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Channel: 崔吉城との対話
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伊東順子氏の読後感

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伊東順子氏:フリージャーナリスト1961年愛知県豊橋市生まれ。愛知大学文学部中国文学科卒業。1990年に渡韓、延世大学梨花女子大学韓国語を学ぶ。ソウル日本語学校、テレビ番組の制作会社、朝日新聞社などでの勤務を経てフリーに。

著書

『病としての韓国ナショナリズム洋泉社.新書 2001

『ピビンバの国の女性たち』2004.8.講談社文庫

『もう日本を気にしなくなった韓国人洋泉社.新書y 2007

崔吉城先生へ

(略)本は、届いた日に一気に読んでしまいました。「従軍慰安婦問題」を扱った本で、こんなに一気に読めたのは、大沼先生の本を除いては初めてです。私自身が変わったのかなと思って、随分前に中断していた『帝国の慰安婦』(朴裕河)を、もう一度読み始めましたのですが、やはり続きません。なぜ、先生の方は読めたのか、ちょっと考えてみました。
 崔先生の本の表紙には、「慰安婦の真実」とか「本当に強制連行、性奴隷はあったのか」などのテーマがありました。おそらく出版社にとっては、これらが現在の日本の読者にとって、最も関心のあるテーマだという判断があったのでしょう。
 でも、私はそこには、あまり関心がありません。「真実」とか「本当に」いう言葉は信頼していないし、「強制連行」「性奴隷」は、対立する人々の認識のズレが激しすぎて、政治家や専門研究者ならともかく、私自身がそこで何だかの言葉の定義を得る必要を感じてはいません。

私が先生の本を読みふけってしまったのは、そこではなく別の部分に深く引き込まれたからです。

1、先生がハングル・日本語仮名まじり・漢字まじりの日記を読むのに、ご自身が最もふさわしいと思われたこと。

2、韓国語訳が出ているにもかかわらず、原本所有者を何度も訪ねて、原文を複写させてもらい、そこから読み込んだこと。

3,しかも、1人で読まずに、研究会を作って、お仲間の皆さんとを1年間かけて読んだということ。

4,日記に出てくる、東南アジア当地を実際に訪ね歩いたこと。さすが文化人類学者だと、これだけでも敬服しました。

5,政治的に誤読されるリスクを犯しても、ちゃんと出版しようとしたこと。

 先生が本の冒頭で「日記とは?」「日記を書く人間とは?」に非常にこだわった理由は、後半になるとわかりますね。日記に現れる筆者の、日本国への忠誠をどう解釈したらいいのか? 彼は慰安所の仕事に「誇り」をもっていたのではないか、という仮定。

「日記」からは「慰安所」も「慰安婦」も、「一億総火の玉」的なものの中にあったことがわかります。その意味では「挺身隊」という言葉が長らく「慰安婦」と混同されたのも、大きくは間違っていない印象をうけます。「国家、天皇に身を挺する」という意味では、文字通りの「挺身」隊であったわけです。朴裕河さんの『帝国の慰安婦』もこのあたりの問題が出ていますが、先生の本が私にとって新鮮だったのは、別の視点が提起されていたことです。

「36年間の植民地支配」「皇国臣民化教育」がどんな風に人間を変え、というよりも、人間のどの部分を変えたのか。

先生が書かれていましたね。「でもやはり、彼の日記の中の日本語は『私と同じミスを犯している』」と。やはりネイティブにはなれない。それは、「同じく36年間、日本で暮らした」先生と同様であること。これまで『慰安所日記』はその内容にばかり関心がもたれてきました。でも、先生はその「文字」(彼の肉筆)に関心を持たれた。

大日本帝国による「同化」は、植民地の人々に限られたテーマではありません。終戦のその瞬間には呆然としながらも、しばらくした瞬間に太極旗を手にした朝鮮半島の人々。敗戦に涙しながらも、その夜には電灯の明るさに喜んだ日本内地の人々。

先生の著書を読み終えた今、私はこの真面目な帳場人に好感をもっています。

それが彼自身の本当の姿なのか、実はお書きになった崔吉城という研究者の分身なのか、実はよくわかりません。

これからも少しずつ、先生の著書を読ませていただきます。

どうもありがとうございました。

 

2017年12月8日 伊東順子

 

追伸、今日は真珠湾の日ですね。今、気づきました。


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