語で本を書いてベストセラーになったという話で日本語学習意欲を高めた。

前田晋太郎下関市長と会って

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 昨日午後前田晋太郎下関市長とお会した。『朝鮮通信使登城行列図』(民俗苑、2018.8.30)をソウルから来られた洪鐘和社長から直接献本。磯永氏と私も同席した。前日の長周新聞に詳しくよくまとまった新刊案内報道があったがその続きに、毎日新聞と山口新聞から二人の記者が取材に来られ、この本が市民に紹介されることになった。出版を企画した者として嬉しい。前田市長には下関市立歴史博物館所蔵、下関の東亜大学の磯永氏と私が参与し、韓国語と日本語での出版の意義について説明した。研究室に戻り、私の新著の題など最終的な調整を瞬報社の大崎氏らと5人で討議した。仮代『植民地朝鮮:映像が語る』と決めた。

今朝の毎日新聞記事は上の写真です。

柳家東三楼氏の落語

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 昨日、東亜大学で柳家東三楼氏の落語を聞いた。意外に多くの人が集まった。100名近い人々が集まり、盛況であった。同席した金田教授から韓国には落語はないかと聞かれ「ない」と答えた。記録では「伝奇叟」の語り手が存在し、私が戦後パゴダ公園で聞いたストーリーテーラーのような似た存在も、今では完全になくなったことを残念と思っている。1990年私は中国東北地域で広く伝わっており舞台も確認し、朝鮮日報に寄稿したことがある。このような伝統口承芸術が日本には現代化されながら存続していることに羨ましく思っている。落語を直接聞いたのは留学時代新宿の末広亭で初めて聞いた時以来である。当時は口承文芸の現場を観察することしか意味がなかった。昨日聞いた古典落語「秋刀魚」については半分以下の理解であった。笑える人とそうではない人が分かれた。私はまだ日本化されていないと感じた。

『慰安婦の真実』という題で10月28日(日)シーモールしものせきで午後講演

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2018下関文化らく~ざで拙著『慰安婦の真実』という題で10月28日(日)シーモールしものせきで午後講演することになった。噂などにより「慰安婦」ということで嫌い、懸念、疎遠している市民に親日や反日を超えて直接著者として読者に語りたい。読者との出会いの時にしたい。2冊の拙著に署名もする時間になれば嬉しい。

2018 시모노세키 문화 강좌에서 졸저 「위안부의 진실」이라는 제목으로 10 월 28 일 (일)  씨몰 시모노세키에서 오후 강연하게 되었다. 소문 등에 의해 '위안부'라고하는 말을 싫어하고 우려 소원하고 있는 시민들에게, 친일과 반일을 넘어서, 직접 저자로서 독자에게 말하고 싶다. 독자와의 만남의 시간으로 하고 싶다. 2 권의 졸저에 서명도 할 시간이 되면 좋겠다.


「低い椅子」

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 私の研究室は他の教員とは違って、いつでも話し合えるように配置にしている。私を中心として平等な配置である。一つ気になっているのが私の椅子が何十年間も愛用している古いが高級な回転椅子であることである。他の椅子は公務用である。学長などの目上の来客でも公務用の椅子に座る。私は失礼にならないように気を使っているが、安倍首相を表敬訪問した韓国の外交部長官が、安倍首相より低い椅子に座ったことが「外交的欠礼」だということを聞いて気になった。首脳たちの訪問に主側が固定起立して客が歩いてくるのを待って挨拶をする方がより欠礼に見える。私は客をエレベータのところまで歓送することが多い。私の田舎では出迎える礼儀作法がある。先日市長を表敬訪問した時は先に行って、お待ちしてお会いしたがそれらを慣例として異議を感ずることは全くない。外交礼をみると全般的に日本の方と文大統領が低姿勢、礼儀正しくみえる。テレビで見る習近平氏の固定不動姿勢で迎える姿勢は欠礼に感ずる。「低いソファ」云々は「低い」幼稚なメディア節である。

  

