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야마다 칸토씨의 투고문

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이하는 식민지사가 야마다 칸토씨의 투고문이다.

최길성 『식민지 역사 바로 보기』 제1부 제5장 「식민지와 피식민지의 사이에서」는, 조선처럼 이웃나라가 식민지화된 예로서 아일랜드를 들고 있다. 글의 촛점 인물은 아일랜드 출신 로저·케이스먼트(1864-1916)이다.
대영제국의 관료로서 아프리카와 남미 등지에 근무한 사람이다. 영국에서 보면 피식민지인, 아일랜드에서 보면 식민지 지배자적인 존재이었다.그는 당초 영국 관료로서 충실하게 일하고 있었다. 식민지에서의 영국 등 제국들의 인권침해의 참상을 세계에 알렸다. 사직하고 나서 인권보호 활동, 아일랜드 독립 운동에 몸을 던진다. 결국 영국의 반역자란 대역죄로 처형된다. 아일랜드에서도 배신자, 식민지주의자로 불렸다. 재평가된 것은 사후 약50년이 지난 1965년이다.
한국에서도 마찬가지이다. 이러한 입장의 사람이 친일파, 즉 배반자 취급을 받는다. 저자는 「저항적 민족주의가 사실은 패배주의의 잘못된 인간상을 만들어 낸다」라고 하였다. 「식민지사의 표면을 문제로 하지 말고, 사람들의 패배주의적 가치관이나 태도가 문제이다」라고 케이스먼트 등의 예를 들어 설명하고 있다.
케이스먼트처럼 피지배자측과 지배자측에서 서서 평가하는, 즉 2항대립적인 선악의 가치 판단이 위험하다는 것을 지적하고 있다. 케이스먼트는 보편적인 인권사상에 의해 재평가되었다」고 저자는 지적한다. 현대사회에 있어서도, 이러한 2항대립적인 선악판단에 휘말리는 경우가 많다. 그의 무덤을 방문한 저자는 「나도 50년후라도 이해해 주는 사람이 있다면 행복하다고 생각한다」라고 감상을 기록하고 있다.(최길성 역)


日本人のハングル読者

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 最近は仕事が多く、連休などの休日が嫌になる。私のメイン情報欄であるホームページが消えておりご迷惑をかけている。15年ほど前、自作したものを何度も修正して発信したが今不能になっている。昨日自力で必死に回復させようとしたが無理、業者に任せることとなった。復帰まで費用と数日がかかるという。しかし私は複数のチャンネルを持って発信している。東アジア文化研究所と東亜大学のホームページ以外にもブログ、フェイスブック、ツイッター、新聞コラム、著書など。何より口コミ、会話が楽しい。研究会、講演会、公開講座、講義…。
 本欄の文が長いというご意見をいただいて短くしようとしているが、書きたいトピックが多く困っている。寄贈した韓国語の拙著へ日本人のコメントが嬉しい。山田寛人氏の第二のコメントがFBに書かれている。

최길성"식민지 역사 바로보기"민속원, 2016(崔吉城『植民地の歴史をまっすぐに見る』)を読む。第1部第3章「被害意識」を読み、「事実」と「評価」のちがいについて新たな視点を得た。

この章の冒頭で取り上げられている、ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ『竹林はるか遠く―日本人少女ヨーコの戦争体験記』(ハート出版、2013年)は未読だが、「終戦前後の朝鮮半島と日本で、日本人引き揚げ者が味わった壮絶な体験を赤裸々に綴る、息もつかせぬ、愛と涙のサバイバルストーリー」という紹介文がある。

この本の中には日本人引揚者が朝鮮人から筆舌に尽くしがたい暴行を受けた場面が出てくる。それに対して、朝鮮人側からは猛烈な反発があったという。加害者であるはずの日本人が、被害者であるはずの朝鮮人から、そんなことをされるはずがないというわけだ。広島の平和記念資料館に対する朝鮮人の反発も、それと根は同じだ。加害者であるべき日本人が被害者であってはいけないのである。

〈事実〉と〈評価〉は分けられないところもあるが、それでもやはりきちんと分けて考えないと、こういうとんでもない話になってしまう。もちろん、被害という事実が生じれば、誰にどれだけの責任があるのかを問うために評価をする必要はある。しかし、責任を問う前に、被害は被害として目をそらさずに見つめるべきだろう。

〈事実〉は過去に起きたことであり変えられないが、〈評価〉は未来を変えていくための原動力となる。だから、人は〈評価〉に血眼になる。自分が望む〈評価〉をつくり出したくなる。しかし、事実は事実、被害は被害として認めたうえで、より良い未来をつくるための〈評価〉に進んでいかなければいけない。

著者は、敗戦という事実を認めようとしない日本人について「敗戦は悲惨なものではあるが、「敗戦精神」から社会を根本的に変えていくこともできる」(89)と述べる。事実を事実として認めるのは当然の大前提であって、そのうえで、どのように評価をして、どのように社会を変えていくのかが問われるのである。

著者は、事実を事実として認めない態度に対しては、それが日本人であろうと朝鮮人であろうと、手厳しい。一方、広島の平和資料館と、韓国の独立記念館・中国の南京大虐殺記念館を比較することで〈評価〉の問題も扱っている。どちらも被害の事実を伝える博物館だが、前者は核廃絶という人類全体の平和を目指す方向性があり、後者は加害者に対する憎しみを助長する方向性がある。

どちらの〈評価〉が良いというものでもない。「展示資料が事実だとしても、資料の選定などを通して事実の変造あるいは創造が生じ得る」(89)。つまり、その博物館が、どのような未来を目指しているのかが、〈事実〉を示す展示にあらわれるのである。さらには、そうやって作り出された展示をどのように見るのかも問われることになる。

著者を〈左〉か〈右〉かというように二項対立的に捉えようとする読者は、この本を読むと頭が混乱することになるだろう。しかし、事実は事実として認めたうえで、どのように評価していくべきかというふうに考えることのできる読者は、得るところが大きいだろう。

