下関歴史博物館で「シーボルトと下関展」を観覧した。町田館長や古城副館長らも丁寧に迎えてくれた。1800年代にオランダの医師として来られ、日本の医学に貢献したことが解る。彼は長崎丸山遊郭の遊女のお滝を現地妻とした。遊女、売春婦、慰安婦など、人権問題になっていることを考える。韓国の米軍の慰安婦が米兵と結婚してアメリカへ、貞操を失った「汚された女」が日本へと流れてきた。それは今流行りの国際化であった。朝鮮通信使行列が行われる市内を車で走ったが市民の関心はゼロ、韓国側の一方的な行事に過ぎない。下関市民の関心はあまりない。下関は高温注意報の中、日陰で眺めていると演壇には正装して挨拶をする人達がいた。中に二人の知り合い、一人は韓国側代表の釜山市文化財団の委員長の柳鐘穆氏、もう一人は釜慶大学校の元総長の姜南周氏、嬉しい再会だった。