前著『朝鮮出身の帳場人が見た慰安婦の真実』が「第五回 国基研 日本研究特別賞」を受賞!
本書は、受賞後の第一弾
韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたのか。
その一部始終を見ていた少年がいた。
のちに学者となる彼の原点となった、
貧困と性暴力が交錯する朝鮮半島の現実とは―
慰安婦問題をことさらに騒ぎ立てることは
いつか韓国人に戻ってくるブーメランのようなものである。
韓国メディアから「親日派」と猛バッシングを受けた著者による
体験をもとにした赤裸々な告白。
本書で私は、朝鮮戦争の体験を語り、
『韓国の貞操ナショナリズム』の本質に迫り、それを警告したかった。 ―崔 吉城
韓国の建国精神として柱となる二つのイデオロギーは、反共と反日である。
政府は北朝鮮の挑発を理由に、愛国心による総和団結を呼びかけた。
それによって韓国の国民は、「反共」意識を強く持つようになった。
日本に対する従軍慰安婦問題が、全ての韓国人の貞操が日本人によって犯されたかのような
強い「反日」感情と結びつくのも、そうした流れの一つであろう。
つまり、貞操をナショナル・アイデンティティ(国民意識)の形成に利用したのである。(本文より)
今、韓国政府は慰安婦問題を、政治的・外交的カードとして頻繁に使っているが、これは決して良いこととは言えない。
こうした戦後の問題は他国だけの現象ではなく、歴史的に古くさかのぼる、韓国自身の問題だからである。(本文より)
本書は、平成二六年に当社から刊行された
『韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたのか』を
再構成の上、増補改訂したものです。
「はじめに」より抜粋
今、日本と韓国とのあいだで、戦争中の性犯罪が問題とされている。
いわゆる「従軍慰安婦」をめぐる問題である。
そこでは、「強制連行」や「性奴隷」といった言葉が飛びかうが、この問題に関しては、
慰安婦をどのように「強制」したのか、その強制性に絞って議論すべきであろう。
つまり、強姦、人身売買、拉致、といったことが、慰安婦問題の核心なのである。
以下は、こうした慰安婦問題の動きを、年表にしたものである。
1982年9月 朝日新聞が吉田清治氏の講演を掲載
1983年7月 吉田清治著『私の戦争犯罪』(三一書房)出版
1990年11月 「挺対協」設立
1991年8月 朝日新聞の植村隆記者が「元慰安婦」の証言を公表
1992年1月 宮沢喜一首相が廬泰愚大統領に八回謝罪
1993年8月 河野洋平官房長官が「河野談話」を発表
1995年7月 日本政府が「女性のためのアジア平和国民基金」を設立
1996年6月 国連人権委員会で「慰安婦」の数を二〇万人とした「クマラスワミ報告」
1997年1月 金泳三大統領「アジア女性基金」に遺憾
2002年5月 「アジア女性基金」韓国国内での活動終了
2005年3月 廬武鉉大統領、三・一節の演説で「慰安婦問題」に言及
2007年3月 「アジア女性基金」解散
2011年8月 韓国憲法裁判所の判決「元慰安婦へ補償を」
2011年12月 「挺対協」が日本大使館前に慰安婦像を設置
2014年6月 日本政府が「河野談話作成過程」の検証結果を公表
2014年8月 朝日新聞が吉田清治氏に関する記事を取り消し
この年表を大学の講義で学生たちに見せたところ、韓国からの留学生たちが一斉に声を上げた。
彼らは、宮沢首相が廬泰愚大統領に八回も「謝罪」したことも、
河野官房長官が韓国に迷惑をかけたことを深くお詫びすると「謝罪」したことも、
全く知らなかったという。
だとすれば、日本国の総理大臣による八回もの謝罪は、いったい何だったのだろう。
慰安婦問題で韓国は、日本に謝罪を求め続けたいという気持ちが常にある。
これは、韓国政府やメディアにバイアス(偏り・傾向)があるということを意味する。
米国のトランプ大統領は、「フェイクニュース」と言い切って、
直接ツイッターなどで投稿するが、私には、その気持ちが十分に理解できる。
私は、一〇歳のころに朝鮮戦争の悲惨な状況を体験した。
そこでは国連軍兵士による性暴行があり、それを防ぐために売春婦たちが村にやってきた。
彼女たちは、いわば「韓国の米軍慰安婦」である。
私は、こうしたことについて深く考え、読者に向けて語りたいと思っている。