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Channel: 崔吉城との対話
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「講義は芸術Art of Class」

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 教員や学生たちもインタネットから資料を集めてpptで編集して口演するのが今流行っている。多賀直氏は 「最近の教室では資料を配って映像を見せると、その場での理解は早いが、メモや記録を書いて後から見返しながら反芻することが少なくなっている」とコメントしてくださった。私の学生時代には大部分の先生たちは講義ノートを見たりしながら講義をして話が一貫していた。学術用語、人名など理解し難くとも先生への学生たちの評価が高く、良かった、面白かったなど、学生同士で議論したこともあった。その最中アメリカ帰りの鄭範謨先生の講義はショッキング、非常に変っており、異色的であった。スポーツ刈りの髪型で教壇から降りて生徒たちの中に入った時には学生の椅子に腰かけて対話式で講義をした。その先生は講義方式にも触れた。「講義は芸術Art of Class」とおしゃった。私はその先生の講義で発言、一躍「博士」というニックネームが付けられたのは他にも雑文で書いたことがある。それが韓国の教育の革新のはじまり、先生は後に戦後の韓国教育を改革したのである。それ以来、私が教壇に立って半世紀以上経た今でも講義方式に気を使っている。レジュメ、ppt、学生にフィードバック、質問紙などのペーパーに応え、対話式で行う。そこで最も重要視するのは「考える授業」である。
   

「青年大国(?)」

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 私も一種の外国人として日本に職を得て生きている一人であり、入管法改正案に関心がないわけではない。討議の様子を伺うと意外に幼稚な感がある。総理が具体的な事案については関係者に回そうとすると「総理!」を連発しながら総理の答えを要求する。総理の答えはレベルが高いものと思うからであろうか。
 労働力不足、それを補うために外人を受け入れる。そこに問われる政策の基本精神があるはず。この地上はどの民族、人種が住んでも良いという「自由な土地」であるという前提がある。移民、難民を受け入れるのか。また長寿老人国家をこのまま維持すべきか、労働者を受け入れるのか。その理解の上、国家の目標が議論になってほしい。経済大国より環境汚染のない伝統的な田園、先進老人福祉国家を目ざすのか議論して欲しい。日本は経済的には「青年大国(?)」に負けるのは当たり前である。

『四季風(佐)』

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 個人情報守りとセクハラが厳しく、変声やボケ画像が多い国でありながら有名人の離婚などは言いたい放題の日本、理解し難い。講義では祭りや祭祀などで女性が「不浄」とみなされることを話題にした。セクハラの危険、学問の自由はあるのか。慰安婦研究で朴裕河教授は有罪、私は韓国で講演が中止になった。死体を研究する解剖学もあるが、研究はしても、実践してはいけない分野もある。
 プライバシーの日記を研究するのは大丈夫か。日露戦争の軍人日記について礒永氏が発表し議論した。日記人は自分自身には嘘はつかない。私は最近は本欄で日記を兼ねてコラムを書いている。これは純粋な日記ではない。読者があり、開放しているからである。しかし嘘の話ではない。多少磨いた文ではあるが、日記では書かない問題に深く触れることが多い。
 昨日は講義、読書会、よるは文を書く話を傾聴した。下関で最初にお会いした言論人、佐々木正一氏の談話があった。下関地元知識人の中に私も仲間のように席をとった。500余字のコラムを週2回担当し、私は必ず読んでいる。2,3回は私の名前も登場している。それが『四季風(佐)』として出版されて、拙著に関するコメント「米軍慰安婦」(159ページ)も載っている。主に季節や古典、古文から現実へのレトリックになっている。その短文に集中して書くことのお話があった。それをお聞きして私自身はあまりにも簡単に文を書いているのではないかと思った。

『恨の人類学』

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 今日は京都の日文研の研究会、日帰りの参加となる。先週が広島で講演などスケジュールが一杯、負担でありながらも嬉しい。毎日が休日のカレンダーの生活を脱するのが嬉しい。来週大阪第7劇場での映画上映と対談のポスターは杉浦康平氏がデザインしてくださったという。1970年代初めころ私が執筆した野口武徳編の表紙をデザインしてくださった方と記憶しており、フィードバックした。いずれ会えるでしょう。感謝の言葉を述べたい。
 その真鍋教授から崔承浩監督の『共犯者たち』『スパイネーション』の劇場パンフの転送があった。真鍋氏が「恨」をキー概念として『恨の人類学』の解説文を参考にパンプに書かれたようである。崔氏はプロデューサーとして『PD手帳』などを制作してきたという。私が「新親日派だ」とMBCで放映され、バッシングされたことを思い出す。私はそのバッシングによりイメージダウンしたが、逆に執筆意欲を持つことが出来た。先日釜山東亜大学校で予定されていた「名士招請特講」の前日中止となった取り消しの文には学生の反対と学校側の『PD手帳』に放映された話があげられていた。

