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Channel: 崔吉城との対話
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『地方から考える社会保障』(2016)

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 1年間受けた1級障害者手帳を返納した。免税や駐車などに恵まれたことに感謝である。その内訳を聞く韓国人や中国人たちがやはり日本は社会保障が良い国だと反応する。しかし私の心は障碍があると意識があり特に健康に気を使っていた。障碍者の心を体験する時期でもあった。田辺よし子氏は幼い時の小児麻痺による障害を持っている下関市議会議員である。彼女は母親や校長先生などに感謝をしている。そして強く生きる勇気を『地方から考える社会保障』(2016)に綴っている。
 ネットで私の命の恩人姜亨龍博士が韓国で去年亡くなられたことを知った。享年95歳。私は先生の『柚堂姜亨龍古稀文集』を探して読んだ。そこに私が書かせていただいた寄稿文には病気や障害は人を弱くしても強くもさせると書いてあった。私は強く生きている。私の人生には母、妻、恩人、恩師、友人・・・たくさんの人々に囲まれている。感謝の季節である。

 


暦と美

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 明後日土曜日12月24日2時半から東亜大学で金田晉教授が「アジアの美―暦による美意識のアイデンティティ-」について講義が行われ、同大学川野裕一郎教授がコメンテーターを勤める。金田氏は美学が専門で「美的体験と時間」を以て「アジアは一つ」であると暦について語る。岡倉天心(1863 -1913)が『東洋の理想』から「脱亜入欧」暦の西欧化を主張した。日本は1873年、韓国は1895年、中国は1912年、それぞれグレゴリオ暦にした。世界共通の時間の尺度をもつことは便利である。交通機関の発達、情報機器の発達に対応することができる。
 金田先生は「旧暦」という呼称の誤解/東アジア共同体の提唱/彼我異なる「正月」への違和感がある。韓国や中国やベトナムでは、一緒に正月のお祝いで賑わっている。これからアジアの時代。アジアの一員であることを政治、経済の側での発言が最近盛んであるが、そうであれば、お正月ぐらいはいっしょに祝ってもよいのではないかと語る。私の考え方とは少し異なり、良い議論に発展することを期待する。

聴聞会を生中継

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국정농단에 유감 표명…"미리 알고 막았다면 좋았을걸 내가 미흡해 송구""정윤회 문건때 최순실 존재 알아…"최순실 靑 출입도 몰랐다"
우병우 전 청와대 민정수석은 22일 국회 '최순실 국정농단 국정조사' 청문회에 출석해 최순실 게이트에 자신이 관련됐다는 의혹을 모두 부인했다. 우 전 수석은 특히 최순실 씨를 아는지에 대해 "현재도 모른다", 최 씨를 개인적으로 만난 적이 없다.


 読書会では宮さんの論文の骨組み、外国語教育の教科書に文学作品をどう利用するか議論した。1960年代の欧米での言語教育教科書づくりの動向の変化について、私は、例えば「吾輩は猫である」をどう教えるかと訪ねた。


 1.夏目漱石の文学作品の出典などの文学史的説明をする。
 2.猫という動物のキャラクター、隠喩法、効果的な文章表現を知る。

 多くの教師たちは日本の戦前の教科書や現在の韓国や中国の国定教科書のように、1.つまり文学史の内容になっているのではないかと問題提起。

 王さんは中国で日本語勉強の動機は日本に対して肯定的あるいは否定的イメージ、勉強者数の増減に相関せず一貫するような傾向があるといった。面白い指摘である。
  夜12時まで韓国のYTNにより聴聞会を生中継で視聴した。文字版利用、発言制限マイクオフ、議員と証言者の一対一式の対話式で進行された。私はアメリカや日本などのものを思いながら見守った。質問者が上位であるようなこと、特に聴聞者たちが無知、無礼であり、証言者は冷静知的であるように対照的な印象を受けた。ことに質問者は説明、主張、無礼、脅迫など言いたい放題であった。証言者は「否定、知らない」と繰り返していた。これだけでは今度のデモ騒ぎは何だろう。政治的、法律的な不正問題より国民の権力者への不満、鬱憤が朴クネ氏に向かって虐めになったようにしか思えない。

