昨日の朝廊下を自立して歩いた。二人の看護師が驚いた表情をした。私はここで教え子に会えたのかと思ったが、そうではなかった。私が集中治療室から一般の病棟へ移った時の担当の看護師さんで、一人で歩くのを見て驚きと嬉しそうな表情。私は死を覚悟して手術に臨んだが、麻酔の過程ではないかと思うが自分の体がラグビーのボールというかカツオかマグロの塊のように映ってきた。明るいICUで目が覚めた時は医師、看護師たちによって歓迎される。皆さんの顔がクローズアップされる。阪田先生が「まもなく奥さんがくるよ」という先生の声と先生の眼鏡の縁と目玉が大きくクローズアップされた。意識はあってもコミューニケーションはできない。平仮名文字版に「かんしゃ、うれしい、ここはどこ」と指さした。
体はまだ人間になっていない。ガスと配尿は煙のように自然に流れる。人はガスを貯めて音と一緒に排出する。排尿も貯めてスピーディに排出するが、それさえ、生体から人への進化があったはず。犬や鳥類も時間と場所を決めていることは同様であろう。自分が童話の主人公のようになった。思考は空を無窮に飛ぶ。朦朧とした中で古墳の壁画が映像として見えた。そこが行ってきたところではないかと思う。
体はまだ人間になっていない。ガスと配尿は煙のように自然に流れる。人はガスを貯めて音と一緒に排出する。排尿も貯めてスピーディに排出するが、それさえ、生体から人への進化があったはず。犬や鳥類も時間と場所を決めていることは同様であろう。自分が童話の主人公のようになった。思考は空を無窮に飛ぶ。朦朧とした中で古墳の壁画が映像として見えた。そこが行ってきたところではないかと思う。