昨日(2015年9月26日)マニラに着いた。福岡から台北まで2時間、2時間待機、マニラまで2時間、1時間遅れの7時間後に前回案内してくれたキム氏と4年ぶり再会した。韓国から崔さんの電話も受けた。マニラ空港の混雑を予想したが、空港は以前よりとてもきれいになっていて入管審査も早く挨拶をするなど大きく発展した。フィリピンも発展したように感じた。キム氏ははフィリピンで20余年間仕事をしており、今は食堂など8個の店舗を持つ社長となっている。しかし町の風景は相変らず貧困を免れなれないように見える。彼にフィリピンの発展の展望を尋ねるとすぐに発展の兆しはほとんど見られないという。経済自体よりも政治家たちの親戚などの不正などが民主化の道を遮って、効果的な政治は出来ていないためだという。アキノ氏の民主化は生かされていない。私は冗談っぽくアメリカの植民地としてそのまま残っていた方が良かったのではないかと言葉を投げた。この半分冗談に彼は真剣に大賛成で本当にそう思っている人も多いようである。政治家の民族所属が問題でなく、とにかく良い政治をする能力が注視されるということである。
本日からスペイン植民地によって処刑された非命の犠牲者リサールに関する追跡調査となる。昨日、到着して夕方に夜道を散歩を兼ねてホテルの外に出て見ると目の前に古物のような車の紐帯と貧困が敷かれている。もの乞いをする子供、大人、貧困が目の前に展開されている。ホテルに入る時のボディチェックは以前のように厳しくない。ホテルは別世界である。エレベーターで会った身長の高い白い服装の人はドバイから来たと言うので金持ちの国から来られましたねと冗談を言ったら彼は笑顔で世界で一番金持ちの国ではないかと応えた。6階の大型ホールで大型スクリーン、5~60個のラウンドテーブルを囲んでの豪華な結婚披露宴の準備を行っている。私は了解のうえ数枚シャッターを押した。ホテルの内外の途方もない対照は何を意味するのか。それはどの社会でもありうる現象とは違う。天と地の貧富の格差をどう見るべきか。リサールやアキノの犠牲の歴史は何だったであろうか。
本日からスペイン植民地によって処刑された非命の犠牲者リサールに関する追跡調査となる。昨日、到着して夕方に夜道を散歩を兼ねてホテルの外に出て見ると目の前に古物のような車の紐帯と貧困が敷かれている。もの乞いをする子供、大人、貧困が目の前に展開されている。ホテルに入る時のボディチェックは以前のように厳しくない。ホテルは別世界である。エレベーターで会った身長の高い白い服装の人はドバイから来たと言うので金持ちの国から来られましたねと冗談を言ったら彼は笑顔で世界で一番金持ちの国ではないかと応えた。6階の大型ホールで大型スクリーン、5~60個のラウンドテーブルを囲んでの豪華な結婚披露宴の準備を行っている。私は了解のうえ数枚シャッターを押した。ホテルの内外の途方もない対照は何を意味するのか。それはどの社会でもありうる現象とは違う。天と地の貧富の格差をどう見るべきか。リサールやアキノの犠牲の歴史は何だったであろうか。