菊人形

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 昨日の京都の日文研への日帰りは無理したようではあったが、まだ健全であるという自信をもった。交通手段がほぼない辺鄙な研究所からタクシーも呼べない土曜日、闇の中を走り、坂道をおりて、バスに乗れて予定の新幹線に1分前ギリギリ間に合って11時前に帰宅することが出来た。研究会では菊人形、少女の顔の描き方についてきちんと聞いた。電車の中では『戦魂』に慰安婦に関する記述があって驚いた。車内では居眠りできない私には嬉しい興奮が続いた。また研究会の前にメンバーの中の京都精華大学の申昌浩教授と話をしたが、拙著『慰安婦の真実』にコメントがあった。礼儀上の挨拶の言葉かと思いながら何がポイントかと反問してみた。きちんとしたコメントをいただいた。彼は私と同様に日本で生活しており、私と同様に、本書において日本語の経験を生かして慰安所帳場人の日記を読み解くのが、彼にとって実に実感がわいたという。それを聞いて嬉しくなった。

江島潔参議院議員を囲む会

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 今日のワンアジア共同体の講義では功山寺の住持であり京都大学名誉教授の有福氏が担当する。全新入生の文化体験として彼の元で座禅が行われ、全新入生が知っていると思う。アジアからの留学生が多く、「アジアの仏教」という題での講義、期待している。市民の参加も歓迎する。
 昨日政治活動や社会運動には一線を引いている私が政治的な集いに参加した。新しく文化体験(?)をした。江島潔参議院議員を囲む会に参加した。それは江島議員との友情関係にすぎないものである。市長の時以来の関係、数ヶ月前東京での拙著『慰安婦の真実』の授賞式にも参加して下さったこともある。私はこのような政治的な集いの様子を伺うことが出来た。
 政治家たちは皆スピーチが上手い、司会も上手い。良い勉強になった。意外に総務大臣石田眞敏議員のスピーチ「地方から」は有益なものであった。Society5.0ということばは初耳であった。狩猟・農耕・工業・情報に続く社会という話は新鮮であった。教育、社会保障、産業、雇用、生活を地方発信、地方が大きく変わる可能性を話した。地方は地方のまま発展することが出来るという。地方の活力維持に注目した。彼は地方の人がネット「楽天」を利用して盛業している例を挙げた。私もそのように挑戦しているので励ましになった。地方はただ田園風景の田舎ではなく、グローバル化の発祥地であるという意識変化が必要であるという。その講演後私は彼にあいさつ、感謝の言葉を述べた。

 

「韓国花卉学会」

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 拙著『植民地朝鮮映像で語る』を発行しているが電子ブックの製作中、同時販売を準備中である。まだ普及の段階になっておらず、申し訳ない。東洋経済日報には「貴重な記録集」と紹介された。来週のワンアジア講座「朝鮮の映像」を担当してくださる下川正晴氏には参考までに寄贈した。フェイスブックの投稿に大きく励まされる。毎日新聞記者出身、元大学教授の氏のコメントは、書評とも思われる。研究者としての挑戦的なご意見に私は刺激される。映画で見る「花を売る乙女」は存在したのだろうか。その時代花売り習慣、文化のはだったのだろうか。花を栽培、仏壇に供えるような花文化があったのか疑問を投げた。映像をどう見るべきか。ゴムクツはあったのか。
 戦前の映像だけではない。現在の韓ドラのオーバーな表現は嫌がられている、また部屋に必ず生け花が多く飾っているのが気になる。家庭生活に生け花文化が定着しているかのようになっている。花鑑賞文化がそれほど定着はしていない。私は20年ほど前「韓国花卉学会」の全国大会で基調講演で、床の間に花を飾る日本の花文化の話で、何を錯覚されたか侮辱的なコメントでビックリしたことがある。世俗と闘う、「世俗を学んではいけない」という聖書を信じている。棘の道、細い道を歩く。下川氏に感謝する。

