映画そのものであるという。まだ映画は終わっていない。イントロ、挿話、ストーリー、クライマックス、結末がある。生の「声の文化」日常会話などが作品化されると芸術になる。クアラルンプールで起きている北朝鮮の金正男氏の被殺事件は映画かドラマのようである。作家や脚本は存在すると思われる。ニュースで流れる進行時状況はまさに映画を見るようである。舞台と人物構成のプロットが面白く、クアラルンプール国際空港を巡る情報発信はさまざまである。韓国中央日報は美女に誘われ目を閉じて殺されたという挿話もニュースとして流した。警察当局はいっぺんに捜査結果を出さず少しつつ漏らすようにニュースとして世界に流す。ゆっくり出した方が連続ドラマのような力となる。映画の結末は犯人像とは異なり意外な人物であるのが常、それがより劇的であり面白い。皆が北朝鮮による暗殺というが案外韓国、アメリカかもしれない。映画か、実話か、朦朧とする事件である。
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映画か、実話か
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