「韓国食品の開発」

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 台風25号に直撃されそうな、風が強い中「楽しい韓国文化論」で朴仙容氏の「韓国食品の開発」は予定通りに行えた。韓国旅行の希望者が例年の2倍ほど多く、日韓親善は順調と言える。韓国は怒りやすく、日本は過剰反応をするようなことが常でありながらも密接になっていく。朴氏は初祖国訪問に涙、出版事業の失敗で涙、日本でキムチ、海苔などの商売、韓国の味を売ることを始めた。そしてキムチのタレの商売を定着させた話が注目された。ツルニンジン、餅、水刺身など日本人が気が付いていない韓国食材・食品を日本で開発する提案を実行してみた経験談も話された。二〇数名の全員から韓国食での感想が述べられる「楽しい」時間であった。帰路には台風の影響で関門トンネルが混雑、遠回りして帰宅、そして楽しい韓ドラで一日が終わった。

政教分離

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 今丁度私の半分の若者から「説教」された。また彼は政教分離という大きい問題に挑戦した。彼は2013年韓国でキリスト教団体が共に反政府デモをした時、ある人から「宗教は政治に関わってはいけない」という強い批判を受けたといいながら問題を提議した。イエスは世の中の「塩・光」になりなさいと言っているのに政治にだまっていることに矛盾を感じたという。
 多くの国は宗教によって被害を受けた。政府が植民地や戦争に宗教を利用した悲惨な歴史を持っている。したがってそのような国々では宗教を政治と厳しく分離し、特に唯物観では宗教はアヘンのように警戒している。日本はそのような国である。厳しく政教分離を守っている。政治家の神社参拝には厳しい世論がある。しかし韓国は仏教、キリスト教など宗教に平等な扱いをする。日韓の宗教政策は対照的である。韓国から来られた宣教牧師金成彦氏がそんな大きい問題を語った。ショックであった。


大衆文化交流

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 明日10月10日12時50分東亜大学でワンアジア共同体の講義のお知らせをする。韓国慶南大学校の張竜傑教授が日韓の大衆文化の交流について語る。無料で市民参加を呼び掛ける。1998年10月以後,韓国は公式に日本の大衆文化を開放した。その後大衆文化交流がどの程度影響をしているか。研究調査によると両国が肯定的な反応をしているという。韓日共に「日本が優れている」という。韓国の学生は日本の大衆文化に関心を持ち,日本の学生は韓国の大衆文化に優越感を持っている。日本の大衆文化の氾濫による韓国の固有文化の退廃化を憂慮するが、あまり深刻な問題ではない。アニメ-ションやゲ-ムは俳優,漫画等が好きなのは日本といっても 韓国人が日本という国に対してして持っている民族的な感情には関係ない。以上のような高校生、若者の話であるが、高齢者たちはどう考えるか、鵜澤教授の司会で活発に議論して欲しい。 

私の研究は3K

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 「私の戸籍」という固定コラムの原稿を送った。複雑な私の履歴に編集者は「いろいろ考えさせられた」という辛いコメント。新著『植民地朝鮮:映像が語る』の最終校正を終えた。20年ほど前、執筆して出版社から断わられても修正を繰り返し、韓国語で出版、そして日本語版を出すことになった。私の研究は常に世間と葛藤するテーマが多い。シャーマニズム研究では国粋主義者と並べれることが嫌だった。戦争と性はフェミニスト、現案の慰安婦研究はセンシティブな日韓関係が気になる。私の研究は3K「汚い、危険、きつい」作業であると思う時がある。気楽な学者から「やらない、なにもしないのが上策だからだ」という囁きが聞こえる。昨日遅く科研申請案内の話を聞くと、また研究と国家政策との関係が気になる。

