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Channel: 崔吉城との対話
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フィナーレ

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  朝食から夜の飲み会まで人との出会いであった。古い弟子や新しい人との立ち話、飲食の嬉しい時間であった。ワンアジア財団(佐藤洋治)に感謝したい。アジア共同体へを目指して世界から人が集まった。参加者は国別では中国が多かったが朝鮮族か、韓国人であり、圧倒的多数は海外朝鮮人であった。日本人は少ない。日本発祥の動きからで出来上がったことを知らなければならない。韓国のロッテのベトナムへの進出により良い会場であった。このような多人種、多言語の集まりでは発表の内容も内容であるが、英語、スピーチなどのプレゼンテーションが重要である。英語で画像と動画などを利用しながら建築を通してのワンアジア(国士舘大学の国広ジョージ氏)は面白かった。後に国広氏と長く立ち話をした。彼はアメリカ生まれの米国籍、ネーティブの英語であった。

 昨日の晩餐会では国ごとに唄って良いフィナーレであった。また二次会に誘われた。ホテルの外の町の中のキンバブというバーで本当に最終の集まりであった。そこはフィナーレではなかった。オランケイ(野蛮)という5-60代の若手の集まりの準備会であった。そこには早稲田大学の李成市教授がいて、36年前韓国の我が家を訪ねてきた話、彼のゼミ学生の弟子である毎日新聞の西嶋正法氏の話をした。日本時間では深夜、大連大学の呂秀一教授がホテルまでのタクシーで送ってくれた。


ベトナムでは反日はない

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 昨日午前中はハノイ市内観光をした。わが夫婦と韓氏夫婦とホテル推薦観光会社によるもの、貸切りの車だった。日本語ガイドはおらず、英語でのガイドのシンさんに案内された。まだ観光システムがきちんとなっていない。雨の中、ホ―チミン博物館、孔子廟、道教寺院などを見て回った。重労働のような観光であった。80年間のフランス植民地、日本の占領についてガイドさんに国民に反日や反仏の感情はないのかと質問した。彼は強く、否定NOと強調した。韓国の反日とはとても対照的に感じた。ガイドと別れて食堂に入った時、韓氏の携帯電話などを車においてあることに気づき、ガイドの連絡先も知らず一時パニクになった。ホテルに電話して解決できたハプニングであった。帰国の飛行機は翌日早朝であり、時間待ちの中でロビーで顔見知りの方々にあった。彼は慶熙大学の教授、京都大学留学の学歴者、楽しい長いストリーが深夜まで続いた。疲れて福岡駅に着き、桃太郎にになった感じがした。

共産主義、市場経済の現場

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 車とオートバイの縦横突進の交通混雑、市場より混雑な空港の風景が深夜の待合がロビーにそのまま残っている。ガイドさんは中国の人権問題が酷いという。韓国企業の大進出、物価が安いというが貨幣単位は何十万、何百万になっている。この数字、計算力はどうであろうか。20数年前とは若干変化したかのように感ずる。共産主義、市場経済の現場がどう変わるのか、心が重い。飛行機に疲れ、昨日日中から休んでやっと今朝回復気味、今日は大越清美氏主催の「海峡裏町文化塾」で講演、対談がある。懐かしい顔たちとの楽しい時間である。楽しみにしている。

『雀様が語る日本』

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 昨夜下関の「裏町」で女性と長く話をした。しかし品のない世間話ではなかった。私は旅辱が解けず打ち合わせを全くせず演壇に座った。顔見知りが多く、緊張することはない。若干どう進行できるか不安があった。大越清美氏が拙著『雀様が語る日本』を精読してなぜ「雀様か」、崔の「山」を「少」に誤認される面白さから、日本文化論へ問題点を以て次々提案、誘導され整理良く進行された。観衆の明るい表情が終始一貫した。時間になり残念と思った時、医学博士の上領頼啓氏の日本植民地への質問は正鵠をさしたが慰安婦には触れずに乾杯音頭が行われた。その直後『慰安婦の真実』について「真実」について戦争日記の価値、それが「真実」であることこを語ることができた。その後テーブルを回り、「雀と崔」の誤認の事例、曾田聡氏が「聡」を「恥」と書かれるといった。笑い、面白い、それは選挙演説のトッピク、効果の高いエピソードだと大笑い。私の寝る時間だということでひとまず閉会。しかし、宴会はまだまだ続くだろう。*写真は秦穴、大越の両氏。

