昨日また紀伊國屋書店に寄った。やや早めに昼食は中村屋の有名なカレーを次に出版予定の拙著の編集者にご馳走なった。中村屋は知名度と値段は高目であり、時間になるとかなり混んでいた。味は強い香辛料が私の口には合わないものもあった。しかし、落ち着いた格調高い雰囲気で会話を楽しんだ。私たちの話も格調高くグレードアップされたようであった。本をよく作ることにも一時的な流行に乗るべきか否か、タイトルはどうすべきか、紙の文化とネットの文化への批評的なことも話題になった。私はスマートフォンなどを脳のように使っている風潮を批評した。紀伊國屋書店で買ったPeter Burke著 What is the History of Knowledge?を出して見せながらただの情報inoformationは知識ではないことを強調した。スマートフォンからの情報は脳の機能作用を通して知識化しなければならない。読書とは知識作業である傾向が強いことに合意できた。
帰路の飛行機内でその本を開き、私はより知識化を図った。情報informationを「料理するcook」というレヴィストレースの言葉が引用されている。この本は哲学の本だが難解な単語も少なく、平易な文、しかし深く考えさせる本である。昨日の「無脳時代」に高木ラブ氏のコメントの中に「携帯、メール、スマホ、ラインなど新しい物が出る度に未来永劫繰り返されていく光景なのだと思います」と物の流れに流されている人の現象だと言う。つまり一時的な現象が永遠に続くことであり、人間の自力の無脳・無能時代は続くと思われる。今この時点で考えるように、情報を知識化する態度へ変えるべきであろう。