韓国民俗苑の洪会長別世

「快速の国」

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 韓国は2,30年間で文化意識がどれ程度変わったのか。慶南大学校の張竜傑教授が日本の大衆文化の受容について講義した。韓国の大衆文化開放が注目される。「低級な倭色」の日本の大衆文化、それは日本の固有文化云々の歌舞伎や浪曲のような古典文化ではなかった。大衆文化の開放により日韓の交流も変わった。1998年映画と映画ビデオ、2000年映画全面、アニメ、ビデオ、音楽、ゲームそして2004年全面開放した。その変化、韓国の若者の「反日」も変わった。日本は恨むような対象ではない。「ただの国」、世界の多くの国の一つに過ぎない「普通の国」である。日本の製品があふれている。
 金大中大統領の開放政策、大衆文化の重要性を認識、韓流ブーム、現在の文化の商品化政策、観客が1000万人を超える映画が現在18編、国策のグロバール化、文化と政治を切り離して考えていく。蝋燭デモで統領を刑務所に入れながら政権を変える国の韓国、アジアの多様性を越えて世界に向かっていく。アジアのモデルになりうる。私は朴正熙大統領のセマウル運動の「成功物語り」を聞くような感じであった。人口4千万の国のサンプル、まるでシンガポールの話のようにも感じる。「快速の国」、そのものである。日本はどうであろう。政策はあっても政治主導が難しく、急変にも対応ができない。高齢化社会であり、遅れる国にすぎないと思われる。しかし高齢化と社会福祉などの先進国である。大学の役割、教育が先導している。

 

エキストラ

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 いわば名門大学といわれる大学のキャンパスを観光化することをハーバード大学の講義を主題に映画化した「ペーパチェイス」を「観光人類学」の講義で扱ってみた。なぜ名門大学か、どの大学が「名門か」と学生たちに対話式で進めた。映画の最後に勉強を熱心にしてきたミスターハートが自分の努力で得られた優秀な成績表を紙飛行機ペーパーチェイスにして、海に飛ばした場面で質問を投げかけた。勉強からの解放、ハーバード大学の授業方法からの解放だとやや否定的な見方も紹介したが、中国の女子留学生の雷さんが「よい成績によってより高い段階への希望」ではないかと言った。「素晴らしい。あなたが名門大生だ!」と褒めた。この映画はハーバード大学をモデルにした、映画という「芸術作品」である。私は史劇ファンの歴史知識に危険性を常に感じている。昨年下関で撮影した『ホストリー』(허스토리)を観た。関釜裁判の実話を描いている映画である。関釜裁判は1992年から6年間下関と釜山を行き来しながら日本政府を相手に法的闘争の実話に基づいた映画である。その感想は後に書くことにし、これは慰安婦問題として視るものではないと思う。実話に基づいている「映画」という芸術作品であることを知らなければならない。正義と闘う女性たちの生き方を描いている。私はその映画にエキストラで一カット出ている。このように私の人生もたくさんあるストーリーの一カットにすぎないのである。

白川豊先生が語る

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 今日2時東亜大学で韓国文学について白川豊先生が語る。先生は東大を卒業、韓国の東国大学に留学した方で現在、九州産業大学の教授であり、廉想涉の『三代』を翻訳した方である。私は中高時代に教科書で廉想涉の「標本室の青蛙」を勉強し、それが蛙の体温を描写したことがバッシングされたことを覚えている。私の若い時代では文学が超人気であったが今は映画、漫画などに代わった。
 慰安婦問題を扱った韓国の映画「Her story」を家内と鑑賞した。1990年代、韓国の元慰安婦らが日本政府を相手に起こした訴訟で、一部勝訴判決を受けた「事実を映画化」したものである。現在のような豊かな時代から30年ほど以前の韓国、地方、貧困層、険しい方言などが非常に嫌な不具合、抵抗を感じながらも、時代や生活がよく描かれているので最後まで無事に鑑賞した。裁判の中で裁判長は元慰安婦たちに「静かに!」と、数回言っても騒ぎが続き裁判、日本政府を相手にした訴訟に勝利した。日韓両国の市民から非難されている。その多くが文学と実録を区別していないようである。韓国では旭日旗掲揚に抵抗があったが、日本では李舜臣旗に抵抗を表したという。旗などは国家の象徴、信号、マークに過ぎない。国旗はもう聖戦の時のような神聖なものではない。そのような報道を聞いて私はただ幼稚な不和に過ぎないと感じている。