『満洲モダン―만주 모던』

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 満洲は日本の傀儡植民地つまり日本は満州を主権国家のように見せかけながら植民地を行った。日本は満州を開拓、近代化を行った。それは十数年間に過ぎなかった。その植民地満洲から引揚者は150万人ともいわれている。彼らは日本の社会へ大きく影響したことは周知のとおりである。例えば北海道開拓史である。満洲植民地には朝鮮人が多く開拓農民などで移住した。終戦後朝鮮半島への引揚者は80万という。彼らは満州での経験で、戦後の韓国の近代化に貢献したという名著がある。社会学者であり釜山東亜大学校の総長の韓錫政氏の『満洲モダン―만주 모던』である。
 植民地の本国と被植民地の関係の研究はあっても被植民地と被植民地の歴史を語ることはほぼ知られていない。その未開拓の分野を明らかにしたものである。彼は朴正熙大統領をはじめ満洲からの引揚者たちが韓国の近代化へ貢献した活力を満洲での体験によるという内容である。私から見ると植民地経験によるものとは思われ、植民地研究をより広くみる衝撃を受けた。近いうちに直接あってお話を聞きたくなった。

 

美術館から広場へ

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 メリークリスマス!大晦日、新年という折り目をもって繰り返しながら時間が流れる。時間は無色、直線的に流れるが太陽を観察してそこに周期が潜んでいることを見つけて1年という単位を設定したのが太陽暦である。またお月の周期から陰暦を作ったのである。生物の生命はただ生まれ成熟していくだけである。周期には繰り返すというリズムがある。その流れに高度な感じ方がある。科学者や芸術家などはそれを感じている。
 昨日のワンアジア財団講座で金田氏は絵に表れた季節の表現に迫って分析した。それに川野氏は現役の画家として、光などは認識しても季節や時間までは意識していないと、金田氏の意見に鋭いといいながら今アジアでは美術も広場でパーフォーマンス化しているという現象を指摘した。それを受けて私は美術館から広場へ、花火、爆音、大型スクリーン、パーフォーマンスの芸術の大衆化を話題にした。陰暦のお正月で中国文化圏では爆竹などで祝う。金田氏は日本もそれに加わわるのはいかがかと言った。私は反対の意見を持っていながら言わなかった。韓国からの留学生の都君は韓国の暦は食べ物を通して、あるいは新年を占うことで感ずるといった。正鵠を刺す意見であり、それに私は日本が花を以て、韓国は餅を以て暦を表現することを対比して語った。
 

 

『冥界婚』

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 山口新聞コラムの2か月のエッセイが今朝2016.12.26の今回の寄稿が最後となる。月曜日の休刊日が二回もあり連載回数が少なく、とても残念と思っている。もっと読者との機会を持ちたかった。今朝の掲載文は次のようである。

 私が何を研究しているか知らない人は多い。特に下関では私の研究を披露する機会を全く得ていない。その一つを言っておきたい。私は巫俗信仰研究者として北川皆雄監督の映画『冥界婚』製作の協力者であり、去年東京のポレポレ東中野でそれを上映後、初対面の陰陽師作家の夢枕獏氏とトークショーを行った。また来年2017年3月24-26日には長野県松本市で「死者と生者の通い路」をテーマに映画「冥界婚」について在日作家の柳美里氏とトークショーを予定している。いつか下関でもそんな機会を願っている。
 冥界婚とは死後結婚のことである。中国、韓国、日本、アフリカなどにもある。死後に家族制度の相続のために行われるが、もう一つ重要なのは死者の怨恨を払うために行う。韓国の済州島で行われるものは前者の祖先崇拝的なものであり、東海岸地域では巫俗信仰として死者の怨念を払うために行う。この映画『冥界婚』は船上で死亡した青年の霊を慰安、結婚させ、あの世に送る儀礼をドキュメンタリー的に制作したものである。未婚者である34歳の船員が海上漁業中に事故死、しかし家族は本当の死因は不明であるとして、その死因を明らかにする。さらに、独身で死亡した息子に死後結婚をさせる。それはなぜか。未婚者の死後の怨念とは何か。独身主義者が多い民主自由社会とも言われる今、考えて見るのも良い。