 山田氏の書評で、これからは韓国語そのままで日本人の読者を持つことのできる時代を予兆する。日本には韓国語を知っている人が多いから。以前ソウルで韓国語で出した本が日本語訳になって韓国より日本でより多くの読者に出会ったことを考えている。韓国語の『한국인의 한(韓国人の恨)』は真鍋祐子氏によって多くの読者に出会うこととなった。

*写真:植民地朝鮮における朝鮮語奨励政策―朝鮮語を学んだ日本人

植民地下の朝鮮で、日本人を対象としたさまざまな朝鮮語試験が行われていた。 朝鮮総督府による、教師や警察官などを対象とした朝鮮語奨励政策の実態を、幅広い資料群の分析を通して考察した書。
推薦:崔吉城(元広島大学教授)
山田寛人著
■A5判・上製・268頁
■ 定価4,800円+税
■ISBN978-4-8350-4155-1
■ ’04年6月刊


 

 

 

 

韓国の沐浴文化

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 日本に留学した時ある日本人の医者から韓国人はキムチを食べ「ニンニク臭い」、風呂をしない「汚い」といわれたことがあった。当時私はそれが差別とも感じずどうしょうもなく、聞き流した。私はソウルの北方の田舎の農村生まれ、ソウルに転校した時、都会と農村の差に驚いた。また日本に来て驚いた。私の田舎での生活は歴史的年代記によると旧石時代や青銅器時代に似ていた。使い古して、でこぼこのなくなった石製のすり鉢を釘で打ちなおすのも鍋を直すのも面白くみた。朝鮮戦争中戦車、飛行機を初めて見た。人類史的に言うならば何万年の歴史が私に縮約されて迫ってきた。当然ショックを受けた。中学時代には糸電話遊びをした私にとって今のスマートフォンもショックである。それにまったく無関心な人、使いすぎの人とは人類史的に言うと数万年のギャプがあるだろう。
 昨日の「楽しい韓国文化論」も楽しかった。日本では行政的に津々浦々で文化講座がある。大学で一般市民のために講座が開かれることは中国ではできないと聞いたことが耳に残っている。昨日石本会長がイントロ、私が講師を務めた。韓国の沐浴文化と日本の温泉文化を対比して説明し、今は多くの日本人はキムチが好き、韓国に垢すり風呂の旅に行く。北村皆雄氏製作映像「韓国温泉めぐり」(30分)を放映、韓国で死後、あの世に行くために洗霊祭をすること、私の不浄の意味に関する研究を紹介した。
 韓国の温泉はほぼ日本植民地時代に開発された。歴史ある東莱温泉は日本植民地期に銭湯化、料亭、娯楽、遊興、酒、妓生、賭博の街になっていた。1970年代釜山市が行政的に温泉風潮を消すために商業地化、アパート団地にした。今温泉観光のために復元させようと、その伝統を消滅させた釜山市がいかに文化政策的に劣っているか、と聞く。開発に文化政策が重要であるかを改めて思った。

事故

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 教会の教壇に生け花をすることになって、あらかじめ基礎的な準備をしておいた。そして昨朝礼拝前に教会の庭に満開したムグゲの花を切って完成させようと思っていたが私が着いた時には激しい雨で花は倒れしぼんで使い物にならなかった。華麗さを見せようとしたができなかった。教会では生け花は仏教の供え物とは違って飾りにすぎない。しかし私にはそれは信仰的なことに近い。
 朴米雄牧師の説教のテーマは「事故」であった。つまりキリスト教に出会ったことはその人にとって大きなアクシデントにあたり、人生観が大きく変わることだという。私は内村鑑三がキリスト教に入信してから世界が変わって見えたという告白を思い出した。韓国伝道へ成功したアンダーウッドの日記の話なども語られた。高齢化社会、老人向けの伝道の可能性を訴えた。
 夕方私のマンションの下で交通事故が起こった。すさましいサイレンの音にびっくりして下を見ると、乗用車がガードレールを超えて逆方向を向いて止まっていた。事故車の中をのぞく姿は見えても救助活動は難しいようである。10人ほどの救助隊たちが車体を力で動かし、救急車が着き、動きは速くなり傘をさして見守った人も同乗し行った。2体のクレインが車を移動させた。交通整理、現場掃除まできれいにして行った。私は終わるまで記者の取材のように撮影しながら観察した。聞くところによるとこの事故で命に別状なし。しかしこの事故で関係者は現実に何かが変わるはずである。
  

 

『雀様が語る日本』

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 まだ先のことと思っていた日程が近づいてくる。具体的には時と場であるが、それより何をもって考えるかという思考のことである。読書は良いがテレビなどメディア媒体が邪魔をする。人の話を聞くのも良い。丸山教会で宇佐神正海氏の創造に関する3回連続、研究会があるということで参加した。彼は84歳の耳鼻咽喉科の医師であり牧師である。宗教と自然科学の接点を持つ方である。聖書は聖霊の予言であり、説明書に過ぎないというのが趣旨、ヨハネの黙示録を歴史年代記的に自由放任>律法>福音へ人類史の信仰的な進化過程を例示した。そこには信仰はあっても科学は感じない。ある人は「盲信だ」と言った。参加したある牧師は難しいと囁いた。
 夜郵便が届いた。山口大学の名誉教授、参議選立候補者であった纐纈厚氏からのお手紙と2冊の本が同封されている。読書感想は後にすることにし、私信ではあるが拙著『雀様が語る日本』(新典社)と『韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたのか』に関するもの、本格的な書評といえる内容である。私にとって勇気づけられたコメントであり、本欄の読者にも公開したい。

