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Channel: 崔吉城との対話
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「授業料」

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本屋に立ち寄った。ネットで簡単に購入できるのになぜわざわざ本屋にいくのだろうか。著者や出版社が本のタイトルやブックデザインを工夫しており、さらに書店では並べ方などの工夫によって売ろうとしている気合いが伝わってくる。本を買おうとする読者としてはその中から選ぶ特権のような意識が生まれる。私が店頭に積んである本を手にしているとある女性のお客さんが同じ本を手にとり立ち読みをはじめた。私と関心が似ているのであろうが、私を知っている人のように感じた。二冊の本を購入したがすぐ読むとは限らない。病院で読み始めた「ガン病棟」をまだ手放していない。赤線を入れながら読んでほっておいてまた読み続けている。この本は魔力を持っているように感ずる。その魔力のある本を探している。大部分の本は列車時刻表や年代記的に情報を集めたものである。特に最近ネットを利用した膨大な資料を集めた本は魔力も魅力もない。
 先日戦前の朝鮮映画1940年作「授業料」を購入してみた。下川正晴氏の「幻の朝鮮映画『授業料』と作文集に見る日本統治下のリアル」(「正論」2月号)を読んだ。映画の時代は私の生まれたころであり、舞台は京城の南の水原、私の故郷の同じ京畿道である。祖母役の卜恵淑氏は戦後も活躍したので覚えている。下川氏の文によって子供たちの作文集から映画化された内容がよく分かった。彼は「映った社会、家族、学校の姿がリアルに感じれられます」と述べており、私も同感である。その映画に登場するバスの後ろに「趙膏薬」の宣伝など「リアル」であり、私の頭を混乱させる。当時の貧困より戦後の私の時代がより貧困であったと感ずるのはなぜであろうか。自分のことであるからなのか。収奪植民地と近代化の葛藤が起きるのは私だけではないだろう。

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