昨日の読書会では書評を頼まれて読んだばかりの永井彰子氏著『聖人・托鉢修道士・吟遊詩人』を以て話を始めた。以前永井氏の博士論文を審査したこともあるが、それより知的思考の深みと広さに驚き、面白く読んだ。冒頭「盲目の乞食が犬にひかれて歩む絵」から始まる。盲目とか乞食とかは社会的厄介な存在のように思われがちな社会があった。最近は西洋の福祉国家を目指して保護政策を受け入れてはいるがその趣旨の本質を理解する人は少ないだろう。しかし伝統社会においても盲目の人に慈善の行為が行われた国家もある。私は本欄でも触れたように社会主義国家においてその政策があったのではないかと書いたことがある。
日本では琵琶法師が尊敬されている。私が住んでいる下関の赤間神宮には平家物語り「耳なし芳一」を語る琵琶法師などがいる。私はそれとは違って天台宗に属している盲僧の永田法順氏の読経を有楽町朝日ホールで平成18年に聞いたことを思い出す。その似ているで知り得たことは幸いであった。つまり琵琶法師とキリシタン宣教師との関わりであった。山口に来た琵琶法師ダミアンのことである。ザビエルたちはこの琵琶法師が伝道活動にとって重要な役割を担っていくことを見抜いた。その直感は的中し洗礼を受け、「ロレンソ」という名を得て、伝道所に留まり修道士と一緒に生活を共にして、彼らを助けた。仏教の施しや慈善、キリスト教の救済精神は繋がっている。日本と西洋は共通しており、その淵源は小アジアの楽器barbatなどに遡るが、そこで永井氏の著書は終わっている。これからその続きは大きく期待されている。
日本では琵琶法師が尊敬されている。私が住んでいる下関の赤間神宮には平家物語り「耳なし芳一」を語る琵琶法師などがいる。私はそれとは違って天台宗に属している盲僧の永田法順氏の読経を有楽町朝日ホールで平成18年に聞いたことを思い出す。その似ているで知り得たことは幸いであった。つまり琵琶法師とキリシタン宣教師との関わりであった。山口に来た琵琶法師ダミアンのことである。ザビエルたちはこの琵琶法師が伝道活動にとって重要な役割を担っていくことを見抜いた。その直感は的中し洗礼を受け、「ロレンソ」という名を得て、伝道所に留まり修道士と一緒に生活を共にして、彼らを助けた。仏教の施しや慈善、キリスト教の救済精神は繋がっている。日本と西洋は共通しており、その淵源は小アジアの楽器barbatなどに遡るが、そこで永井氏の著書は終わっている。これからその続きは大きく期待されている。