続「綱渡り人生」
私の生まれ故郷の田舎では見世物はほぼなかった。結婚式や葬式、あるいは乞食のもの乞い歌、農繁期には農楽隊の風物ノリが見られるのがそれだけであった。子供の私には韓国戦争中の飛行機の衝突などは大きい見世物であった。私の幼い時には五日市が開かれ、そこで珍しくて雑戯俳優のクァンデ(広大)が綱渡りをするのを一回見たことがある。その光景は最高の見世物であった。つまり玩具などはあまりない時代に、綱渡りは最高の見せ物であったのである。綱渡りは朝鮮戦争直後には見ることはなかったがずいぶん後にソウルで復元された綱渡りを見て、感慨無量であった。広大とは伝統的な俳優である。李王朝時代には八つの卑賤民の一つであり、私の子供の時も広大は差別されていた。近くの楊州仮面劇の演者たちも蔑視されていたが今では仮面劇の演者は人間文化財となって いる。
綱渡りは広場の両側に杭を打ち、綱を張り、その下にコザを敷いてチャンゴ、セナプ、太鼓、ケンガリなどの民俗楽器の楽士たちの伴奏によって行われた。このように舞台を作って、才人(男)クァンデが綱に上り片手に扇子をもって立つ。広大が片手に扇子を持ってバランスを取りながら綱を渡る姿は実にすばらしい。音楽の伴奏とともに踊りながらジェダン(才談:面白おかしく語る)をする。才談は悪口半分で面白く、それはサンノム(賤民)の言葉であると思った。
クァンデは均衡を失って綱から落ちそうになった時に跳ね上がって、再び落ちそうな体の傾きを正して、「アイゴ―、死ぬところだったよ」と言いながら、踊りながら綱渡りをする。それは芸であるが、実際に落ちて怪我をし、それが元で病気になり死んだ人もいる。
今その綱渡りを想起して私の人生を振り返ってみると、私の人生こそ綱渡りの広大のようだったと感じる。わたしの人生は真に綱を渡るような生き方だった。何度も綱から落ちそうだった。否、綱(絶壁)から落ちて這い上がって来たようにも感ずる。朝鮮戦争、重症の肺結核、無銭留学など、綱から落ちそうになり扇子を持ってようやくバランスを取り、姿勢を正してきた‘綱渡り’ の広大のような人生であった。今でも綱渡りをしているのかも知れない。
バランスを保つということは決して容易なことでない。我々は常に平均をとろうとする。あれこれ比較、取捨選択、好き嫌いなど買い物をする時でさえ考える。広大が扇子をもってバランスを取ったようにそれぞれどのようにバランスをとるのか、それこそ人生そのものであろう。私がバランスをとる重要性と、どちらか一方に偏ってはいけいと教わり、客観性の重要性を知ったのは中学生の時であり、今でも客観性を信念としている。高等学校の授業で裁判官は親族などと関わった裁判は担当しないという説明を聞いて私であれば相手が誰でも偏見なしで物事を処理できなければなければならないと考えた。韓日関係においてもバランスをとろうとしている。
私の生まれ故郷の田舎では見世物はほぼなかった。結婚式や葬式、あるいは乞食のもの乞い歌、農繁期には農楽隊の風物ノリが見られるのがそれだけであった。子供の私には韓国戦争中の飛行機の衝突などは大きい見世物であった。私の幼い時には五日市が開かれ、そこで珍しくて雑戯俳優のクァンデ(広大)が綱渡りをするのを一回見たことがある。その光景は最高の見世物であった。つまり玩具などはあまりない時代に、綱渡りは最高の見せ物であったのである。綱渡りは朝鮮戦争直後には見ることはなかったがずいぶん後にソウルで復元された綱渡りを見て、感慨無量であった。広大とは伝統的な俳優である。李王朝時代には八つの卑賤民の一つであり、私の子供の時も広大は差別されていた。近くの楊州仮面劇の演者たちも蔑視されていたが今では仮面劇の演者は人間文化財となって いる。
綱渡りは広場の両側に杭を打ち、綱を張り、その下にコザを敷いてチャンゴ、セナプ、太鼓、ケンガリなどの民俗楽器の楽士たちの伴奏によって行われた。このように舞台を作って、才人(男)クァンデが綱に上り片手に扇子をもって立つ。広大が片手に扇子を持ってバランスを取りながら綱を渡る姿は実にすばらしい。音楽の伴奏とともに踊りながらジェダン(才談:面白おかしく語る)をする。才談は悪口半分で面白く、それはサンノム(賤民)の言葉であると思った。
クァンデは均衡を失って綱から落ちそうになった時に跳ね上がって、再び落ちそうな体の傾きを正して、「アイゴ―、死ぬところだったよ」と言いながら、踊りながら綱渡りをする。それは芸であるが、実際に落ちて怪我をし、それが元で病気になり死んだ人もいる。
今その綱渡りを想起して私の人生を振り返ってみると、私の人生こそ綱渡りの広大のようだったと感じる。わたしの人生は真に綱を渡るような生き方だった。何度も綱から落ちそうだった。否、綱(絶壁)から落ちて這い上がって来たようにも感ずる。朝鮮戦争、重症の肺結核、無銭留学など、綱から落ちそうになり扇子を持ってようやくバランスを取り、姿勢を正してきた‘綱渡り’ の広大のような人生であった。今でも綱渡りをしているのかも知れない。
バランスを保つということは決して容易なことでない。我々は常に平均をとろうとする。あれこれ比較、取捨選択、好き嫌いなど買い物をする時でさえ考える。広大が扇子をもってバランスを取ったようにそれぞれどのようにバランスをとるのか、それこそ人生そのものであろう。私がバランスをとる重要性と、どちらか一方に偏ってはいけいと教わり、客観性の重要性を知ったのは中学生の時であり、今でも客観性を信念としている。高等学校の授業で裁判官は親族などと関わった裁判は担当しないという説明を聞いて私であれば相手が誰でも偏見なしで物事を処理できなければなければならないと考えた。韓日関係においてもバランスをとろうとしている。