(前略)『雀様が語る日本』は、先生の御人柄が随所に惨み出ていて、とても清々しい思いを抱かせて頂きました。韓国と日本とを跨ぐ先生の歩みをリアルに追体験させて頂くことができました。特に、「I雀様「日本人」を語る」では、先生の本当に濃密な人生の歩み踏まえつつ、鋭い洞察力と温かい眼差しから綴られた文章は、日本への愛情溢れる内容でした。日本人である私にも、いま一度日本人としての自覚と責任感のようなものを痛感させられた次第です。
 韓国と日本の文化比較考として、多くの気付きを頂戴し、目から鱗が落ちる思いに駆られました。なかでも、「八 日本はもう先進国ではない」と「九日本はまだ先進国である」の節は、とても印象に残りました。何を基準にして「先進国」とするかの問題に、人間の成熟さを指摘され、併せて相互扶助・相互信頼・相互批判が担保された社会こそ、私たちが目指す社会である、と説得力ある文章で諭されているように思いました。
 「Ⅱ 雀様「文化」を語る」は、先生の広範な行動範囲と多様性を大切にされる視点からする本当に豊かな文化考であり、先生の博識ぶりに感動すると同時に、あらゆる事象に先生の個性溢れるアプローチから、ユーモアをも交えながら淡々と語られた章に思いました。なかでも、先生が本当に多くの方々と交流され、豊かな歩みを築かれていることに、研究者・教育者として後輩の我が身を思い返しつつ、なお一層精進しなければならない、との思いを抱かせて頂きました。
 御著書に登場する山口大学教育学部の卒業生である古川薫先生とは、私も著書を頂戴したり、謹呈させて頂いたりの御付き合いを頂戴しております。昨年には山口大学創基200周年(山口大学は1815年創設の藩校である山口講堂を源流としています。東大と東北大に次いで日本の国立大学では三番目の古い大学となっています)の折り、古川先生には基調講演をお願した縁もあり、その後には大学教育機構長(副学長)として共通教育の責任者であった私か古川先生に大学での講義をもお願いしたこともございます。また、山大の図書館長であった私は古川先生にお願して、先生の著作150冊ほどを寄贈頂き、大学には「古川薫コーナー」を設置しています。200冊以上の著作を出版されている古川先生の御仕事を知る上でも、山犬図書館は希有の存在になっていると自負しております。
 また、李恢成先生には、私か理事を務める植民地文化学会(会長は元法政大学教授の西田勝先生)の学会に二度ほど御登壇をお願し、取り分け李先生の『北であれ南であれ我が祖国』をも俎上に上げさせて頂きながら、深い議論させて頂いたことがございます。私も国内外を通して人との交流を大切にしていきたいと思っております。先生の交流の多様さや深さには、到底及びませんが、交流を通して学問や人間を豊かにしていくこが出来るのだ、と先生御白身の体験を踏まえて仰っているように拝読致しました。
 Ⅱの章を拝読していて、政治学者でもある私にとりまして、特に学ばせて頂いた個所がございます。それは、「一七 司法と政治」(pp.203-210)と、「一八 戦争と平和」(pp。211-231)の二節です。「専門家然とする政治家たちが践雇する国会中継を見ながら、私はいつも諦めることなく民主主義を望んでいる。」(p.208)との下りに、痛く感動致しました。私も劣化する日本の民主主義を何とか成熟させたい、との一念で参議院への出馬に踏み切った経緯もございます。また、権力の横暴ぶりに、「鬼が金棒を乱暴に振っているような感がある。」(p.210)と鋭い指摘をされているのにも全く同感です。 
 「一八 戦争と平和」において、先生の歴史認識の深さが随所に垣間見えて、とても充実感を覚えました。「敗戦を教訓に、日本は完全に「敗北」したと認識すべきであろう。」(p.226)とか、「当時の日本人は敗戦しても「敗北」はしていないと考えたのだ。」(同上)との御指摘は、私の近現代日本政治史研究のひとつの到達点でもあるだけに、“我が意を得たり”、の感を持ちました。
 この他にも先生の講義方法など参考になりました。私も山大時代に副学長として文科省と交渉を重ねながら、当面は共通教育授業を対象にして、アクティブラーニング方式の授業形態を積極的に導入し、文科省から一億円余の予算を出して頂き、固定机から可動式机をメインとする教室へと改築作業を進め、学生のプレゼンや学生間のコミュニケーションに便宜を図る機材を設置することに成功しました。(後略)

「国際市場で逢いましょう」

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  海外に住んでいながら時々私を批評・非難する文を投稿する人が日本に来るという情報があって、会いたいと投稿した。彼は韓国で生まれて世界を転々として移り住んでいる方である。そんな彼の話を聞きながら戦後の時代を共有したいからである。ただ一緒に座って話してみたい。しかし彼は意外な反応をした。なぜであろう。私は1959年にある大学新聞に「西部戦線異常なし」について評論を発表したことを思い出した。戦争中に二人の敵兵が同じ穴に落ちて同志となる場面である。私の人生観は変わった。
 今週土曜日は「楽しい韓国文化論」で市民と一緒に映画「国際市場で逢いましょう」を鑑賞する。主人公のドクスは朝鮮戦争の混乱の中、父と妹と離ればなれになり、避難民として国際市場を舞台に生活する。避難する場面では思わず目を逸らしながらも画面を注視した。私は生活が貧しかった韓国の現代史をドクスと共有している。その自分史のような映画を通して、辛い人生を振り返ってみたい。

休日が邪魔

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 新学期の講義が始まった。この度は文化人類学の受講生は少ない。初めてのことである。中に中国からの留学生の李さんが強く関心があるという。対話式の講義を行った。彼女は日本文化が中国と異なるという。日本と中国の文化が共通するものはなんだろう。それは漢字である。それは日本語を学習する時非常にメリットになる。しかし服装やファッションなどで中国的なものはない。なぜないのか、私の質問は続いた。見えないものではあるが中国人として味覚と臭覚を持っている。それによって日本での食材を持って中華料理を作るという。それは立派な文化論であった。
 公開講座のポスターをこの地域で最も有名な印刷所へ依頼しており、メールなどで相談したが、突然会社に訪ねたが快く迎えられ、仮印刷したもので相談することができた。家内のラストチェックでミス発見、修正したものが出来上がって、帰宅してメールで確認した。すぐ作業が終わると喜んだ時「明日(今日)は休日」と知り、休日が不便だと感じた。働く高齢者は休日に感謝するがまだ私にはそれが邪魔と思えるのは幸せなことかも知れない。
 

 

