私は「朋友有信」とい儒教の信条を信じているようである。儒教を批判的に見ることもあるが友人関係、人間関係では「信」をもっとも重要視する。それで損をする場合も多い。昨日大きく失望した。本欄で数回触れたが3・1節記念講演を依頼され打ち合わせなど中、昨日彼から講演撤退の、宣告があった。『慰安婦の真実』からの3回目のバッシングであった。
理由を聞くと、私がする予定の講演は総領事が行うこと、民団の顧問たちから『慰安婦の真実』を書いた「親日派」だと言われたからだという。団長である彼の意見、信念は見えない。韓国の反日と民団員の反対で彼は撤退せざるを得ないという。約束を守らないこと、一般人の在日から専門家、研究者の本を非難することはどういうことなんだろう。クラシック音楽を知らない人が作曲家を非難するように感じた。悲しい。在日に日本で「共生」を呼びかけた私のコラムが空しい。
人は信念が強過ぎると独裁といわれるが「信」が無くては人、友人、責任者にはなれない。帰宅してSNSに私が韓国へはオブラートに包んだような味方的表現、日本には厳しく表現すると非難される投稿を読んだ。
京都大学の小倉紀蔵教授から3月に京都で京都市国際交流会館と京都大学での二回の講演のリマインドのメールが届いた。「3・1節」の節になるのであろう。
お話いただく内容は、◆慰安婦問題◆3・1独立運動◆北朝鮮問題などを織り交ぜながら、先生の視点から日韓関係の過去・現在・未来に関してご自由にお話ください。
日韓関係最悪の中の「最高」と「最低」が共存する。著述者の社会への役割、責任が問われている。