日本映像民俗学の会で発表のために映画「北進日本」(1934)を鑑賞している。家内と一緒にナレーションを採録する。大変な作業でありながら楽しい。ナレーションは映像を説明するか解説するものであるが、実は映像とはかけ離れている。それがプロパガンダ映画の特徴である。カメラマンが撮る、撮った意思とは関係なく、製作者(国家)はナレーションで説明するがある。例えばカメラマンは漁師が魚を捕る場面をリアルに美しく撮っているが、その場面をもってナレーションは「我が帝国は北洋まで漁業権」「日露大戦の結果、ポーツマス条約により我が国は極東両遼沿岸延々9000マイルに渡る地域の漁業権を獲得しました」云々と声高く長く語る。1930年代の日本は一番幸せな(?)時期であったように受け取れる。日清、日露、満洲事変などで強大な帝国になり、強権的に語っている。怖さ知らずの日本帝国が表れている。
小船から5千トン級の親船に乗る時の無秩序さは現在の日本人とは違っている。当時の日本人はまだ危機の時でも並ぶような秩序があったとは言えない。名作映画「タイタニック」、セウォル号事故、大震災など危機では秩序が壊れ、無秩序になる。その無秩序の状況を見て笑ってはいけない。その危機の源とは「死」である。死を前にした時でも秩序を守れるか、考えながら映画をみる。今となっては登場人物全員が死んでしまった映像を真剣に鑑賞する意味がここにある。
小船から5千トン級の親船に乗る時の無秩序さは現在の日本人とは違っている。当時の日本人はまだ危機の時でも並ぶような秩序があったとは言えない。名作映画「タイタニック」、セウォル号事故、大震災など危機では秩序が壊れ、無秩序になる。その無秩序の状況を見て笑ってはいけない。その危機の源とは「死」である。死を前にした時でも秩序を守れるか、考えながら映画をみる。今となっては登場人物全員が死んでしまった映像を真剣に鑑賞する意味がここにある。