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Channel: 崔吉城との対話
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障害者の人権

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19人の障害者の首などを刺して失血死させ、また26人に重軽傷を負わせた事件は衝撃である。事件の悲惨さより人間失格、倫理の破滅の根本的な問題を考えさせられるものである。犯人が麻薬や逸脱者であろうという捜査が進行するのとは別の側面から私は衝撃を受けている。日本は高齢化社会として多くの社会福祉が行われるが、それがある意味では社会や国家の負担と思われるところがあるのではないか。主に西洋社会は長い間生存権や人権の思想を築ぎあげてきた。我々の社会もその思想を受け入れて教育をしているはずである。しかしキチンと受けていなくては、障害者は社会の負担だと過信してしまうような危険思想に落ちやすい。標準人間、優秀人種だけが生きる理想国を作ろうとするのだろうか。死を待っているような高齢者、障害者が社会の邪魔になる負の存在であろうか。生きる権利を持つ人は元気なイケメン、美女だけであろうか。しかし植松聖容疑者(26)自身も障碍者や高齢者になりうる。その悲惨さが自分のものであることを認識していないだけである。
 戦後日本の教育は自由を教えても愛することを教えていない。ファッションと快楽文化が溢れ流れている。倫理を遠避けてきた。倫理は形式的な礼儀作法が全部ではない。信仰といえばオカルト、祭り文化が津々浦々で流行っている。聖書には人は神からの賜物であり、標準型はないという。障害や病気を持つ人も神からの賜物であるという。その貴重な信仰はいま我々が享受している法律の基本精神となっている。障害者の人権を守ることはみな自分自身の人権を守ることだと思うべきである。

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