奥さんに感謝して何かプレゼント

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 俳優の津川雅彦氏が4日、心不全のため死去した。78歳。東条英機など歴史上の人物を多く演じた俳優であった。コメンテーターとして番組に多く出た。1973年に女優の朝丘雪路さんと結婚、仲良し夫婦として知られた。認知症のため死去した最愛の妻を、最後まで献身的に介護したことが知られた。妻の死について聞かれて「彼女を残すよりは良かった」「すべてに感謝している」と心境を語っていた。私は妻より先に死ななければならないと思っている。愛情が足りないと思う。
 大越氏と対談の時、家内の協力に触れ、彼女が私に「奥さんに感謝して何かプレゼントをしましたか」と聞かれて困ったことを思い出す。私の理屈的弁明はこうであった。受賞式の時、私と家内が同時に壇上で私が賞状、家内が花束をいただいた。主催者の温かい配慮に感謝した。これが私の家内への間接的な感謝になったと語った。その時の写真などが昨日届いた。

下関国際

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 猛暑の中の甲子園球場の熱気、それは私にも伝わってきた。スポーツ競技の観戦にはどちらかと言えば応援するというよりは審判の立場で、観戦でしていた。しかし昨日の下関国際と花巻東の観戦には完全に下関側に立って猛烈に応援する気持ちだった。10年以上住みついて地元(?)の人になった感があった。延長戦の末に4-2での勝利には一人で拍手をした。郷土愛やナショナリズムも若干理解できそうである。前日の夜裏町塾で下関を愛すると言って、毎日新聞(地方版)で紹介された通りになった。排他、縄張りの頑固な郷土愛の地元にはなりたくない。日本を愛し、アジアへ、人類愛へと広げていきたい。

「愛着」と「日本感」

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 4日前の夜の大越清美氏との対談式の講演会に二人の新聞記者が来られたのを記事を読んで分かった。私が下関に住み始めた時、島流された気持ちから下関に愛着心の強い人に変わったという話がメインに紹介された。それは拙著『雀様が語る日本』に書かれたものでもある。毎日新聞(山口地方版)に「下関への愛着語る」、長周新聞には「日本感を語る」という見出しとなっている。「愛着」と「日本感」として受け入れられて嬉しい。日本や下関を愛することは「他」を憎むということを意味するのではない。一般的に「愛憎」が一緒に語られるが、私はそうではない。さらに一般的に言うと、私が韓国でこのように日本が好きであると語り続けて「親日派(最高の悪口)」となった話もしたが聴衆の耳には残らないようである。

出版文化

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先日一日中、親しく同行してくれた韓国の学者、また別の出版の打ち合わせをした研究者から聞いた話である。韓国では本を出版する魅力がないという。それは韓国の教育省が評価してくれないからだという。中国でも似たような話を聞いている。中国では圧倒的多数の研究者がほぼ自費出版しているので評価されることはないという。中国や韓国は研究者の一般出版に関しては否定的である。
 日本では厳しい編集過程を経て出版される。それは研究業績としても評価される。自費出版、自家・自作の出版、電子出版など多様であり、本の評価が難しくなりつつあるが、読者からの評価で重要な出版文化が存続している。私は常に政府の評点を気にせず読者ファーストと思って本を書いている。


