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Channel: 崔吉城との対話
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判決と判断

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 私は直接政治的なことには深く触れないが、昨日の韓国最高裁の確定「判決」には一つ言わなければならない。苛酷な労働を強いられた人がその賃金を要求してもらうことは正当なこと、狭義の法条文的には正しい判決かもしれない。しかし法の判決は条文だけを持って行うのか、疑問がある。当該法や法条文をめぐる関連法、政治、社会、文化などの脈絡から考慮して判断されるべきであろう。大法院判事になった私の同級生に大法院で会って話したことを覚えている。彼らは大学生時代に芸術、文化などの教養科目などは一切受けずひたすら勉強、専ら法律や法学だけの条文暗記に熱中していた。いわばエリートコースで判事、検事、弁護士になる。まるで李朝時代の科挙試験のような試験のような過程を通った。今は大部変わったかもしれないが、昨日の判決をみてそのような感が払拭できない。法的に「判決」は正しいかもしれないが正しい「判断」とは思えない。時代、社会、歴史認識からの判断とは思えないからである。
 戦前朝鮮半島で植民地と意識せず、失敗を繰り返しながらも金を儲けた日本人が多い。私が知っている人は蔚山の一級土地のバス停留場の土地が自分の所有財産であると土地文書を持って裁判を起こそうとして私に相談に来たことがある。韓国では戦前の日本人の家に住んでいる巨文島の人に賃貸料を要求した日本人からの手紙を訳してあげたこともある。戦前缶詰工場をした人、馬山で醤油工場を経営していた日本人、韓国の土地文書には多くの日本人の所有が明記されている。その財産は連合軍の「敵産」をGHQが払い下げたものである。
 「侵略と戦争」という状況を考慮せず韓国人の元徴用工らが損害賠償を受けるということが正しい判決は戦前の日本人にも適用することではないか。1965年の日韓請求権協定以前に遡るというのなら正しい「司法の判決」とはいえない。非常に危機な判断といわざるをえない。むしろ韓国にとって不利な判決かも知れない。

 


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