「アジア共同体」

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 「アジア共同体」の公開講座の開始が近づいている。ただ個別の講義を並べるわけではない。提供者側と受講者側の総合理解が必要である。アジアと共同体は何を意味するのか考える、その全体の構想を貫いていくように考えなければならない。アジアは世界の中の一部であり、「アジア化」を意味するのではない。つまり国際化やグローバル化の「か」に対置する分裂的な地域中心の団結などを意味するのではない。半世紀ほど国際化とグローバル化を叫んできた。その結果民族主義やナショナリズムが強化されている。国際化という言葉が平和主義を指すようであればナショナリズムは競争、喧嘩、不和を指すような現象が多く起きている。
 共同体の概念も曖昧である。内向けの団結、和気あいあいを強調するように感ずる。しかし東アジア共同体論の多くは生産ネットワークなど連携協力を強調している。「アジア共同体」といえば戦前の「大東亜共栄圏」を思い出すかもしれない。そして日本からの発信ではなく、中国からの発信が望ましいという主張もある。それには民主主義欠如社会主義国家からの発信はどうだろうという批判もある。今日中韓の関係は良くない。古代文明発祥地、漢字・儒教文化圏へ戻るのではなく、それらも基礎要因として検討すべきであろう。政治的には鎖国であっても技術と文化は開放され越境している。国境が障碍か絆か講座を通して一緒に考えたい。
 


社交的だと言われた

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 瞬報社は下関にあるよい印刷所、二度目に訪ねてポスターを受け取った。ネットを通せば、早く郵送で出来ることは知っているが、ネット上では人が見えない。地方では質が良くなく、値段は高いと言われ、私も経験的に知っている。それでも私は地元を優先したい。それで失敗も多い。しかし、この度のポスターは気にいった。地元の人の紹介や推薦はほとんどが人の縁によるものであり、仕事や働きの質が問われることがないのが普通である。それは地方創生のためではなく、人間関係を大事にしたいからである。
 地方に住みながら人間関係のネットワークを広げていくのは楽しい。昨日櫛田学長から社交的だと言われた。考えてみたら青少年時代には決してそうではなかった。心理学を勉強し、そして文化人類学で現地調査を行うことと年輪によるものと思う。中には付き合い難い人もいる。嫌われているだろうと思う人もいる。しかしいつの間にか消えていく。何故だろう。愛のキリスト教、シャーマニズムの呪力が作用しているからかも知れない(笑)。

 *写真は昨夜教会の礼拝堂に生けた小品

泣いた

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 なぜか皆が泣いた。朝鮮戦争で朝鮮半島の北の港である興南から家族が分かれて避難し、釜山の国際市場で生きてきた人の一生を描いた劇映画、それは感動的であった。「国際市場」や朝鮮戦争の記録映画ではない。戦争の悲劇をそのまま描写したものでもない。英雄的な人物の英雄談でもない。戦争、鉱夫、看護婦、家族など庶民の一人が辛い時代を貫いて生きてきた話である。主人公トクスは私と同年であり、私の自叙伝のようなものであり、多くの韓国人が共有するものである。さらに普遍的な作品といえる。それに感動して泣いた。すでに北からの避難民の生活ぶりを描いたトスンという女性像があり、トクスの男性像と双璧になっている。
 私と共有するものとしてドキュメンタリー的に見ては違和感がある。爆弾の火炎と煙は私が戦争中見覚えているものとは違う。当時の言葉ではないチョクパリダ(恥ずかしい)、恋人をオッパ(兄さん)、前髪のファッションなどは時代を知っている人に違和感がある。でも咸鏡道の方言などが上手くこなされており、懐かしくその時代を味わうことができた。感想としてはなぜ題目が「国際市場」か、「戦争の悲惨さをしらずに生きた在日の方が幸いであった」と言われた。最終的に私の研究室で10人が感想を語り、さらにそれぞれ矢印交差の混談、にぎやかで騒音的なクライマックス、それを韓国語ではナンジャン(乱場)という。

夏は雑草の季節

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 昨日早朝教会の生けた花の手直しに行った。前日に生けた花が萎れて新鮮さがなくなっていた。庭にまだ咲き残っている木槿の花、韓国の国花のムクゲの花を剪定するように切って生けた花で手直した。福岡から来られた牧師の李恵蘭氏が平安の神(God of peace)の聖句を以て「常に喜べ」と説教をした。私はクリスチャンになって半世紀以上、数十回も聞いた内容であるが実行し難しい話である。礼拝後私が生けた花の品評会のようになった。花に関心を見せた人は主に女性、「男(私)が生けたとは思わなかった」と称賛する女性もいた。
 夏は雑草の季節かも知れない。花が少ない。熱帯地方では花が少ないように感じたことを思い出す。考えてみると季節の花への認識が異なるかも知れない。秋に菊花、菊は栽培花の代表的なもの、鉢物から切り花まで広く多く使われている。菊花は一輪挿しよりは盛花、カーペットのような礼式用のもののデザインによく使われる。結婚式、葬式などに広く飾られる。菊が終わり紅葉になる。紅葉は材料にはなってもメインにはなれない。そして季節はやがて白雪に変わっていく。私の髪も白くなっている。

「冷水」文化

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 私が日本に住み30余年日本化されたものはなんだろう。自分ではなかなか意識しにくい。食生活はまだ日本化されたとは思えない。ただお茶を飲むのは完全に日常的になって私の日本化といえる。お茶文化は日本文化だけではない。昨日台湾台中市在住のフェースブックの友達である頼瑞濱氏からお茶が届いた。彼は私の本の愛読者にもなっている。私は台湾のお茶文化を共有、広くアジアの文化に触れた気分である。
 韓国・朝鮮にはお茶文化が欠如している。現在は伝統茶として流行っているが、コーヒー文化より遅く流行ったものである。高麗王朝までは朝鮮半島ではお茶を宗教的な供え物として「茶礼」があったが李氏王朝の儒教政策によって消滅した歴史がある。中にはお茶を好んだ学者の茶山がいた。しかしお茶文化は消えてしまった。お茶文化から「冷水」文化に変わった。「冷水を飲んで心を一新する(냉수 먹고 속 차린다)」ということわざのように現代の韓国人は温かいお茶から冷たい水を飲み、気分を一新して躍動するようになったのかもしれない。
 

