いつの間にか12月、一年を回想する時である。韓国のこと気になる。韓国のメディアと学生・大学からバッシングされた私には「恨」があるのか自省する。東大の眞鍋祐子教授が「メディアとは何か」(映画「共犯者たち」)という短文で「恨プリ」恨みを払らすを読んだ。外枠から韓国を眺めると批判的になりがちである。それが嫌に映るようである。今は故人となった友人の禹君に私が失礼、失敗したことがあった。しかし彼は私に何にも言わなかった。失敗とお詫びはなくてもプリになった。私が日本に来る時、韓国に残した全財産を彼に任した。それは同窓会で美談となった。私はその自分の美談に感謝している。
韓国の海外同胞は故国が懐かしく、同情すると思うかもしれないが、何かの理由で祖国、母国を離れた人たちは基本的には祖国に対して批判的である。いまも韓国は混乱が続く。それは一時期のことではなく、韓国社会の常態そのものである。キリスト教の信、望、愛はただの念願であって実現できない。
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「恨プリ」
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