明日からの馬関祭りで朝鮮通信使行列が行われるが台風が心配であったが行事に支障はなさそうである。知人や友人が今日の朝鮮通信使行事に招請され参加するといい、ソウルから中村八重氏も来るというが私には全く情報がない。それでも噂と宣伝で参観するのは10余年目になる。しかし私は只今下関市立博物館所蔵の「朝鮮通信使江戸登城図」を韓国語と日本語で本として出版を目前にし「祝辞」も書いている、その他朝鮮通信使シンポジウム主催、研究会、講演会など数回朝鮮通信使に関して主催している。市民が大勢呼ばれる集いが今日午後あるようであるが、下関市の主催者側から私にはお誘いは全くない。どうして毎年参加しないのかと言われても、情報もお知らせももないのがとても残念である。
朝鮮通信使
中村八重氏が下関へ
古い師弟関係に変わりなし。馬関まつり調査のために韓国外大の中村八重氏が下関へ、昼食の席で自著交換、上程をした。私は最近新著の『朝鮮戦争で生まれた米軍慰安婦の真実』を上げ、彼女からハム・ハンヒとオ・セミナ著の訳書『海を渡った「出雲屋」~韓国のパンの百年史』をいただいた。私は植民地期の生活史を執筆中であるが、暗黒期といわれる植民地時代の生活が覗ける地方史として日本の地方の出雲で出版されたものである。植民地期には韓国人も日本や戦地・占領地などにモチ、豆腐などの店をもって出かけたのも面白い。その例が拙著『慰安婦の真実』にも書いてある。彼女に一読を薦めた。意外にも弟子たちは私の拙著を読んでいないようである。
「正直、公正」
昨日またもう一人の弟子と昼食をした。私に啓明マフィアのニックネームがついた時代の代表的な弟子の一人、蔚山大学校の魯成煥教授である。彼も定年が近いというので昔の話になる。彼はいう。私から行政役職はしないようにと言われて、それを実行して研究を続けていると。私は当時植民地研究会を提唱し旗を上げたが「親日恐れ群」(?)がついて来なくて、離れていった古い弟子たちに残念な気持ちを持っているが、それを広島大学で実現できたことに満足を表した。韓国で私の植民地研究を否定的に見ていた人たちが今になって研究し始めたことを指摘したことに、彼は中心人物が日本に行かれ「先生」を失ったのが大きい原因だという。彼は百種という民俗を研究のためにベトナムへ行く予定だという。私とは学問的に遠くなったと感ずる。しかし師弟関係には変わりはない。
今朝のBBCでローマ法王のPopeがアイルランドダブリンで演説するが動画が流れている。現地調査をした時を思い出し、市内の風景が懐かしい。1200年前の教会で礼拝したことを思い出す。法王は典型的なカトリック国家であるアイルランドで主に教会の中の不正義、女性差別の改革reform within the Catholic Churchを訴えている。カトリック教会だけの話ではない。プロテスタント教会、多くの宗教、そして世俗社会へのメッセージである。石破氏が「正直、公正」を標語にして総理選に挑戦している。日本人は正直、勤勉などのイメージを戻してほしい。
週刊誌のインタビューのを受けた
昨日は午前中に喧嘩見物、午後は戦争の話であった。何故か喧嘩の見物から戦争の話で終始した。午前中は5,6人が関わった喧嘩、不快ではあるが面白さもあった。主人公のパーソナリティや教養などが表れた。午後は喧嘩から戦争の話に替わった。ある週刊誌記者が朝鮮戦争に関してインタビューをするために東京から来られた。彼は下関では安倍総理、田中慎弥、そして私は3番目であるという。彼は拙著『朝鮮戦争から生まれた米軍慰安婦の真実』を精読し、メモか下書き文を用意して要点に迫って質問してきた。私は本に書いたこと以外にもリアルな体験を話をした。映画や映像に観るような戦争とは異なる私の「怖さ」について語った。また子供が見物した戦争、大人が楽しむ人の喧嘩について語った。辛さと楽しさ、怖さと面白さ、彼の記事にはどう表現されるのか、早く読みたい。
待ち会い場所は百貨店の本屋
