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Channel: 崔吉城との対話
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大連

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 駅で偶然久しぶりに下関在住のフランス人のクリストファー氏にあって同行の女性の森田氏と列車内で話をした。話中に彼が「日本人は特殊だな」という言った。英語通訳の仕事をしている森田氏と皆で日本人論のようになった。短い熱血討論をして分かれた。大連空港には以前広島大学留学生であって現在大連大学の歴史部教授である呂秀一夫婦が迎えに来てくれた。奥さんも私の学生であった。呂氏とは1996年に初めて会ったので20年前からの関係である。二人とも朝鮮族であり、自然に日本語から韓国語で話をしていた。急に暖かくなり夏日のようであり、エアコン作動、日本製の良い車でホテルに案内された。車窓からは桜、レンギョウそして白と紫のライラックの花が咲いている。現代的な高層ビルが林立している新都市、マンションの窓には商店名の赤いネオンの看板、マンションに商店が多く入っているようである。大学教員の給料も上昇して、さらに夫婦共働きでは豊かな生活ができるようになった。彼は言った。中国が早く発展して嬉しいが、日本に行ってみると日本はよりよくなっていて日本で住みたいと。年金も良く、日本でのわが夫婦よりははるかに豊かにくらしているようである。
 昔大連の医科大学の先生がその展望が暗いと思い旅行ガイドになった人、留学研究を放棄して商売の道に行った人を思い出した。お金の話より研究の話はどうであろう。夕食は海辺にある九龍湾国際飯店の4階でご馳走になりながら彼らの近況を聞いた。窓際の外の川のような海には満州時代から海地を個人所有してふぐなどの養殖をしていて中国一の海産物の都市である。日本のものが人気で「日本産」と宣伝したが、日本の震災の あとは「現地産」と宣伝が変わったという。日本との関係が長く、悪くないような印象であった。夫婦教授の研究はどうであろう、また関心を起こした。日本人引き上げの話になった。奥さんの母の弟の話という。日本軍のある兵士が食べ物が無く、手榴弾を湖に投げて魚を捕ろうと爆発させて間違って子供を殺してしまって、牛2頭で賠償して、彼自身は自殺したという。それほど良心的な日本人に感動したが、彼自身は満州国の警察をしていたので戦後の中国での刑罰が怖く、妻と二人の子と別れ、南朝鮮に逃げて、そこに定着したという。引き上げの調査を勧めた。黄砂とPM2.5が気になりながら否定的な私の中国感は変わりつつあった。

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