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東亜日報の新聞配達

  私の履歴には新聞配達がある。高校1年生の1956年に私は「東亜日報」300余部を配達した。学費調達のためではあっても新聞社への関心もあって後に朝鮮日報の編集局長を勤めた同級生の印輔吉君と話し合って始めた。当時は新聞は夕刊4面が一般的であり、新聞を折る作業をしてから走りながら配達する。300余家への道を覚えるのは難しかった。細道からアパートの廊下、庭、塀を通り抜け、南山の麓の岩道を走った。時には朝にも配達したのに何故か忘れている。時間を守り、集金することなど大変な仕事もあり、急用で休もうとしても替わり継ぐ人を探すのは無理、覚えさせるのも大変であった。後に東亜日報の愛読者、東亜放送のラジオに出演、女性東亜に寄稿したこともあった。私はこの経験があるから日本に無銭留学をすることができたのである。
1970年代には 東亜日報の記者たちが独裁政権に反政府運動をして記者職を失った。中には私の友人、知人もいた。金君はルンペンになった。植民地時代に反日民族主義の新聞であった。ベルリンマラソンの孫選手の優勝、日の丸を墨で塗りつぶした事件などで民族主義は称賛されている。今韓国の新聞の多くは反日である。その民族紙を運んだ私が今日本に住み、韓国の民族主義を見ている。そして世界を眺めている。

*写真前列が私


プロパガンダ的記事

メディアが世論づくりに悪影響を及ぼしているという意見が一般的である。それが事実であるか否か。それを検証してみよう。ニュースを伝える韓国のある新聞記事を例にする。昨日閣議で大統領権限の黄氏の発言報道である。
 大統領権限代行の総理大臣が10日日韓外交紛争で、慰安婦の犠牲者の問題については、状況の悪化をもたらすような言行は自制するのが、日韓関係の未来志向的として望ましいと述べた。記事はこのように書かれてから<大統領権限代行は、安倍晋三が釜山の日本総領事館前の慰安婦少女像の撤去を迫りながら、長嶺安政駐韓日本大使を帰国させるなど連日強硬発言を吐き出し、韓・日関係を悪化させることに対する抗議表示と解釈される>とした。上の記事は事実報道と記者の解釈で構成されている。 解釈でアベ総理は 少女上撤去を迫って日本大使を帰国させるなど連日強硬発言を吐き出し、韓日関係を悪化させることに対する抗議だと解釈した。 1)少女像撤去迫り、2)大使を帰国させる、3)連日強硬発言を吐き出し、4)韓日関係を悪化させる。 安倍晋三は行動と言動で韓日関係を悪化させているという。
 論説ではない記事がこういう大きい結論を以て解釈するということは記事というレベルを超えた論説あるいはプロパガンダ的であろう。文中にはより感情的な 表現こそ自制しなければならない。このような例は日本の新聞でも少ないとは言えない。このような記事を通して読者は影響を受けて世論が形成されて行くと私は考える。

 여론 조성에 미디어가 잘 못하고 있다는 의견이 일반적이다. 그것이 사실일까. 그것을 검증하는 방법이 있을까. 뉴스를 전하는 글을 보기로 한다. 한 기사를 들어 본다. 어제 국무회의서 황교안 대통령 권한 대행이 발언 보도이다. 

   황교안 대통령 권한대행 국무총리가 10일 한·일 외교 갈등으로 비화한 위안부 피해자 문제에 대해서 “상황 악화를 가져올 수 있는 언행은 자제하는 것이 한·일 관계의 미래지향적 발전을 위해 바람직하다”고 밝혔다. 황 권한대행은 이날 국무회의를 주재한 자리에서 “한·일 양국 정부뿐만 아니라 모든 이해 당사자들이 합의의 취지와 정신을 존중하면서 한·일 관계 발전을 위해 계속 노력해 나가는 것이 필요하다”며 이같이 말했다.
 위의 문은 사실대로 전한 부분이다.  위의 기사는 사실보도와 기자의 해석으로 구성되어 있다. 해석문의 주체는 아베이다. 소녀상 철거를 압박하며 일본대사를 귀국시키는 등 연일 강경 발언을 쏟아내며 한일관계를 악화시키는 데 대한 항의라고 해석한 것이다. 1) 소녀상 철거 압박, 2) 대사를 귀국시키기,  3)연일 강경 발언을 쏟아내며,  4)한일관계를 악화시키는 것. 이것으로 보아 아베는 행동과 언행으로 한일관계를 악화시키고 있다는 것을 말한다. 논설이 아닌 기사가 이런 큰 결론을 해석이라고 한 것은 기사 작성의 기본을 모르거나 다른 의도라는 것으로 밖에 볼 수 없다. 더욱 감정적인 등의 표현이야 말로 자제해야 되는 것이다. 이런 예는 대부분의 기사에서 볼 수 있다. 이런 기사 등을 통해서 독자는 영향을 받고 여론이 형성되어 간다고 추측할 수 있다. 말과 문자의 보도가 향상되기를 바란다.   