ここ下関では最近の天気予報が合っていない。雨が欲しい。降雨予報が数回あったが旱魃が続く中、昨日の午後予報なしの俄雨が若干降った。朝夕は涼しいが予報は外れている。私の予測や期待も外れることが多い。時々会う場所を百貨店の本屋にしているが、本屋であれば相手も本を目にするかと予測したことである。しかしそれは外れている。書棚の本に視線を配る人はほとんどいなかった。本が売れないことが分かった。しかし私は本を書いている。大学の東アジア文化研究所が出版、発行ができるようになった。小規模でも、レベルの高いを本を出版していきたい。
『インパール作戦従軍記』
猛暑日が続く。クーラーのない病院で死者が出たとニュースが流れた。しかし季節は変わる。田邊氏の農園からとれたまくわうりの味が夏の最後、我がヴェランダには真っ赤なハイビスカスの花が咲く、これで夏が終わると思う。鉢花を増やしてはいないが、成長してスペースをとり、玄関まで一杯になった。昔は鉢花が萎れ、枯れてしまったが今は上手くお世話ができるようになって長生きをしている。記念やお祝いにいただいた蘭類も増えつつある。ハエがくる花?(写真)が神秘的にも花が咲いた。どうしてこのように神秘的に美しいのか。誰の作品であろうか。自然の美しさに感動する。今精読している火野氏の戦争手帳の本『インパール作戦従軍記』を読んでいるが花名・樹名が多く出てきて楽しい。火の木、合歓の木、アカシアの並木・・・、芸者などが散見する。華麗なる旅行のようにも感ずる従軍である。軍人手帳によるものである。日記とは異なる。日記から読み取れる悲惨な戦争状況は少ない。
海峡座劇団の65周年記念祝賀会
昨日原稿の校正原稿をひとまずまとめ終わり、次の作業に入るところで出かけた。昨夜は下関地元の文化人の集まりに参加した。海峡座劇団の65周年記念祝賀会、回想談、回顧談、アルバム画像などを聞き、視る時間であった。劇団の演芸などは一切なく、ただ郷土の地元文化人たちは後付き合いの時間であった。民団と在日の方は見えない。郷土愛の深い地元人の固い皮を砕いて入らせていただいたような席であった。地方から東京への進出が夢のように語られた。私はよそ者からの挑戦である。私は恩師が韓国で演劇研究の最高権威者、私も民衆劇に注目して研究したがここには私の業績を知る人は一人もない。多くの方と立ち話をした。元市長の中尾氏、食文化の研究者の和仁氏、文化協会長の五十嵐氏、劇座長の武部氏、隣席は東亜大の櫛田学長、看護学院の村田氏・・・友人、知人と笑談した。
第3弾の本
『文明研究・九州』12号
「いま朝鮮思想を語り合う」という題で国立民族博物館名誉教授中牧弘允先生の司会で京都大学の小倉紀蔵教授と「対談」したものが学会誌『文明研究・九州』12号に掲載されたものが届いた。私は著名なお二人に久しぶりにお会いし、打ち合わせなして対談したので不備なところがあるにしても新鮮さを感じた。学会の会員などとも多く対話、テープ起こしから編集まで大変お世話になった。ここに感謝を表したい。
私は小倉氏の『朝鮮思想全史』に、彼は私の『恨の人類学』などのシャーマニズムに触れられ、話が始まった。拙著の韓国語版もあるが、日本語版では読者の数が100倍以上であり、またこのように最高の学者から読んで頂きコメントを頂けるだけで嬉しい。いま紙出版の危機と言われているが、日本の読者層はまだ厚く、質が高い。著者たちも読者へ、より接近する努力が必要であろう。
국적
우리교민들이 수십년 해외에 살면서도 당해국의 시민권을 신청해서 거주국 국민이 되면 조국을 배신하는 것 처럼 생각되었으나 한국 정부가 거주국내의 실질적 영향력을 발휘하기 위하여 시민권을 신청하라고 재외동포에게 권한다. 결국 그것이 한국에 애국하는 길이기 때문이다. 재외동포는 국내의 정치적 압력이나 정치권력으로부터 초연합니다. 일본의 재일교포는 상황이 매우 다르지만 위의 내용은 매우 충격적이다. 국적이란 운명적인 것이고 쉽게 바꿀 수 있는 것이 아니라는 것이다. 그러나 해외 거주가 길고 생활이 멀어진 조국의 국민이라는 것을 고수하려는 것도 재고할 필요가 있다. 재일 교포들은 3,4세의 세월 동안 언어 풍속 사고 등이 일본인이면서도 한국국적을 가지고 <한국인>이라고 주장하려고 한다. 일본국적을 취득하면 조국배신이라는 관념이 아주 강하다. 생각해 볼 필요가 있다.