報道攻勢

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 メディアで山根明氏殺し(?)埃叩き・袋叩き式報道攻勢に彼は「男らしい決断」という言葉で応じた。会長を辞任しながら涙汲んだ。信念と友情の強い人という自覚があるからであろうか。ある週刊誌には母が韓国人、「在日」、密航した人などと興味を引くように紹介している。年齢も「定かではない」とも書かれている。私と同年代、辛い人生経験の持ち主であると同情する。
 「民衆の杖」「民主主義の堡壘」と言われて羨望の職であった記者職は今では必ずしもそうではない。私はメディアとは記者を指す。記事の書き方などはもちろん、教育者として良い人間、よい記者を培養しなければならないと常に思う。

関門花火

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  関門花火大会、例年知人を誘って観覧するのが恒例になっている。昨日は朝から玄関から部屋とベランダまで接客モードに家具配置、熱帯植物の鉢物置きなどセッテングした。昨夜の客はたった父娘の二人だけ、教会の名誉長老の具滋東氏84歳。小学校4年まで日本で生活し、韓国金泉に帰国し高校3年まで、日本に密航して父との邂逅、在日となったロングストリーが語られた。日本語は全く忘れても九九暗記と教育勅語の言葉は口についていた。異様な記憶と忘却に自ら驚きながら話は続いた。日本で李仁夏、金源治らの牧師などの助けにより高校の卒業証をいただき、大学で経済学部経営学科で勉学された。中学校3年の時、金泉で朝鮮戦争になり、釜山まで避難して戻った時には市が全焼し、方向感覚を全く失ったという。そして私の戦争記憶力を褒める。娘さんは80年代に韓国延世大学で修学、民主化の話に二人の現代史が語られた。私は全く良い聞き手になった。家内は前日から買い物、韓国料理を作った。私の口に合うもので彼らにも合って、お客さんが喜んで美味しく食べ、わが夫婦は話を楽しく聞きながらの共食であった。家内の腕マェに敬服、下関と門司から花火が上がると食事は中断、下関に長く住んでも初めて観ると歓声を上げた。花火が終わってから主食を食べ、フルーツとコーヒーが済んでかなり遅かったが交通渋滞は続いていた。9時就寝の私には疲れも残ったが楽しかった。

 

「無知」の力

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 今日は1945年8月15日の記念日である。韓国では国家指定の「国慶日」であるが、日本では祝日ではない。ただ終戦や敗戦の記念日といわれる。国家とは別に私にとってこの日はどんな意味だったのだろうか、考えてみる。7歳ころの私のその日の記憶としては、嬉しいこともなかったと覚えている。日本人の敗走、敗戦の意味が多かったように感じた。当時我が村では国家の勝利も失敗も無感覚であった。それは客観、中立的であったからとはとても思えない。ただ「無知」であったからだと思う。それは侮辱的な言葉かもしれないが、ある意味では正しい。最新著で私は戦争中に農民が共産主義にも民主主義にもどちらにも味方をせず比較的に無事だったと書いた。「無知」の力だという趣旨である。それを張竜傑教授が正しく評価してくれた。幼児の平安な顔から平和を感ずる。悪がしこい人が多すぎる世間が問題である。 

ノモンハン

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 昨日下関に雨が降ったが果樹園などで水が足りないという。8月も中旬が過ぎ、猛暑と台風騒ぎも峠を越えるかと期待する。大学は盆休み閉鎖中、今日の読書会も休まざるを得ない。私のリズムを崩したくない。執筆は続く。家内は熱心に校正する。その最中、拙著『慰安婦の真実』にアマゾンでベストセラーマークが復活した。嬉しいが気になる。韓国や台湾などでの慰安婦の話題の動きに連動するのか、読書力の上昇であろうか、戦争メモリアル話題が豊富な8月の日本、昨夜NHKの関東軍の「ノモンハンの戦い」の番組を視聴した。天皇と参謀本部のコントロールが効かない、軍自体の作戦で大きい犠牲を出したことがテーマであった。今、軍へ文民統制が問われる日本。憲法改正、国民の平和を愛する心とシステム構築が必要である。

