海岸絶壁崖を歩く前の女性が落ちて死んだのに驚いて目が覚めた。悪夢だった。「ラジオ深夜便」、そしてニュースで死者確認だのような報道を聞く。戦争と災害など頭をこんがらがっている。完全回復していない風邪の中『インパール作戦従軍記』を読了した、その記憶が再構成された夢のようである。日本は自然災害が多い。人命救助優先というニュースを見ながら女性は土俵に上がることは禁忌の非人権感覚が気になる。
前回読んだ黒岩正幸の『インパール兵隊戦記』の地獄の戦場とこの火野葦平の『インパール作戦従軍記』を一緒に合わせて読んで、何を学び、どう評価すべきか。間違いなく戦争は悲惨なものである。しかし世界戦争は多くの文学、映画などの芸術の対象になっているのはなぜか。多くの読者、鑑賞者がいる。その面白さはどこにあるのか?。火野の従軍記は日記ではない。読まれるために書いたものである。彼の文は今、左と言われる戦中「朝日新聞」などを通して広く読まれ、100万部ベストセラーになっている。日本はイギリス、インドとの戦争で勝利の夢を見た幻の戦争、大失敗の敗戦の悲劇の参戦記をどう評価すべきか?ベストセラー作家を生み出した日本人よ、戦犯はどこまでという線を引けるのか。私は10歳ころの戦争体験から面白さに疑問を持って論文や本を書いた。
黒岩正幸と火野葦平が同じインパールの参戦記を書いておられるが、徴兵軍人と徴用従軍、下位の兵隊と上位の作戦参謀、無名勇士と有名作家などなど対照的であり、また共通のところも多い。火野は戦後「戦犯扱い」、自殺した。今日本人は当時戦争を聖戦と賛美したのに今はどう評価するのか。
拙著『慰安婦の真実』もインパル戦の戦場アキャーブが主な舞台であった。帳場人朴氏が敗戦危機を感じ、撤退し、経営者は爆撃で死ぬ。私は若干触れたがそのインパル戦の枠から理解すべきであることを本書で確認した。解説者渡辺考氏は下記のように記している。
火野を「戦争作家」として戦犯扱いし、片づけるのは簡単だが、平時に暮らす私たちが、その内面の苦悩を想像することもなしに、白だ黒だと裁断を下すことは許されることではないだろう。