 

先が暗い

 久しぶりに藤中和岳氏と話をした。彼は「小倉魂」(?)という雑誌の下関版を担当するようになったという。関門を挟んだ文化圏を生かすという趣旨であり、私も賛成した。話中に下関の知人、友人の名前が多く登場した。彼は私に言う。自分は下関が地元であるが下関出身ではない私の方が自分より下関に知人、友人が多いのではないかと私の人間関係のネットを称賛した。その直後小倉から大久保裕文氏が訪ねてこられた。また話は人間関係のネットワークに広がった。また多くの地域名士、知人の名前が上がった。地域に生きるということは田舎侍のように布団の中で羽を広げるのではない。津々浦々英雄を掘り出して町づくりが行われている。地元から世界へ視線を投じるべきである。韓国は反日鬱憤、中国は高慢な中華思想、膨張するアメリカが視野に入る。暗い雲が寄せてきている。どう生きるべきか。先が暗い。

ワンアジア講座14回目

   明日14日ワンアジア講座14回目小林茂先生の「東アジアの近代地図研究と地図画像データベースのネットワークの可能性」という講義が行われる。先生は大阪大学の名誉教授、疾病や資源利用などの研究しておられる方である。波浪と低温が予報されていて心配である。今まで学生30余名、一般市民延べ120余名が出席した。21日の最後の講座ではワンアジア財団の理事長による「やがて世界は一つになる」という講演と奨学金が授与される。
 講義が一段落してもワークショップが続く。2月16日3時から5時まで山県順子氏の「慰安婦について」の発題による討論会を行う。人権問題や政治的問題を排除しながら根本的な意味を追求してみる。問題意識は政治的なところから持ち出すが、そのものではない。希望者はメール、メッセンジャーなどで一報してください。
 

蝋燭集会は火遊び

 『月刊朝鮮』の編集長の文甲植氏は1月号に崔スキャンダルと大統領弾劾について「蝋燭集会は火遊びに過ぎないかも…」と述べ、弾劾にも反省を求めている。客観的知識、冷静な判断の言論人のように感ずる。私に新年のグッドニュースが届いた。東亜大学東アジア文化研究所の客員研究である中村八重氏が韓国外国語大学校日本語大学融合日本地域学部に副教授として赴任することになった。広島大学以来、研究会などで彼女らと私を囲んで集まっていると「広島学派だ」と冗談が飛ぶこともあり、嬉しく思っている。より安定したポストで良い研究が続けられると期待する。
 民団新年会で呉公太団長が釜山日本総領事館の前の少女像を撤去してほしいと語ったのは意外のことであり、歓迎する。韓国政府から組織運営の支援金を得ながら運営される民団として日韓合意を支持するような発言とも思われるが、不安定な韓国の状況においてこのような発言は勇気があるといえる。海外の同胞が本国へ影響するのは世界的な現象ともいえるが民団はその影響力が非常に弱い。しかし、今度は勇気ある発言だと思う。
 

