十数年まえ広島大学を定年する時、研究はもちろん人生も終わりという末期不安に落ちた。私書の多くを韓国の日本学科など数か所に寄贈し、英語の本は貰い手もなく、私がいつか読むつもりで残した。それが主に自宅の書棚にある。その中から取り出して読書することがある。英語の実力が高調したとは思えないが読書を楽しんでいる。それは加齢による経験の力だと思っている。読書だけではない。現地調査ノート、録音や撮影した資料を再度見ることもある。しかしその方法を考え直さなければならないと思い一冊の本を手にした。
ジャックグウディの本(Jack Goody,The Interface Between the Written and the Oral)が面白くて、目が離せない。彼はアフリカのガーナーでインタービューしたことなど現地調査に基づいて文字の起源を論じている。文字の前の時代は言葉の時代であった。私も生まれ故郷での生活を振り返ってみた。全くオーラルの世界であった。門中の宗孫の一人が漢字の祝詞を読むのが最高知識人であっても漢字を使いこなせる人はなかった。私の父はハングルとソロバンができた。しかしオーラルの村にもコミュニケーションがあり笑い、喧嘩、和解などが行われた。私はこのように原始時代を生きてきた。私だけではなく人は原始人のように生まれたのである。