最近友人知人からいただいた本の読後感想文を書く暇もなく、目薬を付けながら韓国で出版予定の著作集書きに夢中になっている。そんな中、友人の李恢成氏から『地上生活者』「第5部」が届いた。2011年以来4年ぶりの分厚い大作である。その4年間彼の文はどう変わっているのかと読み始めている。4年間どのように成熟しているのだろうか。「ぼく愚哲」という自伝小説であるが、「ぼく」と「愚哲」という主人公は作家李氏の分身であり、全く同人物とは言えない。本物の「彼自身」が語りたい「物」は何だろう。それについて、
「愚哲」と「ぼく」という同一人物を対称化させて物を見ようとする批評性がある(8ページ)
という。その「物」は朝鮮半島、南北コリアの民主主義としており、「批評性」は「人間とは何か」という。世間が空論で熱戦し、事実を歪曲するが、彼は「物」を以て真実に迫っている。人それぞれ事実を正直に語ろうとしてもそれには限界がある。作家はその壁を壊し、真実に迫るのである。私は文学少年時代以来それに魅力を感じているが、いまだに実行していない。私は李氏がやっておられないエッセイを書き、講義・講演などで時間を過ごしている。私は最小限に自分の体験や事実に基づいて『韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたのか』を上梓した。小説のように読んでくれる読者もいる。感謝である。
「愚哲」と「ぼく」という同一人物を対称化させて物を見ようとする批評性がある(8ページ)
という。その「物」は朝鮮半島、南北コリアの民主主義としており、「批評性」は「人間とは何か」という。世間が空論で熱戦し、事実を歪曲するが、彼は「物」を以て真実に迫っている。人それぞれ事実を正直に語ろうとしてもそれには限界がある。作家はその壁を壊し、真実に迫るのである。私は文学少年時代以来それに魅力を感じているが、いまだに実行していない。私は李氏がやっておられないエッセイを書き、講義・講演などで時間を過ごしている。私は最小限に自分の体験や事実に基づいて『韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたのか』を上梓した。小説のように読んでくれる読者もいる。感謝である。