戦争用の地図を以て資料化

  昨日はこの冬最寒の日、公開講座には最悪の日であろうと思ったが意外に多くの人が集まって嬉しかった。なにかそのような状況で真面目さをテストされるような気がする。講師の小林茂先生が大阪から来られ、一緒に弁当を食べながら打ち合わせをした。私は初対面であり、お互いに古い学者の名前を上げながら学縁をたどりながら、いただいたご著書の『外邦図』をめぐる話になった。外邦図とは何だろう。序文に「明治期から第二次世界大戦終結まで,日本がアジ ア太平洋地域について作製した地図を『外邦図』」という。私はすぐ距離を縮めるような気持ちになった。
 私は昔、地図を以て民俗調査をしてスパイだと密告された屈辱的な出来事の数回の例をもって話しをした。その軍事秘の地図,終戦時に多くが焼却処分されたものを研究するということで私の関心は高まった。教室には柳井や山口から著名な地理学者のお二人、川村博忠先生、河村克典先生が参加されれてコメンテーターの礒永准教授を含め4人の地理学者のお話を聞くことができた。小地理研究会のようにならないように、楽しく、専門的過ぎにならないように配慮した。講義は日本以外にもアメリカ、韓国、台湾などの資料を探してデジタル化している状況をインタネット検索によって進行して現場感も浮いてきた。戦争用の地図を以て資料化するのは皮肉な感がするが、実は武器を以て平和を、戦争を以て平和を研究するような感がする。

生け花は私の作品

時々生け花の写真を投稿したことについて愛読者の中では私の家内の作品と思っている。実は私の作品である。もちろん家内の品評を受けるのが常である。そのことについては本欄でも生け花は女性独占か

2008年10月25日など数回触れている。    山口県の有名な画家と生け花の展示作品を鑑賞した。花器、枝、花と絵など、季節が表われ、掛け軸と調和した大きい作品が多く、水準も高い。私は一つ一つの作品の前に立ち止まって集中して鑑賞し、美しさに感動した。ふと周りを見ると観覧者も結構多いとわかった。しかし、展示場全体に男性は私一人だけであることに気づいた。違和感もあった。日本では男性にも花を生ける人がいないわけではないのに、鑑賞する人は女性専用のようであった。生け花は「女性の文化」といえるのだろうか。
 韓国では男性は生け花などには手をつけるものではないという固い社会慣習がある。しかし私は若い時Herbert Read著Meaning of Artなどを読み、花が好きで1960年代末金ジョンシュン生け花教室を覗いてみて、自習して趣味としているのでこの場に立って感動しているが、このことが女性文化への侵入か、男女別のある枠を犯しているかのようにも感じた。韓国では家政学がほぼ女性に独占されているようであり、発展が遅いと思った先輩学者の故金東旭氏が服飾の研究書を出した時、ある著名な女性学者から「男の研究だから細かくない」と批判されたことを覚えている。しかし今金氏の研究は女性専門家たちの貴重な先行文献になっている。生け花の美しさも女性だけのものにしておくのは、男性にとって「もったいない」感がする。それは幸せに関するものであるからである。男性も花を生け、生け花を鑑賞しながら幸せを積極的に共有すべきであると思う。

言論自由とはなんだろう

 私は原稿請託されて今日韓関係の問題になっている慰安婦について書いたら掲載不可と言われた。紙媒体はより言論の自由がないと思っている。その時ある女性読者から電話が掛かってきて慰安婦について私の意見を聞きたいという。一瞬頭がこんがらかった。講演依頼も来ているのでその時話をすると答えた。御用学者もいけないが、真実を語らない研究者、メディアも問題である。言論の自由とはなんだろう。研究に基づいて意見を出すことができないのは言論の自由がないからだと思う。

 先週講義に来られた著名な地理学者、小林茂先生は植民地と戦争による地図作成の研究の権威者であるので、現在の竹島など微妙な問題に意見を求めたら「発言できない」と言われた。それは学界の一般的な風潮になっているという。発言すべき研究者や専門家が発言できない社会なのだろうか。もしそうであれば天皇退位について有識者が集まって健全な討議ができるとは思えない。特殊な「有識者」が語るのを信用すべきなのか。アマチュア「無識者」だけが本質を喋るのか。民主・民衆主義は一般人や政治家が語るようになっている。豊洲問題に登場したもう一人の小林雄一先生はどなたの意見にも肯定的に応じて参反を判断するには参考にならないような解説だった。私はマンションの地下水が汚染しているか否かは関係なく「安心」「安全」に生活する。地下水とは関係なく地上の生活には問題がないと専門家は言うのに小池知事がアイドルのようにメディアにでて、政治politicをし、行政governをしない感がする。
 


