我が家の幸福の木の花が昨夜開花し、香りが充満した。家内の親友が来られ、花見と歆饗をした。「歆饗흠향」とは儒教祭祀の用語であり、一般的に通用しない言葉である。祖先が供物の香りを楽しむ会うといわれている。祖先(死者)は供物を食べたり味わうことはできないが香りだけは感ずるという。つまり死者と生者とのコミュニケーションは香りで可能であるということになる。道教、儒教、カソリックなど多くの宗教儀礼で焼香、焼き紙の煙、酒などが使われている。それについては拙著『韓国の祖先崇拝』に詳しく論じた。
匂いや香りをよく感ずるのは犬であることは周知である。犬だけではない。人間には香水文化がある。高級百貨店のイメージメーキングのメインホールには香水が展示されているのが常である。しかし以前訪ねた社会主義国家の百貨店ではそこにジャガイモなどがおかれていた。香水とジャガイモの格差は何であろう。生計指数、民度の差、経済の差、教養の差、文化の差であろう。
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香水とジャガイモの格差
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