 

ディベート

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 私はアメリカの大統領選に強く関心を持っている。アメリカには数回訪問したことがあっても環境整備などの点は日本より良いとは感じなかったにもかかわらずアメリカンドリームのようなものを持っているのはなぜだろう。自問する。それは民主主義と英語への憧れだといえる。それはまた私の朝鮮戦争時代に遡る。一時的にわが村に米軍が駐屯して日本語単語交じりの英語を聞き、日本語以外の外国語の英語に関心をもった。高校時代の英語の先生の指導からは英語の関係代名詞、仮定法などで難しく嫌な感じを受けた。しかし一時期高校で英語とタイプライターの科目を担当をし、米軍将校とコミュニケーションをしなければならずブロックンイングリッシュへ、それがいまに至っている。 
 長く待っていたアメリカの大統領のディベートにブロックンイングリッシュの私は集中した。私は以前から黒人大統領、女性大統領のアメリカの歴史を期待してきている。しかし一党の長期政権は望ましくないと思い、トランプ氏にも期待している。したがって私の心は半分半分、このディベートに関心があった。その心はアメリカの国民も同様ではないかと思われる。司会者がいても多少の反則は許され、ルールはゆるい。トランプ氏からクリントン氏の話し中にわり込みが多かった。それは挑戦と防衛の90分余であった。私は今週からの公開講座の担当者として多くのチームティチング、司会を努めなければならない。不安と期待が交差している。

ワンアジア財団の講座の案内

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 今朝の毎日新聞にワンアジア財団の講座の記事が掲載された。いよいよ今週の土曜日からから始まる。講義の進行が気になる。講師とのチームテーチングにSkypeで討論ができるようにしたい。一般市民の方々には折角の機会なので時間を作って都合のいい日だけでも参加していただきたい。

反日文化圏

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 読書会のメンバーの倉光誠博士が書かれた拙著『植民地歴史を正しく見る』に関する第2回目の3ページに及ぶ書評が届いた。ここに要約する。
 韓国人の反日感情が反日文化圏で最も強く、北朝鮮より強い。政府が反日感情を増幅させた文化政策、反日教育などを実施したことが主要な原因である。その反日感情が日本との外交上の阻害要因になっている。反日感情の程度が植民地の悪政と比例するとはいえない。歴史が悪かったから現在も悪いとは限らない。植民地時代より解放以後愛国志士(?)が多く現れた。それは韓国国内の「親日派」に向かって党争のようなものである。
 言葉や映画・ドラマのなかに「言葉の暴力」が許されながら日帝残滓清算が行われている。日本の植民地の意識構造から完全に抜け出ていない。イェ―ツのことば「英国の植民地ということを意識から完全になくさない限り、自由になることはできない。」という。もっと根本的に人間として自由にならなければならない。
 著者が再三指摘することに対して韓国ではどのような反応があるだろう。倉光氏は「著者の理性を失わない勇気に対して、日本国民としてどういう形でお応えしたらいいのだろう」という。韓国人から日本人に利用されているという批評があった。さらに彼は「安重根の暗殺は犯罪か、愛国行為かについて国家、民族の違いにより真反対の評価がでるので、正しい評価というものはむつかしい」という、安重根と伊藤博文の出会いは「小説より面白い」、「安重根はテロリストである」と本音を言う。テロリストはテロリストにすぎない。政治指導者が安重根に肩入れするのは間違いであると述べている。

*写真は今朝の朝日新聞掲載のワンアジア財団の講座の記事


ワンアジア財団の講座の趣旨

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「アジアの社会、文化と共同体」

崔吉城・櫛田宏冶

 

 「なぜ今アジア共同体か」と思う人も多いだろう。アジアの連帯と国際関係、 経済共同体の構築が可能であろうか。国際化(国家間の関係)やグローバル化(地球上の全てに広がる)に反して分離独立の地域中心主義など、グローバル化とナショナリズムが真っ向から対抗することも多く、EU統合をモデルに挙げて主張する人もいる。しかし人種・民族・国籍の壁をどう乗り越えて、環境の問題と協力、異文化交流と人的交流の拡大などアジア共同体の構想を主張する人も多い。

世界へ広がる勢いとは逆行する地域結束を意味するか。もしそうであればアジアという広い大陸を以て偏狭な内旋的集団化の思想に過ぎない。アジア共同体精神はアジアが世界の一部であり、常に世界に広がるというよりユニバーサルなスタンスを持つものである。ワンアジア財団の佐藤洋治氏の講演を聞いて、異文化をただ理解するだけではなく、異文化は異様な存在なのか、理解すべきか、蔑視すべきか、愛し合うこと、平和を作るという意思を強く感ずる。国家という壁を越え、東アジアへ、アジアへ、世界へ、地球への意思が読み取れる。それは共有すべく、私は本講座を成功させたい。

アジアとはどこまでか。地域概念と政治的単位である国家を意味する。東部だけでも東南アジア、東アジア、東北(北東)アジア、極東アジアなどの名称がある。東アジアとは“アジア大陸の東部に位置する、太平洋に面した地域”を意味する。西洋から東という方向、地域エリアを思い、日本を東端にして国家たちがあり、としては中国の東北三省とロシア・シベリア、朝鮮半島、台湾が含まれるだろう。中国の中西部や南部を含まれ難しく、むしろロシアが含まれるが、文化的に儒教文化・漢字文化などを共通の概念としたら、ロシアは含まれない。一般的には東アジアといえばすぐ日本、韓国、中国、台湾などの国家群を指す。

古くは中国を中心に思想、宗教、たとえば儒教文化[1]、漢字文化が伝播、輸入されて文化圏を形成した歴史がある。それはベトナムと東南アジアの華僑社会を含みより広い。それは東アジア共同体の広さを本質とする要因でもある。多民族社会や国家によりグローバル化は必然と思ってもよい。古代史の世界ではより地域的に広く移動性の傾向があったといわれる。