<お知らせ>

 今週土曜日(2017.1.21)午後2時半から4時までワンアジア財団支援講座「ITによるアジア共同体教育の構築」 の15回の最終回は同財団の理事長佐藤洋治氏によって「やがて世界は一つになる」が行われる。公開講座であるので多くの市民の参加を願う。
 「教育の構築」とは講義方法の改善に挑戦するものである。講師中心ではなく、知識伝達の注入式ではない講義を行なうことにした。担当者は毎時間講義のイントロで予告、前時間の講義について学生たちのコメントを紹介し、講義終了前には学生や市民の質問時間をもって質疑をした。講師とコメンテーターの議論をインターネットにより教室の外側の現地の研究者と繋げて映像参加を含め、Skypeで質疑に参加し、討論もできるというのがこの講座の特徴であった。
 本講座は試験的な実験でもあった。外部(沖縄、名古屋など)、海外(オーストリア、中国、韓国、台湾)の多くの優れた研究者との映像交流はワンアジアの可能性を味わうことができた。講義の状況をフェースブックで同時中継し、紹介映像には1000回以上再生され、講義を広く共有することができた。学生30人弱、一般人延べ150余人が参加して、下関にとって画期的な企画であったと思う。講義の終わりに同財団からの奨学金が、奨励金、出席回数の多かった市民には記念品が授与される。

平均寿命

 2年前ソウルで親しい高校の同級生たち6人が会って楽しい時間を過ごしたた。高齢者たちの集まり、健康が話題になった。その時、ゴルフで優勝し健康を自慢していた人が亡くなった。保健、健康管理に自信を持ってその秘訣を話してた人が仲間の中で一番先に亡くなった。健康と寿命は別の話ではあるが、生きていなければ健康も無意味である。日本の平均寿命が長いのは安心感を得るが、それに近い人、あるいは超えた人はどう思うのだろうか。私も平均寿命に近づきつつあり、むしろ平均寿命が死期を感じさせられるような気分になる。今校正や執筆を多く抱えていながら昨日はある出版営業の人に来てもらい、もう一つの計画「研究所年報」発行について相談した。このような仕事が私の健康を保持しているのだろう。

「戦争と平和」

 「美人天国」と言われる韓国ソウルから女子高校生18名が本学を訪ねてきて私が対面、女性と男性、若者と高齢者の非常に対照的な対面であった。(写真鵜澤)嬉しい。西洋的な美人基準では韓国は体形的に決して特に美人とは言えないが、外見主義が美女、イケメンを強調する国である。世界的にも美容整形が有名な国である。メディアがそれを強化する風潮、結婚や就職まで影響している。手術によるファッション美人化する中、自然な人間社会で多くの人が敗北感、差別感を感じさせられる。自殺率は高い、外国への移民意識が高い。
 読書会で倉光氏が韓国語拙著書評で加害と被害の問題を提議して熱血討論となった。広島平和記念館など日本人は被害、被爆、だけを強調していて加害への反省がないと言われると指摘したことに、彼は日本人としては加害意識が前提になっていると主張した。私は大きいヒントを得た。性暴行された女性は日本が韓国より圧倒的に多いことは事実であろうがそれを訴える日本人女性はいない。それは加害意識持っているからだと気づかされた。
 戦争や被害を以て平和を求めるということに私は反対の持論、交通事故や戦争などの残虐なもの見せながら平和、憎しみを例にしながら愛せよ、まるでトルストイの「戦争と平和」の二項対立論に私は強く反対し、対抗した。そして平和は平和な事例をもって追及する未来像を主張した。

韓国版の民主主義の限界

 昨日暴風雪の中に花屋に寄り、生け花をし、今日東京から来られるお客さんを迎える応接間を飾った。家内が鑑賞してOK,それより私の自己満足のレベルで終えて、教室などを点検して整理が終わった時は真っ暗な夜、帰宅して最終講義で配る講義総括を書きながらアメリカの大統領の就任式の中継をみた。トランプ新大統領が誕生した。しかし世論は良くない。抗議デモもあり、狂った韓国版の民主主義の現場をアメリカで見るようである。選挙結果を認めないアメリカの民主主義はその限界であろう。それに代わるより理想的な制度とは何だろう。数百、数千年も続いた王朝、独裁体制に戻るのか、複雑な心境である。しかし私は民主主義を放棄したくない。今日ワンアジア財団支援講座の最終回が財団理事長佐藤洋治氏によって行われる。東京、広島、山口、韓国から多くの方が参加する。アジア共同体をこの町で叫けび、世界化へ広げようとする。