友愛friendship

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旅券を新しく10年間のものに更新した。古いものは外国へ出かけた自分史の良い資料である。市役所は親切である。庁舎内を歩いてみた。ショッピングもした。家内は数か所で知り合い人とあいさつとお喋り、私はその夫とされる。私は下関の人をほぼ知っているような親しさを持っていたが錯覚のようである。それでも友人は多いと思う。しかし変なこともあった。下関に来てからの古い在日友人が先日私の本に反対意見のような話をして、一方的に絶縁されたような状態になっている。私の本は読んでおらず、噂を聞いてそうしているのではないかと気になる。私が思う友情観とは政治や利害などをはるかに超える人間関係だと思っている。愛情はさらに精度の高いものであろう。「友愛friendship」とは知識と情の深い精度の高いものであろう。

「毎日新聞」2面下段全面に拙著

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昨日㏯付け「毎日新聞」2面下段全面に拙著『慰安婦の真実』と『米軍慰安婦の真実』が広告として掲載されました。ハート出版に感謝します。

無味乾燥な日本語

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 先日、ある人から「韓国人が書いた日本文で分かりにくい」といわれ、私は「日本語で出版もしているのに」と答えた。彼は言葉とは文法を含め細かい表現、修飾語を含め、言葉のこなし方、隠喩などの表現力を指していることは理解する。外国出身の人が言葉のハードルがあるのは当然である。しかしそれを超えるのが国際化である。英語はイギリス人やアメリカ人などに限るものであろうか。日本人が英語で本を出そうとする人は多いのに無理であろうか。国粋主義者や自国語主義者は外国語の知識、広い思考力が欠けているのではないかと反問したい。言葉の原点に戻って考えてみたい。文体だけが言葉ではない。文法をはじめ思考力の表現が重要である。私は無味乾燥的には校正されたくない。


原田環先生の書評

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 朝夕涼しくなった。長い盆休み、大学閉鎖も長く、研究室の熱帯植物の鉢物に水をやり、研究所で執筆もした。原田環先生からお電話、拙著への書評が届いた。忙しい、感謝の一日であった。私の本を精読の上、要約そして評価してくださった名文の書評である。読者にも紹介したい。

崔吉城著『朝鮮戦争で生まれた米軍慰安婦の真実』(ハート出版、東京、2018年)

                        県立広島大学名誉教授 原田 環    

本書は、『韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたか』(ハート出版、東京、2014年)、『朝鮮出身の帳場人が見た慰安婦の真実』(ハート出版、東京、2017年)等で、慰安婦問題を熱心に取り上げてきた文化人類学者の崔吉城氏が、『韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたか』を全9章の1冊の本に増補改訂したものである。新たに韓国のセマウル運動、韓国陸軍士官学校での生活にも言及していて、内容がより豊かなものになっているが、本稿では紙数の関係上、慰安婦問題に絞って検討したい。

慰安婦問題については、2015年に日韓の外相間で「最終的かつ不可逆的な」解決を図った「日韓合意」が確認されたが、韓国側の日本批判は止まない。韓国は第二次大戦における朝鮮人慰安婦の存在を日本の性犯罪とし、「強制連行」「性奴隷」等の言葉を用いて批判している。この韓国の動きは、慰安婦の存在を日本の不法行為の結果発生したものだという外在論が前提になっている。

これに対して崔氏は本書で、慰安婦問題は「強制性」に絞って議論すべきだとした上で、慰安婦が誕生する朝鮮社会の内在的歴史要因に目を向けることを提起している。具体的には、自らの個人史を経糸に、朝鮮戦争(1950-53)と「貞節」ナショナリズムを緯糸にして慰安婦問題を取り上げている。自らの個人史を柱の一つにしているため、慰安婦問題を韓国内部から歴史的に捉えたものとなっている。

そもそも慰安婦とは何か。崔氏によれば、慰安婦とは戦場において軍人に慰安を提供する女性(売春婦)であった。慰安婦をめぐる運動では戦前のものをターゲットにしているが、戦後にも存在した。これらの慰安婦の存在が、慰安婦問題において、「強制」を伴ったものか否かが問題になっているのである。戦前の慰安婦に関しては、崔氏は先の『朝鮮出身の帳場人が見た慰安婦の真実』において、帳場人の朴氏の日記による限りでは、日本軍の「強制」は見られなかったという。

