昔書いた本の増補版を出すために古い調査ノートや日記などを見ている。その中に私が極めて変わったと思う記録を見つけた。1970年代初めに日本に来た時の日記である。日本のお風呂と温泉文化に接して極めて異様感をもったことである。東京の鄭春澤社長のご厚意で熱海への社員旅行に参加した時、終始浴衣を勧められてもそれは着用せず洋服で、しかも入浴後も正装していたこと。浴衣は日本の寝間着であり、芸者を呼んで歌い、踊るということ、浴衣を着たまま下駄を履いて外に出ることなどを見て性的な乱れのように思っていたようである。暑い浴槽に幼い子供を入れるのは危険だとも思ったようである。それ以来、いまだに温泉はそれほど好んでいない。しかし私はいつの間にか浴衣を日常的に着ることが多くなった。今でも日本を知らない多くの外国人は当時の私が感じたことと似たようなことを感じていると思う。
私と逆行の方がいる。昨夜韓国・啓明大学の中村八重准教授がお見舞いに来てくれた。多くの人からの見舞いのメッセージも伝えてくれた。彼女を韓国へ行くことを勧めてからほぼ10年、韓国を好み、安定した充実した楽しい日々をすごしている。さらに韓国での生活を続けるそうである。日韓を往来しながら研究生活の舞台を広げていくようである。お見舞いに本当に慰安された。韓国や中国からの多くの留学生たちは帰国して就職し、安住し、研究熱は消えていくのが一般的な傾向であり、残念に思っていた中、彼女への期待はかなり大きい。
私と逆行の方がいる。昨夜韓国・啓明大学の中村八重准教授がお見舞いに来てくれた。多くの人からの見舞いのメッセージも伝えてくれた。彼女を韓国へ行くことを勧めてからほぼ10年、韓国を好み、安定した充実した楽しい日々をすごしている。さらに韓国での生活を続けるそうである。日韓を往来しながら研究生活の舞台を広げていくようである。お見舞いに本当に慰安された。韓国や中国からの多くの留学生たちは帰国して就職し、安住し、研究熱は消えていくのが一般的な傾向であり、残念に思っていた中、彼女への期待はかなり大きい。