質問式講義

 窓際に置いた生け花は少し萎れても、手直す暇もなく、ワンアジア財団理事長一行を駅でお迎えし、カンボジア以来の再会であった。大学の玄関では学長、副学長ら教職員が並立して佐藤洋治理事長を待っておられた。私に大学がこのような広い「勉強部屋」を下さったと言いながら東アジア文化研究所に案内、記念写真を撮った。
 講座は鵜澤先生のイントロ、私が14回の総括の画像を流しながら要約、72才の理事長はマイクを持って移動しながら世界444大学の支援の状況から哲学、人類学のような話、生まれたばかりの幼児には自我があるのか、自我はどこにあるのか、脳か心かなど質問式講義を行なった。人は今日まで民族、国家などを作ってきたが、それを壊すのではなく、それらを生かしていくという「卒業」という言葉で越境を、「やがって世界は一つになる」希望を訴えた。
 最後に奨学金9人、奨励金5人、10人の皆勤市民にプレゼントが授与された。大学が総合的に盛り上がった雰囲気であった。韓国から釜山東亜大学校の李学春教授、啓明大学の中村八重准教授、フェイスブック友人の初対面の李氏、広島から金田晉先生、上水流久彦氏、楊小平氏が参加、その状況は今朝の山口新聞には180人参加し、海外研究者とのリアルタイムな意見交換もあったと報じている。
 積極的に支援協力してくださった財団、本学の学長、副学長、法人事務局長、多くの教職員、学生、市民に深く感謝したい。インターネットや映像関係には学生白君、柴田君、教職員に協力を得ることができた。これから映像編集を含め、報告書の作成に入る。まだ仕事は終わっていないが、一段落したのでお礼を申し上げたい。

 

餅文化「ワンアジア」

 東洋経済日報寄稿文(2017.1.20)  日本の新年が韓国や中国では年末の雰囲気になっており、今「旧正」(陰暦の正月)に向おうとしている。東アジアは古くは漢字文化圏とか儒教文化圏の共通する地域であったが、今は暦の西欧化は統一されていない。日本は1873年、韓国は1896年から太陽暦を採用してカレンダーとして使ってはいるが、最も重要な年の始まりの象徴的な祝日「お正月」をはじめ8月15の秋夕など名節を陰暦で祝う。私の世代では新旧の「二重過歳」が一般的であったが80年代に旧正へ、中国文化圏へ戻った。日本と北朝鮮は元首の誕生日により元号を使っている。カレンダーを持ってワンアジア作りは難しい。  私が担当する講座の講師である広島大学名誉教授の金田晉先生から日本が中国文化圏へ、陰暦の正月を祝うのはいかがかという提案があった。国づくり、地域づくりの営みとして、住む人の生き方として見直すべきであり、日本でも「旧暦」ブームがあると語った。それについて韓国の留学生の金君がお正月ぐらいは新正に祝うことができれば東アジア共同体への一歩になるのではないかとコメントをした。年中行事になると国によって多様である。日本の被害日である原爆記念日、韓国の3.1独立運動記念日など対立相反するものもある。  ワンアジア財団の佐藤洋治理事長はすでに「アジア共同体」講義の創設を世界的に支援している。広い地域、多様な民族、国家、組織が存在し、民族、国籍の壁を作る要因を持っているが国境を超えアジア共同体が可能であろうか。近代国家が誕生してからは国家間競争意識が高まって植民地、戦争などにより不和緊張が続いている。東アジアでは共同体は無理だろうと主張する人も多い。戦前の日本中心に叫んだ「大東亜共栄圏」があったからである。境界を超えるボーダーレス越境観念から考えると「東アジア」において、歴史認識問題が横たわっている。  悲観的であるだけではない。若い世代によって文化は共有していく。映画、音楽、マンガ・アニメなど流れて行き、新しい現代大衆文化を形成している。その文化の核心部の知識を牽引するのは大学である。アメリカの力の中核がやはり大学の機能である。その中で私は政治家たちだけではなく、学者による歴史をテーマにして、インターネットを通して韓国、中国・台湾の姉妹大学を結ぶ遠隔授業の構想として「東アジア共同学術交流ネットワーク作り」を挑戦している。   東アジアは稲作文化を共有している。その中には餅文化がある。正月には日本では鏡餅、韓国では白餅、中国では月餅を作る。年末年始には餅つきの風景をそれぞれ持っている。暦、祝日、餅は東アジア文化を表す。旧正に韓国は餅の雑煮を食べる。それを何杯食べたかの質問には自分の年で返事を返す。年を取り、オルン(大人)になり、尊敬されるオルシネ(大人様)になる。喧嘩は子供がするもの、大人には礼節があり、寛容がある。人間関係も和解する。日韓関係も和解すべきである。  

