最近首の手術した方がお見舞いにきて下さった。特に首の手術というと命に係わるので死をどう思っているかと聞きたかったが、出来なかった。今度、私は不思議にも死の怖さはまったく感じなかったというと彼は私と正反対、衝撃を受けた表情で、「ものすごく死が怖かった」という。キリスト教の長老である彼は言う。聖書を思い出しながら祈り、死を覚悟しようとしても恐怖から解放されることはなかったと自分の信仰生活を反省するように語った。死を迎える態度はいろいろと研究されているが、彼と私の例は典型的なものであろう。
不思議なのは私の態度である。私自身非常に意外なことである。私が臆病であることは自他共に知っている人が多い。従って私が死を恐れることは当然である。ソクラテスのような英雄でもない臆病の私が死を迎えようとしたのは不思議なことである。ただこの世で残った仕事はあの世で続けようと考えた。このことはこれから自己分析すべきテーマである。
不思議なのは私の態度である。私自身非常に意外なことである。私が臆病であることは自他共に知っている人が多い。従って私が死を恐れることは当然である。ソクラテスのような英雄でもない臆病の私が死を迎えようとしたのは不思議なことである。ただこの世で残った仕事はあの世で続けようと考えた。このことはこれから自己分析すべきテーマである。