歴史と社会によって多様である。現近代史による歴史意識が国家間の関係を難しくしている。近代国家が誕生してからは国家間競争意識が高まって植民地、戦争などにより不和緊張が続いている。東アジアでは共同体は無理だろうと主張する人も多い。これらの地域はそれぞれの社会構造や文化をもって生存している。多様な民族が異なった文化を持っている。政治的には近代国家が国家意識を高めながら不幸な歴史を持っている。しかし尖閣諸島問題、竹島問題、日本海呼称問題、歴史の教科書、言葉の問題など国境が妨げになっている。グローバリズムとは逆行の国粋主義によって日本と中国と韓国は、それぞれ歴史認識の隔たりが大きい。

マレーシアのマハティール首相が提起した東アジア共同体論は主に経済的共同体であったが、安全防衛では東アジアを超えて広がってしまう[2]。ASEAN+東アジア3国による連携、アメリカなどは分裂的地域主義的共同体には否定的でありながらインドやオーストラリアなどが参加する。2005年小泉総理が「東アジア共同体の構築」の目標を宣言し、その2009 年鳩山由紀夫内閣から「東アジア共同体」が再び出て広く言われるようになった。彼の構想は欧州の経験を範として東アジア共同体形成を目指す点で、政治統合を目指すものとして従来日本でなされた構想とは異なった。

リーダーシップの問題になると大国の中国の存在がアップされ、日本と中間にある韓国の協力を得ることが大事である。そこには阻害要因がある。歴史問題で暗礁に乗りかかっている。韓国は共同体の本質より日本の右翼化を恐れる反共を見せている[3]。それは戦前の日本中心に叫んだ「大東亜共栄圏」という存在であるからである。歴史認識や靖国神社参拝・竹島(独島)の問題で日韓関係がギクシャクしている中、ソウルで日韓協力委員会により「東アジア共同体を目指す日韓協力」が討論された[4]。EUのような通貨統合に向けて可能性ありという人、反面無理しても外に開かれた形で自由貿易の壁を取り払うことが望ましいという意見がある[5]。それがアジア・太平洋地域の新しい秩序を模索する上で一定の影響を及ぼしている。それは日本帝国の侵略支配を正当化するためのイデオロギーやスローガンだという人もいる[6]

アジア共同体なのか―その原点を考えるか。現近代の国家や鎖国の王朝を除いて、国という枠を超えて1万3千年ほど遡ると人類の自然さに出会うだろう[7]。古ければ古いほどなつかしさが増す。それは歴史学のロマンスといえる。しかし近年最近史、歴史認識が話題になっている。特に戦後処理の問題が話題になっている。そして歴史が危険とされている。特にこの地域は経済発展を成し遂げて世界化が進んでいる。散発的な人口移動を含めて民族間の接触、協力が行われている。より質高いに協力のためには異文化の理解を共有していく必要がある。そこでアジアの連携、そして共同体的な認識が基礎になることを願っている。

前文化庁長官の文化人類学者青木保氏[8]は2009年東亜大学創立35周年記念公開講演で「東アジア共同体形成と学術交流」という題で重要な提案をされた。EUや「東アジア共同体」という言葉を聞くと通貨など経済的なことを思う人が多いが実は文化を考えなければならない。また「文化」というと中国に起源して朝鮮半島を経由して日本に定着したという古い説が思い浮かび、儒教文化や漢字文化云々と言う人が多い。しかしそれら漢字文化などは国によっては無くなったり深く地域化し、変異したりしており共通性を持つのは難しい。
 一番共有できるのは映画、音楽、マンガ・アニメなど流行する新しい現代大衆文化であり[9]、その文化の核心部を牽引するのは大学である。世界でアメリカの力は大きいのはその中核がアメリカの大学の機能である。東亜大学は「東アジア大学University of East Asia」として下関というロケーションからもよい条件がそろっている。その機能を果たしていくことを期待している。たとえば東亜大学と韓国や中国の大学が連携して「東アジア大学大学院」を作る。具体的には姉妹提携や講義交流より積極的に共通の文化を研究する人材を育成する必要がある。そのためには財団設立と経営、言葉の問題など解決していく。それ自体が異文化を体験することであり研究することにもなると述べた。

崔吉城は2013年東亜大学40周年記念シンポジウムでグローバリジェーションと国際化が進んだと思われているが、それが危険性を持っていること、つまりボーダーレスを作ることになると述べ、ナショナリズム、右傾化が見られ、また国境をつくってきたことを指摘しながら経済的な面からだけではなく、東アジアの文化共同性の構築の重要性を指摘した。ペルシャ湾岸の文化、対馬海峡との比較で、運河や海峡の概念について触れ、海はもともと国境がなく、「海峡」とは国境概念がなく、共有するものだ。元々共有すること、つまり関門海峡と朝鮮海峡[10]の海境界を超えていく、境界を超えるボーダーレス越境観念から考えると「東アジア」において、慰安婦、靖国など歴史認識問題が横たわっている事から政治家たちだけではなく、学者による歴史認識論をテーマにして、インターネットを通して韓国、中国・台湾の姉妹大学を結ぶ遠隔授業の構想として「東アジア共同学術交流ネットワーク作り」を提案した。

私(崔吉城)はシャーマニズム研究からアジア共同体を考えてみる。それは韓国のキリスト教復興へ影響している。日本では神道や仏教が盛んでありキリスト教は受け入れにくいのと対照的ある。もう一つの研究は日本植民地、特に戦後の反日などを客観的に見ようとしている。反日的な「独立記念館」反共的な戦争記念館などがある。反独裁や国内的なものの展示はないこの点。この点はカンボジアのポルポトへの批判、アメリカのアフリカ歴史博物館などが見本になるだろう。

本学通信制大学院にはブロードバンドシステムがある。それを利用して大学が共同体構築の核心部を牽引していきたいと考えている最中にワンアジア財団から支援を受けることになった。東亜大学を発信地として下関から東アジアへ文化交流、文化政策などへの提言と学生や市民との討論ができることを期待している。インターネットを通して現地の研究者と繋げて映像参加を含め、討論もできる。経済、政治、文化、防衛などの交流、連帯が可能となりえる。本講座は上述した文化共同体を考えてきた経緯と脈をともにする。

