最近私は京都と縁がある。先日のことは本欄で紹介したように風邪でも講演や研究会に頑張って参加したが、今日は京都の国際日本文化研究センターで一泊し風俗史の研究会に参加する。研究会とは何か。突然疑わしくなった。博識、観光、趣味、物知りなどと専門研究者とはどう違うか疑問を持つ。資料を以て深い認識、原理を探る研究が少ないからである。最近ネットによる資料集めの傾向が強く、資料並べ、物知り博士的なものが多い。
パリでの研究会を思い出した。フランスの日本研究者のキブルツ氏の「ヨーロッパと日本に於ける空間と時間の知覚:文化相対主義の弁護」(『日本学とは何か』法政大、2007)を再び読んだ。西洋の裸体と日本の仏像の画像的な分析である。小生が『京都のくるわ』(新典社、2012)韓国の春画を持って恥と覗きの特徴、写実主義を日本の浮世絵と対照的に語ったものが載っている。田口章子氏の序文では京都の廓は神社の前から始まり定着したという。宗教と性の関係も大きいテーマである。
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『京都のくるわ』
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