国籍
オーストラリア在住バクファソ氏の文である。私の友人の奥さんであり、移民研究者である。以前シドニー訪問して会い、韓国でも会って、私が売春の状況を説明しながら東豆川を案内したことがある。二人は、韓国の延世大、明知大学で移民学などを教えて、今再びオーストラリアに住んでいる。フェイスブックでよき交わりをしている。ここに朴氏の一節を紹介したい。
私たち同胞が数十年、海外に住みながらも、当該国の市民権を申請して居住国の国民になると、祖国を裏切ることのように考えたが、韓国政府が居住国内の実質的な影響力を発揮するために市民権を申請するように在外同胞に勧める。最終的には韓国を愛する道だからだ。(要約)
日本の在日同胞は状況が非常に異なるが、上記の内容は非常に衝撃的である。国籍とは運命的なものであり、簡単に変えることができるものではないだろう。しかし、海外在住が長く、離れた祖国の国民であることを固守しようとすることも再考する必要がある。在日は3,4世の歳月の間、言語風俗などが日本人でありながら韓国籍を持って<韓国人>だと主張しようとしている。日本国籍を取得すると、祖国を裏切ったという観念が非常に強い。考えてみる必要がある。
子供の悪口
牧師不在の数年間、多くの牧師が替わりながら説教した。色々な牧師の説教を聞くチャンスでもあった。私はどの説教にも付いて行くつもりで熱心に聞いた。しかし説教法、教授法などについては物足りなかった。昨日は新任の金成彦牧師が3回目の説教、彼は日本語と韓国語が両方とも完璧なバイリンガル、微妙な感情表現力があり、説教法、時間、表情など優れている。突然私の丁度半分位の若者が、自分史を語る。何を語るのか、耳を傾けた。彼が1986年小学校2年生で韓国に帰国した時、韓国の生徒たちから日本の奴=チョッパりと言われたという。昔私がインタビューした日本人の大木氏は日本に帰国してから「朝鮮人」と呼ばれたことと逆である。子供が意識する日本人、韓国人とは何か。文化的「民族」を指す。子供の悪口を大人たちが大げさ差別用語云々、そして大人の喧嘩に広がる。私の親しい幼稚園長は「幼稚園生」の純粋さを理解できない大人の「幼稚」性を指摘した。
『インパール作戦従軍記』
拙著『慰安婦の真実』が広告の所為か、再びベストセラーマークが付いた。読者カードが届いて中には返事を出したものもある。どう読まれるのか。私自身は本をどう読んでいるのか。楽しく、時間潰し、・・・のために、あるいは情報収集、「物知り博士」になりたく読むのではない。私はそれとは違った読書をする。全589ページの『インパール作戦従軍記』を付箋、赤線、ノートなどをしながら読んでいる。火野葦平氏の人生、日本帝国の軍隊、戦争に向けて、同参して、立ち停まって自分の人生を考える時間である。
彼は戦争を記録する。それはプロパガンダのためではなかった。敗戦の記録になった。日本が勝利したら栄誉ある記録として称賛されたかもしれない。しかし大きいメッセージとなった。私は読み始める前は戦争中には敵の情報やこちらの失敗は隠して戦争賛美をするのではないかと思った。しかし情報量の多少とは関係なく、客観的に扱っている。貴重なメッセージである。むしろ戦争に直接かかわっていない銃後のメディア、行政、民衆がプロパガンダではなかったかと。263ページを引用する。
自分はかうして、「陣中日記」「戦ひの記」というものをずっと書いてゐる。これを君にあずけるから、読んでもらってよい。自分は一八年も戦地にゐて、豊橋の教導学校、今の予備士官学校に一年教官をしてゐたほか、家族と一緒に暮らしたことがない。これは戦場の実相をもって、子供を教えたい気持ちもあって書きつけたものだ・・・
ラジオ深夜便では鳥取NHK放送局のインタビュー