 昨夜担当者から「冥界婚の上映が下関や下関の近場で行われるよう願っています(上映に合わせたトークショーも興味津々で是非聞いてみたいです)。また執筆していただけたら幸いです」とメールが着いた。

執筆中

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 冬には珍しく本格的な雨の中、定期受診。朝刊拙稿コラムの感想を語ってくれた初読者は主治医の池田先生であった。掲示板には産経新聞下段全面広告に先生のインタビュー方式広告が載っている。いつもの受診の時に拙文にコメントをし、下関では文化意識が低く文化活動が難しいというご自分の体験を語ってくれた。それは地方の小都市だというだけではない。音楽会などの開催においても隣接の市に比べて関心の低さの話であった。私は地方に住んでいても地方性に制約されず常に世界に開放し挑戦中である。
 原書読書などで夜まで大学で過ごす。数人の教員たちに会って言葉を交わした。年末年始のまとまった時間には研究論文を書くつもりだと言う言葉が多かった。真面目な研究者たちに勇気づけられる。私はこの年末年始休暇に執筆中の『韓国の巫堂』を終わらせようと心を固めた。
 
 

 

宗教人類学中堅崔吉城教授急な日本行:派閥的な国内学界に衝撃」

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 感謝しお歳暮を交換し、一年を振り返ってみる年末になっている。特に今年は文化論や講座を通して行事を行い、印象に残る出会いが多かった。私の過去を振り返ってみると忘れている事も多い。しかし印象的なものは覚えている。記憶の限界、記録が助かる。私は日本に留学したこと、さらに日本に移り住む決心は人生にとって重要な契機であったが、記憶が乏しい。資料整理中にある新聞記事が見についた。
 韓国の「世界日報」(1991年3月23日)に私の送別講演「韓国民俗研究の動向と反省」に任晳宰,李杜鉉氏をはじめ崔仁鶴,崔來沃,金泰坤教授など民族学界の中堅学者20余名が参加、次のように書かれていた。「宗教人類学中堅崔吉城教授急な日本行:派閥的な国内学界に衝撃」と題として「民俗・人類学界の中堅学者である崔吉城教授(啓明大)が文教当局の人類学と増設に対する没理解と国内学界の派閥的雰囲気を叶えられず23日日本に発つ。(略)崔教授はその間専攻と合わない啓明大日本学科に居候しながら国内関連学科にポストを模索したが叶わず結局達成できなかった。彼の急な日本行きは学問的業績とは関係なく出身学校と個人的利害関係により派閥風土に落ちている国内学界に反省の衝撃波を投げている。(略)以下略」
 当時の記憶は薄いが私は国際化時代と日韓関係は近くなるだろうという夢を持っていると言ったと覚えている。それは記事化されていない。
 

 


漢字文化圏といわれて、それが難点

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 昨日韓国の出版社社長と通話。以前は日本での出版における印刷などの価格が比較的に安い韓国、台湾、中国などに依頼することがあった。最近は費用的にそのメリットはほぼなくなっている。しかし私は別の意味でそのような印刷や出版を進めている。それは国家中心の出版から国際化への真の挑戦といえるからである。そこで難点が見つかった。漢字である。東アジアは漢字文化圏といわれているが、それが難点であることは皮肉なことである。漢字の略字、正字などの使い方が異なるのである。コンピューターでは国家によってソフトが異なり、特に印刷用のデザインなどのソフトが異なっている。例えばMSワードで作った原稿が変換の時、特に印刷用のソフトに入力する時漢字のフォントが化けるなどトラブルが起きる。
 それでもあえて日本語、韓国語、英語による『絵葉書から見る近代朝鮮』(全7巻)を韓国で出そうとする意味は大きい。先日最終編集会では国家中心の表現を越境的な表現に統一した。技術的にはグローバル化していくが文化的バージョンはそれほどアップされていない。日韓の漢字とフォントの調整、地名表記、インク、紙の質などはまだまだ問題が残る。さらに現地音で表記すべきか、国家中心か、簡単ではない。出版の国際化への道はそう簡単ではない。

