下関出身の安倍氏が総理に三選された。選挙を戦い、戦争に比して語り、麻生氏が石破氏に「善戦したね」と言ったようである。それに石破氏から「どこが善戦か」と反問された。麻生氏の「善戦」とは敗者を慰める「頑張りましたね」である。聖戦の歴史の長い日本で今度の選挙は戦いとはいえない。もし選挙が戦い、戦争に比するなら敵がいるはずである。よい戦争(?)は将棋のように「卒」も戦い、勝利と敗北が宣言されるものである。卒なしの王様、将軍同士の戦争はなりたたない。日露戦争や日中戦争に参戦した軍人の日記を読むと敵意識がない。軍人はただ命令に従うだけである。今、私が精読する火野の戦争従軍記でも中国で苦戦、悪戦をするがなぜ戦うか全く知らない。日本で人気のある将棋から「善戦」の意味を知って欲しい。自民党内の内部調整、政治ショー、そして長期執権の布石に過ぎない。敵(野党)のない選挙の本当の善戦はない。国民を巻き込んでいない選挙は政治的なショーに過ぎない。
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