今朝のラジオ深夜便では鳥取NHK放送局のインタビュー、戦争を巻き込んだラブストリーであった。その戦争は日露戦争ではない。日ソの関係、悲劇的なストリーである。蜂谷久美子さん(73)は終戦の年、朝鮮平壌で生まれた。父の彌三郎さんはソ連兵にスパイ罪とされ連行され強制抑留された。母は娘を連れて日本に戻った。それから51年の歳月が流れ、突然、父の生存情報が飛びこんできた。ハバロフスク経由で父娘が半世紀ぶりに再会した。しかしその横で寄り添っていたのは、ロシア人の妻クラヴィア氏の存在、彼は彼女の了解の上、本妻と再会し、日本の家族とロシアの家族とも仲良く過ごし、世を去った。悲劇の悲惨さと面白さ、戦争と平和の混合に私はその本質を探っている。
代理戦争
高齢者が病気の話をするのは望ましくないかもしれない。今想定外の風邪で代理戦争のような気分である。この風邪は家内からもらったもの、家内は病院からのものと思われる。病原菌は往来するものであるから。10歳ころまで我が村には軟膏一つもなかった。蜂に刺されたら味噌を塗ったりしていた。免疫力はあると自負して自衛している。この風邪をうつしてはいけないということで本日の勉強会は中止することにする。北海道では震度6強の地震発生で被害の大きさを報道している。昨日の台風で関西空港閉鎖など自然災害の恐怖を感じている。被害が広がらないことを願う。*写真はハノイでアメリカ元副大統領ゴーア氏の地球環境について講演2018.8.3
週刊誌「FLASHフラッシュ」
週刊誌「FLASHフラッシュ」が届いた。初めて目にした。封鎖ページが何カ所かあって、おそらく立ち読みではヌード写真が見れないように工夫したのだろう。破ってみた。若い女性のヘアーヌードが見える。ポルノではない、美人画のようなものである。美女のヌード写真の溢れる雑誌に「北朝鮮『金王朝』という特集は対照的に感ずる。先日東京からインタービューに来られた、その内容の記事はどう載っていのか。拙著『米軍慰安婦の真実』から引用したような50行くらい、朝鮮戦争で北から砲声があったという部分が主に書かれている。ヌード写真と不調和のような調和が面白い。
キリスト教会の「極小化」
風邪から完全回復していないが昨夜は長府キリスト教会での日韓交流会に参加した。下関地域の日本キリスト教団全教会と大韓キリスト教会との交流の行事、毎年続いている。私はほぼ毎年参加している。予定時間には到着が早すぎると思ったが途中迷って少し遅れてしまった。
60余人、日本では元々信者の少ない中と、さらに少子化により「極小化」している。ある教会は牧師と信者の2人だけで礼拝するところもあると聞く。しかし信者たちも聖書研究者のような態度をとる人も多い。二人の若い牧師が新任として紹介された。希望が覗ける。
始まった説教は「光り」、その意味は深く広い。日本のキリスト教へのメッセージとして受け止めた。
2部がメインの交流会、愛餐(共食)しながら各教会が演芸を披露した。クリスマスイブの行事のような人形劇、讃美歌の演奏、民謡などが演じられた。家内も出演した。楽しい。
しかし「日韓交流」はどこにも、言動に出ない。何一つ交流しない、ただ集まりである。
帰りの車で韓国から最近来られた長老が日本のキリスト教へ心配、韓国牧師たちの宣教の可能性が話題にされた。私は日本に信者が少ないのは日本の宣教教育に問題があると話をした。宣教ができない、しない日本の指導者に全的に理由があると思ったことを話した。
教会が大型化するのを皮肉するようである。民主化されると牧師の権威が下がり、危機と思うかもしれない。
悪夢
海岸絶壁崖を歩く前の女性が落ちて死んだのに驚いて目が覚めた。悪夢だった。「ラジオ深夜便」、そしてニュースで死者確認だのような報道を聞く。戦争と災害など頭をこんがらがっている。完全回復していない風邪の中『インパール作戦従軍記』を読了した、その記憶が再構成された夢のようである。日本は自然災害が多い。人命救助優先というニュースを見ながら女性は土俵に上がることは禁忌の非人権感覚が気になる。