戦後の慰安婦については、崔氏は朝鮮戦争の国連軍において直接見聞したという。朝鮮半島は1945年に日本の植民地支配から解放され、1948年に北緯38度線以南に大韓民国(韓国)、以北に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が成立した。その後1950年に北朝鮮が韓国に侵略した結果、朝鮮半島全土を戦場とする朝鮮戦争が始まった。これに国連軍(米軍中心)、中国軍が参戦した。崔氏の故郷、韓国京畿道東豆川も戦場となり、韓国軍、北朝鮮軍、米軍、中国軍が相次いで進駐した。

この時、中国軍以外の軍隊によって村の女性に対する性的暴行が起きた。主要には米軍であった。当初、東豆川の村民は米軍が共産軍から村を解放しにやって来たとして歓迎したが、米軍は村の女性達を襲い性的暴行を行った。韓国軍も自国の女性に対し性的暴行を行った。

崔氏によれば、この状況に対して村は儒教的な伝統的倫理をゆるめて、外部から売春婦をいれるとともに、各戸の部屋を売春婦に貸し出し、利益を得た。村人は売春婦を歓迎し、村は売春村と化した。売春村になると村では、米軍の性的暴行はなくなった。村はあたかも慰安所のような状況を呈した。慰安婦は外貨を稼ぐ存在となった。かくして村の利益のために米軍慰安婦が誕生した。売春は不特定多数を相手にし、慰安婦は軍人を相手にした、セックス産業であった。

朝鮮戦争以後もセックス産業は栄えた。米軍基地の周辺には売春地帯が形成された。1970年代、朴正煕政権は一方で売春婦(慰安婦)の行動を貞節の面から取締りながら、他方で外貨獲得と朝鮮半島の安全保障のために、彼女らの行動を愛国視した。韓国政府は米軍の性暴行や売春に対して大きな問題にしなかった。今日、韓国政府は慰安婦問題に関し米国に非常に寛大であるが、日本に対しては厳しく、政治的外交的カードとして用いている。

ところで崔氏によれば、村の儒教的な伝統的倫理とは、女性が守るべき「貞節」をさす。「貞節」とは、女性が課せられた「婚前の純潔」と「一夫従事」(「不事二夫」、再婚禁止)のことで、女性にとって命より大切なものと見なされていた。これに対して、男性は買春も、妾を持つことも許容されていて、明らかにダブルスタンダードであった。朝鮮社会における「貞節」とは、女性にだけ屈従を要求する家父長的「男尊女卑」によって女性を虐げるもので、再婚禁止などは、女性の再婚を妨げセックス産業においやる場合もあった。

崔氏は、慰安婦問題の「少女像」は、現代版「貞節」思想を具現したものだという。「少女像」は「貞節」の「烈女碑」から来たもので、「烈女碑」は李朝時代に於いて「一夫従事」(「不事二夫」、再婚禁止)を守った女性を表彰したものである。

「少女像」を反日慰安婦運動体が担ぐのは、朝鮮と日本の国家の関係を、純潔な朝鮮人の女性とよこしまな日本人の男性に置き換え、朝鮮人女性がよこしまな日本人によってその純潔を奪われ慰安婦になったとのシンボリックな想定がある。朝鮮が日本の植民地になったことを、朝鮮の純潔が日本によって奪われたとイメージ化することによって、反日ナショナリズムを高揚して国民を統合し、対日交渉を有利に進めようとする意図がある。このセックスナショナリズム、言い換えれば「貞節」ナショナリズムの根底には伝統的な「貞節」観が今日も生きていて、女性の解放につながっていないと崔氏はいう。「少女像」は反日運動のシンボル・手段であって「烈女碑」に示される伝統的韓国社会内部の男尊女卑を否定するものではない。