「やがて世界は一つになる」

 講座を終えてほっとする間もなく、本番と思い昨日関係した同僚や学生たちといわば反省会をした。インターネットと映像担当の白君はITによるという点について講師たちのパーワーポイント作成が学生たちには平凡古いような感があったという。PPTの効果的な制作から学生の助力を得たい。日本、韓国、中国、台湾から著名な学者による名講義ばかりであったが、アジア共同体への統合性はどうであろうか。次の講座に参考すべき点であり、総括して報告書を作成することにした。さらに講義方式も開発、考えなければならない。
 最終講義の理事長の講義に対する感想文を紹介する。講師がマイクを持って場内を歩きながらの質問式の講義には参反の意見があるが「話が上手く」「すごく面白かった」という肯定的な反応が多くあった。講義の内容については大学ではなかなかできない体験だった「為になる講義」であり、内容が深く考えさせられた。「自我のない人はただの動物」など倫理を考えた。人間は自ら壁を作ってきたが世界が繋がっていると意識でき、とても分かりやすくしかも深い。

 


ニューデイリー

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先週韓国のインターネット新聞ニューデイリー社長の印輔吉氏に電話をした。友人の死亡、そして健康の話が主であり、彼も私に運動をしなさいと言う。彼は忠清道の田舎からソウルの名門高校に合格した秀才、一番親しい友達であった。彼は印氏親族の奨学館の施設で自炊していて一時期そこに私が同居したことがある。私たちは受験勉強よりは文学の話を長くした。将来の夢を語ったことがある。彼は言論人、私は文学者になることであった。二人で新聞配達をしたことは前述したが、彼は言論人になるために体験したいと思ってやっていたのである。彼はドイツ文学科を卒業して朝鮮日報へ入社、編集局長を二度、傍系社の社長を経て今ニューデイリー社を創立経営する。
 先日ワンアジア財団の最終講義に100数十人ほど集まったことが話題になって先生方の協力があったからだとか私のフェースブックの情報提供による宣伝の力が大であったという話が出た。新聞に報道されなくてもインターネットによるものが早くて効果的であるという話を聞いて印氏に諮問を受けながらみんなでインターネット新聞を作ってみるのはどうかというところまで話に花が咲いた。私のフェースブック友に元国連事務総長潘基文氏が入った。市内ではいろんなところで読者に会うのが楽しい。ネットをより広げてコミュニケーションができればと思っている。

春風

 韓国から来られた李教授が韓国語で「もうすぐ春ですね、柔らかい春風が…부드러운 봄바람」という。日本では春風は「春一番」という嵐に近い風であることを彼は知らない。日韓の季節感は異なっている。韓国の姉に旧正のお正月祝いにお土産を送るよう韓国の知人にお願いしたら郵便や宅配が打ち切り営業を休止していると電話での返事。季節感とともに休日の過ごし方も異なる。韓国の大学に在職の時期には学期末になって学生たちと終講祝いをした覚えがある。今学期の文化人類学では性、愛、結婚、家族、差別などがテーマ、昨日の講義の終わりころモンゴルからの留学生がなぜ韓国人はいつまで慰安婦を問題にするのかと言った。学生たちと公開講座を一緒に行いながら無事に充実した授業を終えることができた。一方長い春休みに講義がないことが寂しく感ずる。満員エレベーターの中で韓国からの留学生が韓国の超一流ホテルに就職が決まったという、「泊まりに行くからね」と嬉しさを表現した。