李光洙の親日

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 私が中学生時代に多く読んだ小説は李光洙らの啓蒙的なものであった。そして大学では韓国文学の研究を志望した。その作家たちが親日だったと排撃された。その韓国の事情が昨日白川豊教授によって語られた。市民には生疎な韓国文学の話であったが、夏目漱石のような韓国の文学者に耳を傾けていた。「李光洙全集」が出来ていない。親日的な文はどうするか。李光洙の日本留学、独立運動、戦後親日派への罰とバッシング、北朝鮮に拉致される悲劇的な人生が語られた。
 親日派といわれ、韓国の研究者から無視されてきた張赫宙を白川教授が初めて研究したのを知っている私から質問した。芥川賞作家として評価されながら全く研究されなかったという。親日・反日のレベルでは、正しい研究は始まらない。私は林鍾国氏の「親日文学論」から「親日」とは何だろうと探ってみたことがある。私が尊敬しながら学んだ李光洙、崔南善などが親日派とバッシングされる悲惨なことをみて来てきた私が「新親日派」と言われた時は唖然、今は呆れている。疲れていたが、夜8時から赤間神宮の階段野外舞台でミュージカルを観覧した。 

 


女性と同室

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 昨日ある韓国人が下関から釜山に帰国しようとしたが満席で、唯一女性と同室という条件で購入したという。釈迦の佛話か、寓話のように聞こえた。珍しい話である。彼にどういう女性と同室かと聞いた。なかなか性別がつき難い女性か、美女かの問いに、ニコニコした。女性は保身技を持っているのかなど冗談が続いた。一般的に男性は乱暴なイメージが強い。「女性」は「女の性」、男性にとって「性」は欲しい宝物か、危険物か。そんなことを超えて、平凡に考える生活であって欲しい。今盛んにいわれるセクハラは男性への逆差別になるのではないかと考える。最近良い光を期待してLEDシーリングライトを購入した。急に作動しない。「美品」という期待からはずれ、不良品であろうと思った。メーカーは?製造国は?などを調べる。日本の有名H社である。失望した。

東洋経済日報に寄稿文

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 東洋経済日報 固定コラム 連載 2018.10.12 「私の戸籍について」

崔吉城  留学時代に民団で事務をした時の思い出がある。在日の戸籍を多く見たが明確ではないことを知った。私は巫人たちの婚姻関係などを調査した時も多くの誤記を見つけたことがあり、在日の戸籍に別に異様な感じはなかった。ただ朝鮮戦争の記憶で自分の記憶と関連して私自身の正確な年を知るために戸籍を探してみて、新しく考え直した。それに関しては新著『米軍慰安婦の真実』(ハート出版、二〇一八)に詳しく書いた。 私は戦前に生まれた。生年月日は確かではない。私は何歳か、自問してみる。私の名前と誕生日が正確ではない。旧戸籍には名前が「乙成」、五男となって国民学校では乙成で呼ばれた覚えがある。学校では戸籍によって登録されたので乙成で四年生まで通用した。名前や誕生日は誤記されたまま通用したのである。 その戸籍は戦災で焼失した。戸籍に私の父は一八九九年、母は檀紀四弐弐九(一八九八年)生まれ、父は母より一歳下、一〇歳で結婚した。父は三人兄弟の次男で兄弟が子供たちを残して死亡したので父は兄の三人の男の子と弟の子供男女二人を養育し、戸籍上、従兄が養子となっていて、その理由は記されず実子になっている。生存者の姉は死亡届け、他の亡くなった姉の婚姻届けが記され、母の死亡届は届いていない。 私の母は名前がない。名前を呼ばれることはなかった。その世代では珍しくはない。日常生活では名前がなくても不便ではなかった。死後に位牌を書く時に初めて死亡届けを出すために戸籍謄本を見た。「黄氏」とだけ書いてあった。普通は本貫というものがあるはずなのにそれもない。母親は四〇才を越え、私を生んだ。一一人の末息子として生まれたのに戸籍上では五男になっていた。檀紀四二七一年(一九三八年)八月一〇日(旧暦)に生まれたと記されている。  戦争中ソウルに転学する時、家で呼ばれた自己申告で「吉成」として届けた。中学校へ進学も出来た。中学校二、三年の時だと思うが、面事務所から本籍の戸籍が戦争で焼けてしまったので新しく作るので申告せよという公文が来た。私は良い機会だと思って一新して名前を作ることを決心した。乙成は実名ではなかったし、吉成を生かして「成」を「城」の字にした。なかなかしゃれた名前だと思って、一人で決めて届けた。しかしその後、門中と親族から「成」の字は親族の「行列」であり、「城」は親族関係世代を表すものではないと言われた。さらに母親が占い師に名前を占って見てもらったら死ぬ悪運だと言い、変えるように強く言われた。しかし私は固守した。母には人は皆死ぬ運であるか ら大丈夫であると説得した。  戸籍上からみて私は名前と生年月日が不正確である。私の時代ではそれほど異様なことではない。私が調査した村では高齢者の女性が大統領から記念品を貰っていた。私がインタビューして彼女はある人の後妻であるが、戸籍上本妻の名前で生きていることを知った。世界的に見ると驚くことでもない。