前回読んだ黒岩正幸の『インパール兵隊戦記』の地獄の戦場とこの火野葦平の『インパール作戦従軍記』を一緒に合わせて読んで、何を学び、どう評価すべきか。間違いなく戦争は悲惨なものである。しかし世界戦争は多くの文学、映画などの芸術の対象になっているのはなぜか。多くの読者、鑑賞者がいる。その面白さはどこにあるのか?。火野の従軍記は日記ではない。読まれるために書いたものである。彼の文は今、左と言われる戦中「朝日新聞」などを通して広く読まれ、100万部ベストセラーになっている。日本はイギリス、インドとの戦争で勝利の夢を見た幻の戦争、大失敗の敗戦の悲劇の参戦記をどう評価すべきか?ベストセラー作家を生み出した日本人よ、戦犯はどこまでという線を引けるのか。私は10歳ころの戦争体験から面白さに疑問を持って論文や本を書いた。
黒岩正幸と火野葦平が同じインパールの参戦記を書いておられるが、徴兵軍人と徴用従軍、下位の兵隊と上位の作戦参謀、無名勇士と有名作家などなど対照的であり、また共通のところも多い。火野は戦後「戦犯扱い」、自殺した。今日本人は当時戦争を聖戦と賛美したのに今はどう評価するのか。
拙著『慰安婦の真実』もインパル戦の戦場アキャーブが主な舞台であった。帳場人朴氏が敗戦危機を感じ、撤退し、経営者は爆撃で死ぬ。私は若干触れたがそのインパル戦の枠から理解すべきであることを本書で確認した。解説者渡辺考氏は下記のように記している。
火野を「戦争作家」として戦犯扱いし、片づけるのは簡単だが、平時に暮らす私たちが、その内面の苦悩を想像することもなしに、白だ黒だと裁断を下すことは許されることではないだろう。
張竜傑教授が論文
アマゾンに注文した英語書『マリノフスキーの日記』が㏩ほどでスイスから送られてきた。私の記憶、体験、日記などを再吟味するのに参考にしたい。以前は英語の本は英語の勉強を兼ねる意味が大きかったが今は勉強というプレシャーはなく、楽しんでいる。ネット上辞書を引くのも楽しい。そんな中、英語のメールが飛んできた。去年本欄で触れたが、拙著『韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたのか』(英訳あり)『朝鮮戦争で生まれた米軍慰安婦の真実』に関して慶南大学校の張竜傑教授が書いた論文を紹介したことがある。もう一度言うと、朝鮮戦争の時、民衆が北の共産主義や南の民主主義など政治的イデオロギーに無知、無関心のような態度deideologyをとったので無事であったという、うまりイデオロギーに乗って運動した人は処罰されたということを述べたことがある。それをアカデミックに注目し、論評を書いたものがアメリカの有力研究誌に紹介されそうである。
Below is the excerpt of your research which has left us a deep impression:
Title: Through korean war, comsidering ambiguous mind of the public people -On focussing why are the US army comfort women produced in korea
Abstract: This study is going to reinterpret the happening by ethnographic depiction between the US army comfort women in a country at the Korean war. ……。
右か左か
最近数回東京からインタービューに来られても下関のメディアからは一度も反応がなかった。昨日最近私の講演を記事にしてくれた、ある新聞の支局長が来られ、始めて挨拶を交わした。彼は私の2冊の最新著『慰安婦の真実』『米軍慰安婦の真実』を手にしておられた。完読し、話題によって彼は予めマークしたページをを開いてフィードバックをされた。彼は慰安婦問題に関して下調べをしておられたようである。私は半分冗談で貴新聞は右か左かと、質問した。彼は言う。それは読者からよく言われるが、どの記者も客観的に書いているつもりであるが、読者は左も右もない、主義主張のない、もの足りないものに感ずるようだという。左翼、右翼は読者によって決まるということになる。彼の記事を読みたくなった。