謝る文化

  先週ワンアジア財団から多くの学生たちに奨学金が授与され、感謝している。授与された学生たちは感謝しているだろうか。私は留学時代に受けた奨学金や支援には今も感謝している。それは恩返しすべきだという心の負担ではなく、ただ感謝の心である。それが「礼」といえる。私は子供の時から中国の古典の話から中国は『礼記』の国だと聞き慣れている。その影響は東アジアに広がっている。その「礼」とは何だろう。それは感謝の心の文化であろう。
 謝罪とは何だろう。それは正義、倫理であろう。韓国や中国はなぜ日本に謝罪せよと叫ぶのかという。逆に韓国や中国には謝罪文化があるのか。伝統的に「礼」とは下の者が上の者へ尊敬あるいは服従の礼式であり、平等な心の関係とは言えない。昨日中国からの留学生に日常生活の中で家族や友人に謝るかと質問した。個人によって意識した知識人のことではない一般的に謝る、いわばアポロジーapology文化があるのか議論した。韓国と中国には「謝る文化」が存在しないのは私も経験的に知っている。したがってそちらから謝れ、謝罪せよというのは喧嘩、抗議、屈服させる戦略的な挑戦であることしかない。日本には謝る文化がある。その意味で謝ってきている。
사죄란 무엇 일까. 그것은 정의, 윤리의 문화이다. 한국과 중국은 왜 일본에 사과를 요구할까?. 한국이나 중국에 사죄 문화가 있을까? 전통적으로 「예의 」 라 하면 아래 사람이 위 사람에게 존경이나 복종의 예법이 있어도 평등한 마음의 사죄란 존재하지 않는다. 어제 중국에서 온 유학생들과 일상 생활에서 가족이나 친구에게 사과하는지 질문 했다. 지식인 외의 일반적으로 사과, 말하자면 apology 문화가 있는가를 논의 했다. 한국과 중국은 「 사과 문화 」가 존재 하지 않는다. 따라서 사죄하라라 부르짖는 것은 싸움, 항의, 굴복시키려는 전략 도전일 수 밖에 없다.
*위명온 화백의 그림과 창가의 꽃

メディア嫌い

 今日は陰暦の新年、「中国のお正月」といわれる日である。日本に住んでからこの「旧正」を意識することや祝うこともなかった。しかし隣市に住んでいる教え子が毎年この日に高級な精肉と栗饅頭を送ってくれるし、中国や韓国から留学生が多くいて多少その雰囲気に包まれている。韓国のテレビはこの名節の雰囲気を長く報じている。昨夜のプライムニュースでは産経新聞の黒田勝弘氏が韓国のメディアが、否、韓国人の気質が問題であるというコメントをした。朴クネ氏のメディアと政治家への素朴でジェントルな話も資料映像として流れた。その影響があってまた大きい朴クネをカーバーするデモがあったとも報じられ、韓国国民も多少冷静になっていく時期ではないかと予測した。
 トランプ大統領がメディアを嫌うことが理解できる。インタビューなどを編集、操作するというメディア不信である。生の声を編集、操作、ねつ造などとなったりすることがあると知っているからである。言論の自由という壁を作って民主化運動に便乗して君臨する。寓衆が知るはずがないので暴君になっている。生の声、文脈、レトリック、雰囲気などを充実に報道するようになればと期待している。先日2社のある新聞コラムに依頼されて送った文が断られた。その文を読書会で読んでもらって名文だ(?)と評価された(以下参照)。また慰安婦に関しての朴裕河氏の講演会にも一社も取材に来なかった。私はツイッター、フェイスブック、ブログに毎日投稿している。トランプと朴クネの両大統領もそのようになっていることが十分わかる。

