先日本欄である新聞から掲載無理といわれた原稿「烈女門と少女像」について多くの方から反響があった。時折貴織氏からはコメントをいただいた。「内容を拝読させて頂く限り…何故、出版側は掲載不可としたのでしょうかね?」とし、要約すると日本の占領が、欧米諸国の占領とは全く意味合いが違ったことは教授もご存知の事、共存共栄を目指した占領である。今日、慰安婦問題が両国にとって最も大きな蟠りとなっているが…特に朴教授の「帝国の慰安婦」の内容が最も事実に近いとすれば、「チェ教授は、両国は今後どの様な対応をすべきとお考えでしょうか?個人的な考えで結構ですので、お時間がある時にでもご教示下されば幸いです」。
2月16日午後3時から東亜大学で山県順子氏によりいわば「関釜裁判」を以て慰安婦問題を討論しようと予定してする。もし時折氏が参加できれば嬉しい。私は日韓関係など目下危険な事情やテーマに問題意識は持っているが直接挑戦はしていない。それは逃げてるようで卑怯と思われるかもしれないが、決してそうではない。反日、親日、好き嫌いのレベルをはるかに超えて考えているからである。つまりそれらの問題は研究への刺激ではあるがわたしにとっては本場ではない。その点は多くの慰安婦問題への筆者たちとは本質的に異なる。私は戦争と性、性と政治、現在のセックスナショナリズムの韓国社会の伝統的な男性中心の儒教の性モラルなどを明らかにしている。*2013年10月ソウル