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Channel: 崔吉城との対話
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放蕩な時代もあり

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11月1日に入院してから1か月が過ぎた。もう退院も決まっている。なにか解放感、束縛からの釈放、軍からの除隊を待つ気持ちに似たような気分である。看護師たちとは親しくなり、80歳以上の患者さんたちとも話ができるようになった。昨日は心臓や動脈などを手術された人と話をした。いずれも私と比べると彼らの病気は軽く感じられた。なにか患者の中では年齢よりも重病患者が権威があるように感ずる。彼らとは対話にはなりにくい。耳が遠いこともあり、一方的に話すことが常である。それぞれ華麗な人生を語ろうとする。ボーリング、海に潜るなどの趣味、高級外車をもっているなどの話を聞く。それは自慢話ではない。私は情報発信してくれることを有難く耳を傾ける。
 入院期間中50余組の方々がお見舞に来てくださった時、私は死の体験のような話をした。今回復に向かっている時に考えるとまったく違った危機感、大げさなことと思われる。私は現代医学の発展を認識しておらず、信じなかったこともあるが、医学によって無理に命を伸ばすことには反対の人生観、死の覚悟で生きていたことと死生観をもっていたことに気づかされる。それは最近の私の思想的なものではあるが、考えてみると実は中高生時代の文学少年からのものである。文学的なロマンチズムにより放蕩な時代もあり、失敗したこともあったが今考え直すると生きる意味と力になったのではないかと思う。そして今度はただ生き残っているだけではなく、愛されている幸福を満喫するようにしなければならない。

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