 <烈女門と少女像>
 日本の太平洋戦争は植民地諸国を超えて東南アジアなどを含み広大に占領していった。太平洋戦争の最終期に韓国は戦場ではない後方(銃後)地として徴用、徴兵などで動員され、ものが収奪されたことは明らかである。戦後処理問題が残っており、現在まで日韓関係を難しくしている。その一つがいわば慰安婦問題である。それがなぜ植民地あるいは戦争の被害の象徴的なものになったのであろうか。それは植民者は絶対悪、被植民者は絶対善という二項対立的になっており、「和解のために」書いた著者さえ政治裁判的に裁かれている。
 多くの韓国人は少女像(慰安婦像)を見ながら女性の貞操を奪った日本民族は許せないと。呉公太民団団長は釜山総領事館前に設置された慰安婦少女像は撤去すべきだといったと報じられ、私は初めて民団から聞く新鮮なことばだと思っている。読者は唐突な話に聞こえるかもしれないが、私は少女像を見ながら朝鮮王朝時代の烈女門を想像する。それは私の想像に過ぎないことではなく、歴史的史実である。豊臣秀吉朝鮮出兵の壬辰倭亂の時に日本の将兵たちが朝鮮の女性の貞操を汚したことへの憤怒と怨念で烈女門(夫以外にセックスのない)が多く立てられた。それは蒙古の侵略に処女供出に憤慨した事と同様である。儒教によって女性の貞操は強調された反面男性についてはほぼ放任された。女性だけに強いられた貞操観である。韓国では最近まで姦通罪、貞操に関する刑法が成立していたのがそれである。
 少女、烈女、慰安婦は何を意味するのか。少女と烈女は貞操を意味する。私は烈女門の変身が少女像だと感じている。慰安婦は貞操が犯された汚れた女性を指す。それを日韓に相応してみると日本は悪の植民、韓国は善なる被植民の二項対立的、つまり悪の日本人が善なる韓国の女性の貞操を奪ったということになる。それは反日以前の原初的な韓国社会の特質といえる。
 朝鮮戦争の時国連軍による性暴行があった。平和軍であり、民主主義を守ってくれる天使のような軍人が、みんなが手を振って迎えたのに村の女性に性暴行することがあった。兵士の婦女への性暴行により、結局村に売春婦たちが入ることになり、性暴行はなくなった。儒教的な倫理観が強い村が戦争という不可抗力、性暴力の恐怖によって、住民たちは売春婦を認めざるを得なかった(拙稿『韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたのか』)。朴正熙大統領時代には妓生観光があったが日韓関係で大きく問題化することはなかった。
 反日感情にこのような慰安婦問題を載せると国民統合や外交の効果が倍増する。政治家は世論を引き上げるのに貞操感を持ち出す。元慰安婦の人権を著しく傷つけたことへの誠実な謝罪が必要だと主張する人権主義者たちやフェミニストたちとも連携しやすくなる。韓国政府は常にセックスや性倫理を政治に利用してきており今も日韓において不和の火種になっている。

死線の壁

 壁をなくして国際化、グローバリゼーションへというボーダーレスに逆行するトランプ大統領の壁を作る話が気になる。写真で見ると壁は高い柵のようなものである。それより丈夫なものを作るのだろうか。韓国の155マイルの休戦線をモデルにすればよいかもしれない(笑)。以前北朝鮮から柵に穴をあけて侵入した事件があってから、鉄製柵、それには地雷を埋めトリガー線の網をかけており、柵付近には、足跡の確認用の砂を巻いている。それだけではなく、GOPから軍人が見張りをする。それを超えることは殺されること、つまり死線の壁である。私はその内側に入ってGOPで見張りしたことがある。北朝鮮側にはこのような施設はほぼない。私は朝鮮戦争直後感電死の現場を目撃して、その兇悪のトラウマを持っている。刑務所では電流拷問を行っていると聞いたことがある。
 アメリカが出入国管理を厳格にするのは自由であるが、「壁」を作る話は異様な感がする。梯を作るという人もいる。メキシコからは祝福の地であるアメリカであること、アメリカ行きを熱望するメキシコ人に移民入国の開放政策を取り、不法の転入や滞在を取り締まるように知恵を絞ってほしい。日本は少子化に悩みながらも移民は受け入れていない。ここにも見えない高い壁はある。

*写真593x282-20.6kB-Mexico-Guatemala Border Wall :...
 

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