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Channel: 崔吉城との対話
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募金箱

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 スーパーマーケットの前に3人の青年が震災募金箱をもってお辞儀をしながら立っていた。日本では少ない風景ではない。日本を含め多くの仏教国ではよく見かけ、時には戸惑うこともある。チベットでは日常的に出あう風景である。ロシア正教会の前には物乞いをする人が入口の両側に並んでいることもあった。フィリピンでも困ったことが多々あった。日本では托鉢僧が歩くこともある。宗教的には施しや布施というものがあるが、乞食とはどう違うのだろうか。同情か協力か、考えてみるべきであろう。今永井氏の盲目人について書いた本の書評の校正をしている。分かりやすく書くつもりではあるが、難しい。その難しさとは同情から社会福祉へ繋がっていることの延々と長い近代史が絡んでいるからである。5月には出版されるので一読を勧めながら、ここで要点に触れておきたい。
 この本から宗教的背景を持ちながら社会福祉の変化の様子を伺うことができた。伝統社会では障碍者は厄介なもの、あるいは天国に行くための宗教的慈善のようなものに過ぎなかった。つまり盲人や障碍者への人格的な本質から考えることはなかったが、キリスト教では盲人が聖職のように社会的地位を得たこともあった。日本では琵琶法師とキリシタン宣教師との関わりがあったことも知らなければならない。今寄付金の募金はどのように考えるべきであろうか。送金制度などが発達している現在、募金箱の現象は何を意味するか。組織を通して献金などの形式はどうであろうか。同情、協力、少しでもお手伝いしたいという善意は分かるが、物乞い文化との差異化を考えてみる必要があろう。

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