「吉田清治の長男、衝撃の告白」

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 昨日今年最後の読書会は安倍総理のハワイでの演説のような、メモを以て話すことと日常的な話とはどう異なるかを社会言語学的に検討した。宮さんとの原書読書、欧米のニュークリティズムNew Criticism、ロシアの形式主義者Formalistsに触れた。たとえば詩poetryの言葉は日常の言葉にたいする組織的に暴力化された言葉(ogarnized violence, deautomatic...)という。文学の言葉と日常の生の言葉とは異なる。レビーストロース、ヤコップソン、チョムスキーなどの理論の主要なポイントに再び感動した。生の日常の話が形式化され、記録され、また口演されるのが今の現状である。それはメディアによって虚説、歪曲されているものもあると思われる。今新しいプロパガンダ的メディアによる社会が洗脳されている。記者の記事文の書き方は読む時注意すべきである。ニュースを伝える記事が評論的になっているものも多い。「……と言った」というべきものが「……と非難した」などのコメント類記事である。映像メディアは繰り返しによりインプットさせることである。
 釜山市東区の日本総領事館前で28日市民団体が一時、少女像を設置したが同市東区職員や警察が撤去し、市民団体メンバーに反発を受けているとのこと。「屈辱的な慰安婦合意に反対する」「平和の少女像を設置し、日本の戦争犯罪を記憶する」と主張した。メンバーの一人の礒永氏が『新潮45』にジャーナリスト大高未貴氏の吉田清治の長男、衝撃の告白の掲載号を貸してくれた。その慰安婦問題の嘘の発祥地は下関であるように下関が頻繁に現われる。嘘のパーワーは大きい。まだ嘘と思っていない人、国も多い。大高氏の文を読んで嘘か、事実かがより分かりにくくなった。それは日常的な話に近いからである。文学の言葉ではないからだといえる。

「嫌と反を超えて」

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 東亜大学校の韓錫政教授から京都新聞に掲載された「対話」が届いた。「嫌と反を超えて」とヘッドから示唆される日韓国交正常化50年記念記事。善悪「二分法を飛び越える」「客観的に解明、知識共有を」など異例な表現が綴られている。多くの日本人は韓国人でも良い話をしていると感ずるかもしれない。なぜなら韓国では日韓に関しては言論の自由がないと思うからである。しかし中には正しい知識人がいるといえる。

 散歩がてら家内の買い物に付き合った。年末の雰囲気がない。なぜであろう。祭りや行事が多く、祭りに飽きがきていると一人つぶやいていた。千数百ページの監修原稿の、最終校正をしている。やはり年末年始の雰囲気がない。年賀状は書き遅れている。 

 

謹賀新年

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 昨年までは誰かを招き大晦日を過ごしたが昨日は例外的であった。家内が私の好みの大根スープ、豆もやしナムルなどご馳走を作った。お祝いの意味だろう。小さいコップにはビールも入っていた。一気に飲んだ。良かった。しかし完全に酔っぱらってしまって不調な一瞬であった。横になり、一新してNHK紅白を見始めた。歌、演芸、トーク、ユーモア、踊り、ダンス、先端の技術と光の舞台、そして司会などが最高であった。比較するのは変かも知れないが、日本人たちは韓流ポップに負けるような感がないとは言えなかったが、昨日のものはやはり日本の技術と芸術はアジアの最高であると思えた。外国人が混ざるようなオーバーな国際的色はなかった。ただ本当の日本文化のものであった。除夜の鐘がなると同時に門司港の花火が上がった。深夜12時の火花は朝鮮戦争以来のことであった。
 子供時のような祭りなどが繰り返されても思春期を繰り返すことはできない。命はただ時間によって戻ることなく変わっていく。輪廻転生という信仰があるが希望に過ぎない。命はただ生きている。それは死に至るまで変化する。それが自然である。しかし死刑が怖いようにわれわれは死を恐れている。天国、極楽という信仰に救われることもある。今日は日曜日とお正月が重なっている。牧師は何を語るのだろうか。日本人の多くの人は初詣、何を考えているのだろうか。あなたは死に向かっているのか、天国へ向かっているのでしょうか。