 本書は、文化人類学の立場から慰安婦問題を韓国社会内部から女性を視点に据えて検討したもので、客観的で説得力のあるものとなっている。本書には崔氏の体験に基づく知見が示されていて有益である。今後、本書が契機となって「貞節」ナショナリズムのさらなる研究が進展することを期待したい。

「アジア共同体」

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 日曜日には韓国の留学生3人をピックアップして教会の礼拝に参加し、礼拝後、昼食を一緒にする。昨日留学生の崔君が私の本を読みたいと言った。稀な話であり、嬉しくなった。礼拝堂には信者が一杯、和気あいあいと、新牧師の魅力を感じ始めた。金成彦牧師は「教会とは共同体Churchだ」と説教した。どう理解すべきか。今日本では経済的に豊かになっていて、ある人は150万円の腕時計をはめるなどと自慢するほど、高級・高格化する。経済成長から美化、芸術化へと進行するのだろうか、経済と芸術は直接結びつき難い。さらにそれらを繋げるのが信仰であると、説教を理解する。後期のワンアジア支援講義「アジア共同体」のテーマは「文化と芸術」である。その共同体の基礎は宗教、芸術と考えて進行したい。市民参加も待つ。

野球は紳士的なスポーツ

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 野球の観戦は楽しい。が、教訓も多い。チームワークも重要であるが個人の能力、練習から実力と運、奇跡も起こる面白さがある。ゲーム中でも一部の選手は休憩か観戦もできる。しかし小さい失敗も許されない緊張感がある。審判が複数、公正であり、クレームやスクリーンによる判定などはない。デッドボールなどにはゲーム上損得が計上されるなど、ゲーム上罰則があり、有利や不利とされる。目下、日本では相撲やアメリカンフットボールなどスポーツゲームの中での反則が社会から酷く罰、バッシングを受ける。野球にはそのようなことはない。野球からの教訓は貴重である。紳士的なスポーツの野球、今日は高校野球の最終決勝戦が行われる。

高齢者文化

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 Courageというカフェーで藤中和岳氏の仲間たちと昼食をした。彼の絵作品展で、清末ご夫婦と中本英雄氏らの退職高齢者の集まり、しかも私が最高齢者として迎えられた。藤中氏は金子みすずの中国語訳書に挿絵を描いた才能のある方である。彼は今小説にも挑戦している。高齢者文化を象徴するような談話が始まり、笑った。歴史ドラマは本当か、どこまでがフィクションか討論もした。残念ながら高校野球の決勝戦が始まっていたので急いで帰宅してテレビを点けた。すでに秋田のKANANOが1点失っていた。メディアはそのチームを大々的に報道し、応援していたが沈む雰囲気、大惨敗、憤慨する気持ちになった。ゲームを見るには最初は応援することなく観戦するが弱い側を応援したくなるのが常であるが、惨敗に憤慨するのは本気で応援していたということになる。

市民に講演OK

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 1000ミリ以上の大雨の台風の予報が続くが、ここでは強風だけ旱魃が続く。アマゾンに分野別ではあるが拙著に今朝もベストセラーマークが付いている。読者や友が増えていて嬉しい。ネット上に友の申請も多い。昨日は日韓親善協会下関の会長友松弘幸氏と拙宅で長く笑談した。彼は長い間市議員を務めた人であり人間関係が円満な方である。来月から始まる「楽しい韓国文化論」の準備の話もした。9月22日最初の時間は私が板門店の話をすることとなっている。直後二人の方から市民のために講演してくれと連絡があり、すぐOKした。『慰安婦の真実』について11月まで講演が数回予定されている。私が所長を務めている研究所から正式に出版発行、販売もできるようになり、この地域の知的活動のレベルアップができると思う。一方「慰安婦」で友を失うこともあった。前にも触れたが10年以上続いていた在日の友人が「慰安婦は確かに存在した」と絶縁宣言のような言葉を残して去っていった。友情と慰安婦問題は無関係なのに、もったいない、悲しい。*写真は先日京都・国際日本文化研究センター

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