朝夕涼しくなった。長い盆休み、大学閉鎖も長く、研究室の熱帯植物の鉢物に水をやり、研究所で執筆もした。原田環先生からお電話、拙著への書評が届いた。忙しい、感謝の一日であった。私の本を精読の上、要約そして評価してくださった名文の書評である。読者にも紹介したい。
崔吉城著『朝鮮戦争で生まれた米軍慰安婦の真実』(ハート出版、東京、2018年)
県立広島大学名誉教授 原田 環
本書は、『韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたか』(ハート出版、東京、2014年)、『朝鮮出身の帳場人が見た慰安婦の真実』(ハート出版、東京、2017年)等で、慰安婦問題を熱心に取り上げてきた文化人類学者の崔吉城氏が、『韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたか』を全9章の1冊の本に増補改訂したものである。新たに韓国のセマウル運動、韓国陸軍士官学校での生活にも言及していて、内容がより豊かなものになっているが、本稿では紙数の関係上、慰安婦問題に絞って検討したい。
慰安婦問題については、2015年に日韓の外相間で「最終的かつ不可逆的な」解決を図った「日韓合意」が確認されたが、韓国側の日本批判は止まない。韓国は第二次大戦における朝鮮人慰安婦の存在を日本の性犯罪とし、「強制連行」「性奴隷」等の言葉を用いて批判している。この韓国の動きは、慰安婦の存在を日本の不法行為の結果発生したものだという外在論が前提になっている。
これに対して崔氏は本書で、慰安婦問題は「強制性」に絞って議論すべきだとした上で、慰安婦が誕生する朝鮮社会の内在的歴史要因に目を向けることを提起している。具体的には、自らの個人史を経糸に、朝鮮戦争(1950-53)と「貞節」ナショナリズムを緯糸にして慰安婦問題を取り上げている。自らの個人史を柱の一つにしているため、慰安婦問題を韓国内部から歴史的に捉えたものとなっている。
そもそも慰安婦とは何か。崔氏によれば、慰安婦とは戦場において軍人に慰安を提供する女性(売春婦)であった。慰安婦をめぐる運動では戦前のものをターゲットにしているが、戦後にも存在した。これらの慰安婦の存在が、慰安婦問題において、「強制」を伴ったものか否かが問題になっているのである。戦前の慰安婦に関しては、崔氏は先の『朝鮮出身の帳場人が見た慰安婦の真実』において、帳場人の朴氏の日記による限りでは、日本軍の「強制」は見られなかったという。
戦後の慰安婦については、崔氏は朝鮮戦争の国連軍において直接見聞したという。朝鮮半島は1945年に日本の植民地支配から解放され、1948年に北緯38度線以南に大韓民国(韓国)、以北に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が成立した。その後1950年に北朝鮮が韓国に侵略した結果、朝鮮半島全土を戦場とする朝鮮戦争が始まった。これに国連軍(米軍中心)、中国軍が参戦した。崔氏の故郷、韓国京畿道東豆川も戦場となり、韓国軍、北朝鮮軍、米軍、中国軍が相次いで進駐した。
この時、中国軍以外の軍隊によって村の女性に対する性的暴行が起きた。主要には米軍であった。当初、東豆川の村民は米軍が共産軍から村を解放しにやって来たとして歓迎したが、米軍は村の女性達を襲い性的暴行を行った。韓国軍も自国の女性に対し性的暴行を行った。
崔氏によれば、この状況に対して村は儒教的な伝統的倫理をゆるめて、外部から売春婦をいれるとともに、各戸の部屋を売春婦に貸し出し、利益を得た。村人は売春婦を歓迎し、村は売春村と化した。売春村になると村では、米軍の性的暴行はなくなった。村はあたかも慰安所のような状況を呈した。慰安婦は外貨を稼ぐ存在となった。かくして村の利益のために米軍慰安婦が誕生した。売春は不特定多数を相手にし、慰安婦は軍人を相手にした、セックス産業であった。
朝鮮戦争以後もセックス産業は栄えた。米軍基地の周辺には売春地帯が形成された。1970年代、朴正煕政権は一方で売春婦(慰安婦)の行動を貞節の面から取締りながら、他方で外貨獲得と朝鮮半島の安全保障のために、彼女らの行動を愛国視した。韓国政府は米軍の性暴行や売春に対して大きな問題にしなかった。今日、韓国政府は慰安婦問題に関し米国に非常に寛大であるが、日本に対しては厳しく、政治的外交的カードとして用いている。
ところで崔氏によれば、村の儒教的な伝統的倫理とは、女性が守るべき「貞節」をさす。「貞節」とは、女性が課せられた「婚前の純潔」と「一夫従事」(「不事二夫」、再婚禁止)のことで、女性にとって命より大切なものと見なされていた。これに対して、男性は買春も、妾を持つことも許容されていて、明らかにダブルスタンダードであった。朝鮮社会における「貞節」とは、女性にだけ屈従を要求する家父長的「男尊女卑」によって女性を虐げるもので、再婚禁止などは、女性の再婚を妨げセックス産業においやる場合もあった。
崔氏は、慰安婦問題の「少女像」は、現代版「貞節」思想を具現したものだという。「少女像」は「貞節」の「烈女碑」から来たもので、「烈女碑」は李朝時代に於いて「一夫従事」(「不事二夫」、再婚禁止)を守った女性を表彰したものである。
「少女像」を反日慰安婦運動体が担ぐのは、朝鮮と日本の国家の関係を、純潔な朝鮮人の女性とよこしまな日本人の男性に置き換え、朝鮮人女性がよこしまな日本人によってその純潔を奪われ慰安婦になったとのシンボリックな想定がある。朝鮮が日本の植民地になったことを、朝鮮の純潔が日本によって奪われたとイメージ化することによって、反日ナショナリズムを高揚して国民を統合し、対日交渉を有利に進めようとする意図がある。このセックスナショナリズム、言い換えれば「貞節」ナショナリズムの根底には伝統的な「貞節」観が今日も生きていて、女性の解放につながっていないと崔氏はいう。「少女像」は反日運動のシンボル・手段であって「烈女碑」に示される伝統的韓国社会内部の男尊女卑を否定するものではない。
本書は、文化人類学の立場から慰安婦問題を韓国社会内部から女性を視点に据えて検討したもので、客観的で説得力のあるものとなっている。本書には崔氏の体験に基づく知見が示されていて有益である。今後、本書が契機となって「貞節」ナショナリズムのさらなる研究が進展することを期待したい。