ある知韓派の教授に、「韓国のドラマ が面白く次回まで1週間待つのが長すぎ る」と言ったら教授日く、韓国はドラマ より実情がより面白いと応じられ戸惑 い、笑った。『冬のソナタ』により、韓日関係が最高だった時を思い出す。今では最悪になっているのも中に含 れているのだろろか。「3・1節」を思 い出す。1919年3月1日、日本植民地に反対して抗日独立運動を起こした日 の記念日である。それは今の「反日」と 似てはいるがそのものではない。
反日は日本を直接相手にせず国内的ナ ショナリズムを強化するためのものであ るが、「抗日」は直接日本を相手にした独立運動である。私は小中高を通して独立宣言書を暗記していたが、実感は出来なかった。それよりは戦後の韓国戦争を通して苦痛な体験の実感が強い。
3 ・1節と関連した実感を持ったことに触れておきたい。「すばらしい世界旅 行」の番組撮影を契機に知つた故牛山純一監督を思い出す。06年2月、私が下関の東亜大学に赴任して間もない時に日本映像民俗学の会を主催したことがあ る。その時に牛山氏のドキュメンタリー 映画『あの涙を忘れない!日本が朝鮮を支配した36年間』(テレビ朝日、198 9年)を観た。それは。韓国.水原の堤岩里教会の虐殺事件を扱ったものだった。
牛山氏が韓国のその教会を訪ねて、直接証言者にインタビューをした。191 9年に韓国基督教会のクリスチャンを日本人が集団虐殺した事件があった。牛山 氏はインタビューの中で「夜中に警官の佐坂が日本人5人ほど連れて入って」という証言で、日本の警察官の名前「佐坂」が挙げられたのに注目し、日本全国にその警官の佐坂といろ苗字を探し、下関市菊川で見つけた。
彼は早速、下関の菊川の警官・佐坂氏宅を訪ねて、その子孫に会って韓国の被害者たちの話を伝えた。結局その子孫からの謝罪の言葉と、その様子を映像で撮って、韓国の被害者の子孫へ見せた。日本人が犯した事件、その子孫が謝る映像を見せた。それを通して、韓日の加害者と被害者が和解できたのである。和解へ至る役割を牛山氏が担った。私はそれを見て感動した。そして2度、佐坂氏のお宅を訪ねて、子孫にお会いし警官本人の飾られている写真をみた。しかし写真を 撮ることは控えた。
今、韓日関係の最悪の時こそ参考にな る映像であると感じる。今年その記念日 に相応しい記念行事があり、その映像を鑑賞するという案内を見つけた。嬉しい。今年、東京都荒川区で開催予定の 「3 •1記念展示会&シンポジウム」で、このドキュメンタリーを上映するといろ。私も市民に見せたいと思っている。困難の時は発言せず、時宜を待つ。 よい金言がある。「聞かず3年、言わず 3年、見ず3年」という。しかし、高齢者なり、時間の少ない私発言する。 執筆する。言ろべきことは言う。