2017年、「新年、あけましておめでとうございます。幸多い一年でありますように」

 謹賀新年 昨年は健康に恵まれ、皆様に支えられて調査研究(カンボジア、中国、韓国)、著書『植民地歴史を正しく見る』出版、「楽しい韓国文化論」「アジア共同体」などを行うことができました。幸子は下関、森山病院10年勤続で表彰されました。ありがとうございました。今年もどうぞよろしくお願いいたします。二〇一七年元旦崔吉城・菅原幸子

流配(島流し)の刑と弾劾

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 新年礼拝には意外に多くの人が参加した。長老たちの家族・親族が多く、普段の3倍ほどであった。牧師は説教中信者たちにお互いに声を出して新年の挨拶をするよう数回勧めた。韓国人牧師の特徴である。初めて来られた人には不都合なこと、時間をオーバーしながら繰り返しの「説教」であった。その牧師とココスで昼食。一緒に参加した信者が彼女(牧師)のロマンスグレイ―を美しいとほめた。自然なヘアーだという。
 朴大統領は化粧に関心が高いのか。夜のKBS9時ニュースで彼女自身がその問題のセウォル号事件の日に美容手術を受けていたのではないかと疑われたことに彼女は正面から「とんでもない」と否定した。私は彼女の言葉を信じて嘘ではないと思う。私も韓国の大学で総長の秘書から嘘つきだと言われたことを覚えている。「とんでもない」。何も弁明や解明はしなかった。
 私は短期間ではあるが高校の国語の先生をしたことがある。古典に松江、茶山、尹善道の作品を教えられ、また教えたことがある。3人は罪を犯した人として流配(島流し)の刑を受けながら名作を多く残した。作品を教える授業で、作品中心は良いが、罪については政治、陰謀だと簡単に言い切られる。つまり「裁判は正しくない」ということを教える。憲法や法律は「鼻に掛けると鼻輪、耳に掛けると耳輪になる」という民衆の法意識が強い。その点沖縄も似ている。律法主義も困るが法の上の民心も問題である。彼女も弾劾を受けながら名言、語録を残すかも知れない。

*写真は2017年祝砲の門司港の花火 

裁判の年賀状

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 郵便や電子通信の年賀状の交換がある。クリスマスカードに返答が遅れ、年賀状も間に合わず、旧正月にしようかと思っている。陰暦の文化圏の韓国、中国でもカレンダー上では西暦で新年を迎える。それは暦上であり、喜びは少ない。謹賀新年の挨拶と一緒に朴裕河氏から裁判での陳述文がメールで届いた。すでに広く報道されたものである。 2016年 12月 23日法廷で読んだものである。私は日本学科の教授であった時期に韓国で反日の苦労との闘いがあり、感情的に共有。朴氏には心から同調、応援している。昨年夏には下関まで招請、講演会も行った。私は声援する。朴氏の以下の裁判長への言葉には痛感、感動した。
    裁判長様 慰安婦問題を知った後、この問題についての私の関心と行動と執筆はすべて慰安婦のおばあさんたちのためのものでした。また、既存の常識に異議を提起することは、学者の当然の役目であり、韓国に居住しながら日本を教える日本学の専門家として、義務であると考えもしました。何よりも、事態を正確に知るために、生産的な会話が開始され、適切な批判も可能であることは、日韓関係に関連する最初の本を出す時から私の一貫した考えです。『帝国の慰安婦』は、そのような考えで書かれた本です。 재판장님.
위안부문제에 대해 알게 된 이후, 이 문제에 관한 저의 관심과 행동과 집필은 전부 위안부할머니들을 위한 것이었습니다. 또한, 기존 상식에 이의를 제기하는 것은, 학자의 당연한 본분이자, 한국에 거주하면서 일본을 가르치는 일본학 전문가로서, 의무라고 생각하기도 했습니다. 무엇보다, 사태를 정확히 알아야만, 생산적인 대화가 시작되고 올바른 비판도 가능하다는 것이, 한일관계 관련 첫 책을 내놓을 때부터 저의 일관된 생각이었습니다. 〈제국의 위안부〉는 그런 생각에서 쓴 책입니다.
 私は「親日派」という悪口の中、反日国家において植民地歴史を正しく見る研究をやり始めた。朴氏も日本語学科の教授として慰安婦問題に関心を持って研究をすることは当然であり、同感、感謝している。しかし私は社会運動には手を出さない。卑怯と言われるかもしれないが、運動になると一つの標語を持って突進し、客観的な立場を持ち得ない憂いがあるからである。研究結果より評論的な意見、主張が多く、反対意見も多いところに傾いていて、社会運動的になっていくのが私とは異なる。昨夜BS朝日テレビで長時間討論で韓国、中国は歴史認識を持って反日カードを使うのはいかに日本政治が上手くてもやめさせることはできないと言い切るのを聞いた。出演者たちの結論は韓国や中国が言論の自由がより普及されるまで待つしかないという。それを見るまで私は生きているだろうか。
 

