私にはできないことが多い。歌えないのがその一つである。讃美歌を歌う時は主に楽譜と音を合わせるのが主である。歌うより楽譜を読み、声を聞くことだけである。それなのに結構テレビなどの歌番組を楽しんでいる。発声法などに注意しながら聞くことがあっても一度も自ら声を美しく出そうとは思わないし、することもない。発声には無関心である。歌うのにも無関心。私が歌えないのはそれなりの失敗経験があるからである。発声を練習したのは小学生の時だけ、後は入試教育ばかりであった。楽譜を目で読んでも音とは一致しない。自身がない。それが歌えない理由である。
音楽といっても「声」が一番感動させると思っている。ピアノ曲も好きではあるが「指」の技と思いがちである。私の唯一なる音楽的な趣味は笛である。息を調節しながら音程、バイブレーションなどを楽しむ。しかし半世紀やってもプロになれない、いつまでもアマチュア、しかも初歩である。宮城学院女子大学の大内典教授の著書『仏教の声の技』を手にして1週間、「声の技は、極めて興味深い研究対象となる。声は、人間の生理及び感覚に最も深く結びついた表現媒体であり、精神的にも感覚的にも巧みに作用してわれわれの心を動かす力を持つ」というところに惹かれている。声の技が東アジアの身体論とも言っておられる。歌やドラマなどが東アジアを結ぶ重要なチャンネルであり、アジア共同体の講座でも「声」を考えるべきかも知れない。
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大内典『仏教の声の技』
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