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Channel: 崔吉城との対話
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悲しい我が故郷

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 ただの話、物語り、対話、フリートーキングが長かった。姉と朝鮮戦争を語り合った。戦争の悲惨さ、生き残っただけ幸運であったと。当時のことは悲惨すぎ、恥ずかし過ぎの話のもあった。ただ戦争であって、生き残るため必死であった。売春婦なども倫理ではなく生きるためだった。生き残った慰安婦がそれを訴えるのは異様だと姉も言う。私は現在の村の状況には無知であり、その後の変化を伺った。世代が変わり親族関係は完全に壊れた。門中の共有山を管理すべき門中の代表の「宗孫」が私有化していたので争ったことがあった。彼は我が両親の墓、親族の墓を強制移転させようとしたことが禍になって苦しい生活をしていると聞いた。墓を動かし、「祟る」という「迷信」が「正信」となった。しかし今村人は土地を売り、貸すことにより成金で豊かになった。我が田んぼを買った隣家はそれを未だに稲作を続けているという。すこと何だか悲しい我が故郷である。

下記は数日前の東洋経済日報への連載のエッセーである。

                      食文化の日韓比較

崔吉城   ある日本人の同僚に「日本には料理がない」と冗談を言って怒られたことがある。料理とはクックcookつまり熱を通すこと、生で食べるのは料理ではないと皮肉に言った。生で食べる日本食に抵抗がある外人は多い。しかし彼曰く、日本料理は野菜や魚介類を生で食べるのが一番の贅沢、栄養の上味、それより美しいという美覚があると主張する。 私だけではなく多くの留学生たちは日本食におおよそ二つ抵抗があるという。一つは生食、もう一つは粘り気である。刺身や生卵など野菜はもとより魚まで生で食べる。生玉子を麺類にかけて食べる月見うどん、卵かけご飯には驚く欧米人が多い。世界的には卵を生で食べる人は少ない。味はどうか、衛生的なのかなど「生」には不信感がある。水道水さえ飲めない国が多くある。ベトナムでは生食習慣はない。生モノを食べたらお腹を壊すという。 ある中国人の女子留学生は日本人は味を知らないのか、さもなければ嘘をついていると発言したことがある。日本人は料理を見た目や雰囲気で、さほど美味しくなくても「美味しい」と、嘘を言うように感ずると。テレビでは味を確かめることができないので、なんでも美味しいというのではないのか。料理を見た目だけで評価する番組、あれはどうなんだろうか。  留学生たちがよく話題にするのが納豆である。匂いより粘り気に抵抗感があるという。とろろ昆布、オクラ、里芋など粘り気のある食品が好まれる日本。餅と納豆の粘り気、日本では「粘り強く」ということばも頻繁に使われている。関連性があるか否かは確かではないが、たしかに日本食は粘り気が強い。私もそれには抵抗がある。 家内は日本人だが彼女の嗜好を私が制約しているかもしれない。その分、私自らは絶対食べない納豆、ミョウガ、オクラ、サトイモ、刺身などを口にすることがある。しかし私の味覚は根本的に変わることはない。私はスーパーマーケットを数回廻っても油類、塩味、乳製品、アルコール類などのコーナーを通り過ぎレジで籠を覗くと野菜と果物しかない。ごはんと韓国の味噌チゲ鍋の韓国食に留まってしまう。50年以上オーストラリアに住んでいる友人も韓国式の食生活に固執するという。 外食文化は多様であっても家庭の食卓に影響されるまではどのくらい期間がかかるか分からない。日本の食卓には焼き肉やキムチ、天ぷら、カレー、パスタ、牛乳などがあがっている。洋食が多い。その日本人の食生活には理由がありそうである。味にこだわりがあまり無く、自然の味、見た目で味わうような、悪く言うと美味しさには鈍感だと言える。 味は電波ではないのでテレビに投影することはできない。日本で料理番組が多いのは味を味わうのではなく、「見る」味感からではないだろうか。それに比べると韓国人は生理的に美味しさ、「器より味」という「味」にこだわりが強い。そんな韓国料理が世界に人気がある。視覚と味覚の日韓の差がある。

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