クレーム

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 坂道を初散歩、私は完歩したがミミは半分で抱っこ。二人とも老化が進むがミミが早い方である。遊び玩具もいろいろであったが、今はベッドで寝る時間が長い。散歩への意欲はあって吠えるのは変わらない。私はミミの吠える声にはよく応じている。それさえしなくなる寂しさを想像する。吠えるのは犬の特徴である。以前隣の大型犬が吠えて近所の人からクレームがあった時ご主人曰く「村を守ってあげてるの」と返事した名答を思い出す。笑い番組で最近クレームが多く、除夜の鐘や花火、祝砲などが難しいという。クラクション、爆竹などうるさい騒音時代から「静かな夜」時代へと進んでいる。最近クレームが政治や社会へも影響している。クレームが民意だと思ってよく聞いてあげるという。その多くは不平不満である。その中には正義や人類愛がなければならない。犬が吠えるのには愛がある。


「蒲生正男来訪」

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 年末年始休暇には執筆や校正で連続数時間作業をした。後頭部に痛みがあり、警報を感じて休みを取り,また仕事を始めた。1960年代の手帳を見て確認することもあり、中に私が会った日本人の文化人類学者の名前を確認した。1971年2月10日10時「明治大学の蒲生正男来訪」と書かれている。その時の韓国文化人類学会長の梁在淵博士と夕食をしたのを覚えている。その時代は記念写真を撮るようなことはなかった。私も後に写真、録音、撮影などをするようになった。英文タイプライター、ハングルタイプライター、ワードプロセッサー、コンピューター、スマートフォンなどへと変わってきた。過去を振り返ってみるといつも原始時代から現代まで長く生きてきたと感じている。
 手帳の住所録を見ると多くの人と付き合って交際の幅も広く変わってきた。長い付き合いもあれば一時的な人も多い。また多くの人はこの世を去った。去年で私の恩師は全部なくなられてしまった。どう生きるか。今更…。しかし若い時は人生観など考えなかった。ただ生きるプロセスであった。それが失敗か成功かも感じなかった。今悟るような気がする。悟れるかと思ったら後は短い。新年のお祝いには寂しさもある。
 

 

「仲良くいきましょう」

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 日本人が特に西日本の人たちが好きな韓国の都市、去年の「楽しい韓国文化論」のテーマであった釜山の日本総領事館の前に慰安婦少女像が建てられた。韓国の暗いニュースの中でも最も残念なことだと思う人も多い。どの国でも外国人に不快感を持たせるようなことをしないのが観光の一番政策であるがなぜこのようになっていくのか残念である。昨日の新年読書会では慰安婦の根本を考えて議論した。私はまず戦争被害の一番の犠牲者は死亡した人であると前提にした。しかし死者は戦死などで軽く処理されるような傾向がある。生き残った傷痍軍人なども戦争処理などで問題にされないようである。戦争に直接加わっていない子供や女性、いわば慰安婦などは人権問題とされている。人権主義者、フェミニストによる社会運動は当然である。世界的にはアムネスティ運動、それは下関でも行われている。しかし問題は韓国は政治的、しかも日韓関係のカードに使っていることである。私はその根本は朝鮮王朝の豊臣秀吉侵略の時の女性犠牲者の祭りなど、貞操ナショナリズムから、つまりセックスナショナリズムとして明らかにした(『韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたのか』ハート出版)。お正月番組でながくコメディーを楽しんだがウクレレを演奏しながら「陽気に仲良くいきましょう」と歌うピロキの姿が見えなかった。
 *読書会のメンバーの田辺正樹氏はメンバー全員に花を持ってこられた。3人欠席分まで私が持って帰って生けてみた。