ワンアジア財団の佐藤洋治理事長はすでに世界的に「アジア共同体」講義の創設を支援している[11]。広い地域、多様な民族、国家、組織が存在し、民族、国籍の壁を作る要因を持っているが国境を超え世界が一つになることを希望している。

 

本講座では東アジアの文化共同体に注目して要点を挙げておく。順番は不順である。

1.   佐藤洋治の「やがて世界は一つになる」という現状を説明する。姜信杓は代表的な国際化現象のスポーツの国際化と問題点に注目して「スポーツとオリンピックから見るアジア」で国家間競争、スポーツナショナリズムの問題点が問われる。それにしても鄭俊坤は「いま、なぜアジア共同体なのか」と問題を提起する。

2.   グロバール化とナショナリズムの対抗はどう理解すべきか。鵜澤和宏は「アジアの人種、そしてアジア共同体」で近代国家成立以前の遥か遠く数万年を遡ってから現在までの人類史を検討する。

3.   近代国家成立以降ナショナリズムや民族主義が現れる。その歴史に迫っていく。原田環の「東アジア3国(日本、朝鮮、清)の近代化の相互比較」、金俊の「アジア言説の再構築と新型共同体の形成について」、黄智慧の「多民族多文化社会の台湾からみるアジア共同体の構築」、上水流久彦の「民族構成とナショナリズムからの脱出」、松原孝俊の東アジアの国際交易ネットワーク」が議論される。

4.   地理的境界意識がある。川村博忠の「絵図から見るアジア」、小林茂の「東アジアの近代地図研究と地図画像データベースのネットワークの可能性」で議論できる。

5.   地域差や壁とともに言語の壁がある。孫蓮花の「アジアの社会、言語とアジア共同体の構築に向かって」、非文字文化として金田晋の「アジアの美」が議論される。

6.   黄有福は東亜大学創立記念を祝い「アジア共同体の形成と異文化コミュニケーション」を講演する。

7.   総合シンポジウム

講座は下記の如くであり、多くの学生と市民に参加を呼びかけたい。

 

 

月/日

講演のテーマ

講師名

1

10/1

アジアの社会、文化と共同体

崔吉城(東亜大教授)櫛田宏冶(同学長)

2

10/8

多民族多文化社会の台湾からみるアジア共同体の構築

黄智慧(台湾・中央研究院教授)

3

10/15

アジアの人種、そしてアジア共同体

鵜澤和宏(東亜大教授)

4

10/22

アジア言説の再構築と新型共同体の形成について

金俊(中国・浙江工商大学教授)

5

10/29

絵図から見るアジア

川村博忠(東亜大非常勤教授)

6

11/5

いま、なぜアジア共同体なのか

鄭俊坤(ワンアジア財団特別研究員)

7

11/12

アジア共同体の形成と異文化コミュニケーション

黄有福(中国・中央民族学院名誉教授)

8

11/19

民族構成とナショナリズムからの脱出

上水流久彦(県立広島大准教授)

9

11/26

スポーツとオリンピックから見るアジア

姜信杓(韓国・仁濟大學校名誉教授)

10

12/3

東アジアの国際交易ネットワーク

松原孝俊(九州大学名誉教授)

11

12/10

東アジア3国(日本、朝鮮、清)の近代化の相互比較 

原田環(県立広島大名誉教授)

12

12/17

アジアの社会、言語とアジア共同体の構築に向かって

孫蓮花(中国・大連理工大学准教授)

13

12/24

アジアの美

金田晋(東亜大学教授)

14

1/14

東アジアの近代地図研究と地図画像データベースのネットワークの可能性

小林 茂(大阪大学名誉教授)

15

1/21

やがて世界は一つになる

佐藤洋治(ワンアジア財団理

 

 


[1]加地伸行 『儒教とは何か』中公新書1991

[2]財団法人霞山会、『東亜』2010年4月号特集「東アジア共同体の多角的検討」39ぺージ

[3]미야지마 히로시 「일본동아시아 공동체론의 현주소」 『역사비평』 2005년 가을 247ぺージ

[4]日韓協力委員会「日韓協力」平成18年4月1日

[5]財団法人霞山会、『東亜』2010年4月号特集「東アジア共同体の多角的検討」12-26

[6]김정현 일제의 대동아공영권 논리와 실체 역사비평1994 가을호 71페이지

[7]ジャレド・ダイアモンド著、倉骨彰訳の『銃・病原菌・鉄』草思社文庫、2012

[8]『「日本文化論」の変容』中公文庫 1999、文化庁長官、日本民族学会(現在の日本文化人類学会)会長歴任

[9] 張竜傑「イデオロギーと脱イデオロギーの狭間から--韓国の青少年が夢中になる日本のポピュラー文化」土佐昌樹・青柳寛編『ポピュラー文化が紡ぎ出す<想像のアジア>』めこん2005

장용걸 「일본 대중문화의 수용에 나타난 문화마찰과 반응에 대한 고찰」 『일본문학연구』 2호 2000; 일본 영화 만화 등이 1999년 일본문화 개방 정책으로 수입되면서 일본적인 것이 한국화를 하면서 존재하게 되었다.

