昨日教会には礼拝時間20分も前に、前日家内らがきれいに洗濯したクッションに座った。聖書を開いたら2005年4月24日朱牧師がわが家を訪問した時、聖句を持って語った箇所が目に入った。彼はなぜユダの裏切りの聖句を持って家庭礼拝をしたのか疑問であった。死刑されたイエスを信仰するキリスト教とは言っても相応しくないと思った。昨日の説教レジメを見ると「光復節」であり、聖句はダニエル書1章である。今のイラク南部の地域で、バベルの塔を建てたところ、バビロンにイスラエルが征服された時の話である。どう説明するか気になった。ネット上にはこのテーマに似た説教文が載っていた。朴米雄牧師は韓国が日本に植民地化されたことに当てはめた。面白い。つまり創氏改名政策などがあっても名前と在日のアイデンティティを主張した。さらに私が注目すべきところがあった。それは被植民地者であったダニエルがバビロンの王の宮殿で役人となったことである。イスラエル民族の裏切り者ではないのか。私の研究テーマになっていく。*写真は下関港で韓国入試所長夫婦らと一緒に。