平地風波

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 日本には言論の自由があると言うがどうだろうか。個人情報、プライバシーなどが過剰になり自分の存在さえないようにする人がいる。出生届もしない方がよいのではないかと思われるほどである。しかし政治家や芸能人などについては本人にとっては明かして欲しくないことも報道されている。しかし天皇については自制なのか言論の自由がないようにも見える。不敬罪がまだあるのだろうか。天皇ご自分が「退位」を言い出して平地風波を起こしている。お仕事が大変と理解する国民は多い。国民の最高の地位、最高の贅沢、幸せの頂点におられるというと、多くの人は自由がないから不幸であろうとも言う。羨望の地位であるのにそれを退位するという発言は評価される。しかし、高齢になって世俗的制度引退のようなことを言うのはいかがなものであろうか。日本国家の象徴であれば世俗的なことを言い出し、平地風波を起こすべきではない。

神様に一円玉

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  昨日は土曜日でも朝早くから出勤、研究室の模様替えと大掃除をして看護学院の事務長や同僚、留学生などが集まって茶話会になった。2時近くなってラーメン屋で昼食、猿回し、本屋、美術展にもよった。公開講座に熱心に出席した方々に小さい記念品を決めた。私は商店には軽く入れない。入った時は小さい物でも買わなければならないという若干の負担を持っている。数回試着をしても買わない人をみると異様な感さえする。昨日の美術展には安いものはなかった。50万以上の作品が多く、買えずに出た。買わずに出ることは心苦しく、家内を残して先に出た。このような小さい不都合なことは家内に任せることを家内は知っている。猿回しは面白いが猿は苦労か、遊びか、熱演した。私は一階上位からみたが、観客は喜んだが後で回した箱に出すお金はほとんどワンコインであった。劇場や舞台では結構高い料金を払うのにただで喜んだ帰る人も多かった。気前がよくないと思うと家内に話した時、神社などの賽銭箱に一円玉を投げて祈る風景が思い浮かんだ。一円で数億の価値あることを祈るようなことは滑稽な風景である。教会では給料の10分の一の献金が決まっている。一円と数万円の差を神様はどう思うか。人は言うだろう。それはお金ではなく、心の印であると。

私の履歴書

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 私が出席している教会の近くの小学校にはたった二人の新入生、結局併合合併するという話を聞いた。大学も定員減少など人口減少は深刻である。在日下関教会は現在牧師がいない。昨日は大きい会堂に10余人ほどしか集まらなかった。教会の閉鎖危機になっている。臨時責任者の朱文洪牧師がハングル版「福音新聞」に小人数教会での信者と対面する重要な意味を書いている。私も学生が少ない時こそ質を上げるチャンスだという主張をしているのと同様、彼に同感した。昨日の牧師のメッセージは12人のイエスの弟子たちによって世界宗教となったキリスト教に関するものだった。帰宅して再放送の瀬戸内寂聴氏の「私の履歴書」をみた。
 私の履歴書はどうであろう。進級がある。軍隊では候補生から中尉、大尉、予備軍大隊長へ、講師から副教授、そして教授まで、いろいろ役職があって任期終了などがある。しかし唯一「降等」されたものもある。それは教会でのことである。韓国の監理教会で試験まで受けて勧士になったがそれが広島教会では認められず執事につまり降下されたのである。多くの教会では教授は厄介な存在かも知れない。私の履歴書には山あり谷あり、登りがあり下りがある。そろそろすべての荷物を下ろす時が来ている。教会の卒業を考えている。
 

 

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