[10]国際的 には大韓海峡(Korea Strait)は対馬海峡全体の呼称

[11]すでに350か所の高等教育機関に支援した。

長周新聞2016.9.30の記事

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下関の東亜大学は、「ITによるアジア共同体教育の構築」をテーマに10月1日から、市民が参加できる公開講座を開催する。日本、韓国、中国、台湾の学術研究者を講師に招いて来年一月二一日まで一五回にわたり、毎週土曜日・四時限(午後二時半から四時まで)開講する。教室は同大学13号館二階202教室。学生、市民との討議を通して文化・教育の面から人種、民族、国家の壁をこえた交流を深める。
 担当の崔吉城教授は「グローバリズムが叫ばれる一方で、ナショナリズムと国家間の競争意識が強まり、尖閣・竹島などの領土問題、日本海の呼称や歴史教科書などをめぐって政治的な不和・緊張が高まっている。東アジアは、政治的には植民地や戦争など不幸な歴史を持ってきた。海はもともと国境がなく、共有するものだ。経済面や政治家たちだけにまかせるのではなく、日韓中の学者が共通の文化を研究する人材を育成し、異文化を理解共有し、平和な東アジア文化共同体を構築していきたい」と語っている。学者による歴史認識論をテーマに、インターネットによる韓国、中国、台湾の姉妹大学を結ぶ遠隔授業を構想していたが、このたび「ワンアジア財団」の助成金を得て、この公開講座を開設することになった。
 第一回目10月1日は「アジアの社会、文化と共同体」をテーマに崔古城教授と櫛田宏治学長が講演する。各回ごとに民族、人種、言語、文化、スポーツ、言語、美学、交易、ナショナリズム、絵図一地図などをテーマに、国内外の学者の講演を予定している。
 受講料は無料。問い合わせは、同大学事務局広報室(083-257-5151)。

「アジアの社会、文化と共同体」 崔吉城・櫛田宏冶

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 朝から会場の教室で礒永氏以外に二人の学生白君、柴田君そして家内と友人の前田氏が準備をした。演題付着、受け付けのテーブル、トイレ掃除、資料印刷、案内の張り紙など。最も重要なことは白君、柴田君の協力によりSkypeで映像講義ができるように設置したことであった。ようやく中国、韓国、日本の5箇所につなげて映像で講義に参加していただきコメントもいただけた。私は確認する予備会話をすることができた。その時点ですでに私は十分に疲れていた。読売新聞以外の毎日新聞、朝日新聞、山口新聞、長周新聞の全新聞が報道してくれたが全学的なオムニバス形式であっても校内の教務的協力は不十分、他の大学からは一人も参加しないまま講義が始まった。
 市民に公開、ITによる講義で「なぜ今アジア共同体か」を問う講義の第1回目であった。学生以外に40名、下関の知的活動のキャパシティ、マキシマムであった。櫛田学長と私のチームティチングの縁、それは一緒にアジアを旅行しながら多くのことを話し合ったことであった。私は自己紹介を兼ねて全体の趣旨を話した。ナショナリストの私がなぜ親日派と言われたか、砕いて話をした。そして映像の上の登場人物の紹介に続いて、国際化やグローバル化への反動的な地域中心主義、グローバル化とナショナリズムが真っ向から対抗する民族主義の危険性のある国境の壁をどう乗り越えていくかに触れた。大連理工大学の林楽青氏、孫蓮花氏、大連大学日本学部長の林教授、韓国世明大学の金弼東教授、慶南大学校の張竜傑教授、日本の大阪市立大学の堀まどか准教授、広島大学の楊小平氏が映像でコメントを頂き私と会話を進めていった。ITによる講義としてよい経験であった。その後福岡毎日新聞本社から取材に来られた三嶋記者らと私の研究室で暗くなるまで話は延々と続いた。

 

「下関と釜山の物流」

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 最近忙しい日が続いている。時間に追われている家内が外での用事を済ませ急いで学校に来て手伝い、必要なことを全部済ませ、夕方帰宅時に運転をしながらガスに火をつけたままだったと思い出した時はあまりにも遅すぎ。わが家は火事になったかも知れないとひやひやしながらマンションの駐車場に着いた。マンションに変わった様子はなく、下から見上げた窓のカーテンがそのままで少しり安心。急いで中を確認。ガスは自動で止まっていた。感謝そして反省。クリは美味しくできていた。昨日5年目である「楽しい韓国文化論」の講義が終わった。友松会長は登録者が多く、出席率も良く、内容も質高いものだと評価し、今度のテーマの「釜山」は良かったという感想を述べる人が多かった。講義終了後、特に高齢者にとって頭の体操のためにも講義を聞いて考える機会にしてほしいと曖昧な言葉を投げてしまった。記念写真も撮った。
 最終日であった昨日は魏鐘振氏が「下関と釜山の物流」を担当した。釜山港の改築発展の様子と未来像を語った。自由貿易区域設定などの話をききながら朴正熙大統領時代に馬山、龜尾の輸出団地を思い出した。それが韓国経済発展に貢献したといわれたがそれが生かされたか、全く新しい発想であろうか。11月4日(金)~11月7日(月) 釜山(金海・伽耶文化歴史めぐり)の現地研修旅会にも定員超過、金井山城のマッコリの試酒なども楽しみとなる、その日程が残っている。

 

伊東順子『病としての韓国ナショナリズム』(洋泉社、2001)

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 「暮らしにくい韓国」「国境を越える韓国人」「海外同胞五百万」などの章が続く伊東順子著『病としての韓国ナショナリズム』の読書は読むというより私の辛い経験を思い出すものであった。ナショナリズムは外人だけではなく韓国人を追い出す力にもなっているようである。著者は1990年代の韓国のナショナリズムを韓国での日常生活、西洋人との付き合い、観察によって綴っている。西洋からのある留学生が「それでも中国人や日本人の中には学問上の友人ができたのに、韓国ではそれすらできなかった」という。私が韓国の大学で教鞭をとった時、日本から有名な歴史学者が訪問してきたので同僚の韓国史専攻の教授に紹介しようとしたら断られたことを思い出す。彼は後にソウル大学の教授となった有名なナショナリスト学者である。
 「韓国人は全員がナショナリスト?」「韓国人はいつもわが国。わが民族。全員が国家代表みたい」といわれる韓国の開天節、10月3日BC2333年前開国したという神話による国慶節である。私は昨日広島で開かれたその開天節記念行事に参加した。300人ほどの参加者で終始密立して式が行われた。ただ国旗への敬礼はなかった。日韓親善のための祝辞などを聞いていると総領事との別れ、酒を一緒に飲んだ彼の人脈のような雰囲気があった。私も知っている顔もあって、伯和グループの安本会長とは久しぶりにあって嬉しかった。宇部市長などとも久しぶりに会った。一緒に参加した楊小平氏と多くの時間を共にし、いろいろなことを話すことができてうれしかった。

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