戦争トラウマ

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 私の拘りの戦争というテーマ、そのテーマの読書三昧から考えている。私は戦争は怖く,そして楽しかった部分があったと拙著で語ったことは大丈夫だろうか。戦後の長い時間が経った今読んでいる、火野葦平も時々戦争中にも美しい景色を描写、楽しさも綴っている。彼は「戦場に於いて、私たちは死ぬことを惜しいとは考えないのである。これは不思議な感想である」(社会評論社、2013:205)。戦争や軍隊を経験したもの、特に軍人として戦争した人ではないとその感情を理解し難い文、それが散りばめられている。戦後の平和な時代の平和主義者たちは彼を「戦犯作家」と指弾した。

 昨夜「狂気の戦場 ペリリュー」を鑑賞した。米軍の17人の従軍カメラマン(写真)が撮影したドキュメントフィルムである。それを日本軍の従軍作家として参加した火野と関連させながら注意してみた。戦争の残悪さ、その記録を残してくれたことには感謝する。今盛んに言われているセクハラとはあまりにも遠過ぎである。私はあらゆる戦争に恐れ、悪感情に戦争トラウマになっている。安易な平和主義者にはなれない。平和は平和から始まる。

留学生が増えている

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 アジアからの留学生が増えている。日本・福田政権の目標30万を超えている。留学とは一時勉学して本国に戻って寄与するというのが本質であったが、今は来る人も受ける側も卒業後の労働力として考える傾向に変わっている。つまり留学を出稼ぎ移民のように思う傾向が強い。私も日本に留学生が倍増していることを強く感じている。担当の「ワンアジア共同体」講義で80人の受講生の中、日本人は8人になっている。
 その背景には日本の少子高齢化や国際化などがあるが、留学生だった私は今、日本で留学生を受け入れる立場になっている。昨日私をニューカマーのサンプルとしてインタビューにこられた。それは成功例ではなく、ただ多くのニューカマーの中のサンプルに過ぎない。悪名高い日本の植民(移民)は海外居住の日本人は一人も残さず帰還させたが、韓国人・台湾人は多く残って「在日」になっている。ある人は言う。韓国や中国の方が日本より単一民族的であると。イタリアのバレーボールチーム、日本のテニスの大阪ナオミの存在を考えさせられる。昨日朴仙容、田中滋幸氏が研究所を訪ねて来た。私は図書館で展示中の「赤江獏展」に案内した。昼食、海苔巻きおにぎり2個ではこなすのにハードなスケジュールだった。

留学から日本人化

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  韓国から来られた高校生10校から高校生42名を迎えての研修「日本文化体験研修」で私が自分の留学の話「留学から寄留へ」の内容を話した。留学から日本人化してきた話が学生たちに受けたようである。今、日本政府は遅ればせながら出入国管理法を改正するという。『文芸春秋』には「亡国の移民政策」という特集が載っている。留学生も遊学ではなく、労働者扱い、つまり移民化のような政策である。まるで、私の歩んだ留学から今日までがモデルになったかのように書かれている。少子高齢化に「子供を産め」から「移民」への意識変化が伺われる。*写真鵜澤撮

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