「老人六歌仙」

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  2018年12月3日アジア共同体講座の「アジアの仏教」で京都大学の名誉教授の有福孝岳氏が「生老病死の哲学」を講義された。打ち合わせ時間に現れず時間が押し迫って代講まで考えていた時来られた。それはメールは送ってもそれを読んでおられなかったことによることであった。生児の初泣き、生き方、六道輪廻転生、避けられない死、悔いのない人生などレジュメと講義は楽しかった。「講演要旨」には仙崖の「老人六歌仙」が紹介されている。老人とは「淋しがる、出しゃばる、同じ話、自慢する」と書かれ、言われた。一般的に<自慢話、長く、繰り返す>という俗語を気にしながら聞いたが楽しかった。ハイデガーや西田哲学に触れて「非連続の連続」が語られた。断絶の連続のように思われる。私が簡単に要約し、戦前と戦後は連続するのか、質問した。 受講生の中から手が上がった。ネパールからの留学生であった。釈迦はインド生まれたのではなくネパールで生まれたと大きな声で主張した。


日本での研究は難しい

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 私を知っている友人や同僚から隠しても良いのになぜ自ら弱点を人の前で言うのかと、アドバイスされることが多々ある。噂や陰口、韓国のメディアから「親日派」と最悪な悪口があった。韓国の大学での特講が前日に断られた。「名士」(講演)から「拙夫」に下落した。それも隠すべきか、否、隠せない。韓国の学生、大学に失望するのみ。そんな中にも私に励ましの言葉がある。

 「先生は韓国内にとどまって研究生活をされていても、立派な学者になられた方だと思います。しかし、日本で研究するという困難な選択をされた。奥様がしっかり支えてこられた。お二人の人生の価値は、きっと多くの人々に理解される時期がくると思います。それだけの実績がある方だと、今回の本を読んで改めて思いました」

という。元毎日新聞論説委員・元大学教授・韓国特派員の時の取材経験豊かな下川正晴氏からの投稿である。それはこの下関地域の新聞が拙著出版に冷淡であるという私の言葉にフィードバックしてくれた言葉である。大きいな励みになる。
 しかし当時私は韓国では真面目な研究が難しい思って日本を選んだのである。韓国からのバッシングによって、多くの知人を失なったが、他方では心からの友人、知人、フレンドシップの友人が得られた。慰安婦問題を起こしたのは日本の反日、それが韓国の反日へ、そして日韓関係を悪くする。日本が不和の温床でもある。日本の反日が怖い。下川氏の言葉のように日本での研究は難しいかもしれないが、必要だと思っている。

 

下川 正晴 崔吉城 今度の本の取材執筆をしながら、痛感したのは、先生や僕のように、日本統治時代の朝鮮映画を見たことがない人が、ほとんどだということですね。一般の人はもちろんですが、朝鮮文学の研究者でもちゃんと見たことがある人は、少数です。
先生は僕が未見の短編映画のほか、民俗資料としての記録映像もご覧になっている。先生は最先端を進んでおられるので、朝鮮問題に関心もない一般記者が先生の著作に無理解なのは、ある程度仕方がないと思います。
僕も先生の今回著作の韓国語版を持っていますが、やはり、日本語版が出版されると、瞬く間に読めてしまう。先生のように、日韓双方に訴える著作をコツコツしていくしかないんだなあ、と思っています。
先生は韓国内にとどまって研究生活をされていても、立派な学者になられた方だと思います。しかし、日本で研究するという困難な選択をされた。奥様がしっかり支えてこられた。お二人の人生の価値は、きっと多くの人々に理解される時期がくると思います。それだけの実績がある方だと、今回の本を読んで改めて思いました。
授業をするように声をかけていただいたのは、見えざる手のおかげだと僕は思っています。今、授業に向けた準備をしています。受講生に話したいことはたくさんありますが、ポイントを絞って受講生に少しでも理解してもらうことが大事だと思います。ご指導をお願いするとともに、先生にはお体に注意され、今後とも大きな刺激を後輩に与えていただくよう祈念するばかりです。
思わぬ激励の言葉をいただき、私の書き込みが長くなったことを、ご容赦ください。

性暴行「戦争の武器as a war weapon」

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 先日田邊正樹氏から借りた本『慰安所:男のホンネ』から貴重な事実を見つけた。1942年の5月現在シンガポールに朝鮮人慰安所があったことが書かれている。私が見つけて訪ねた現存の元慰安所と関連性が高い。元慰安所に関してはすでに拙著『慰安婦の真実』にも書いた。その慰安所で帳場人として働いた朴氏がそこで日記を書いたことが裏付けられる。それは売春地区にあったことも分かった。
 ネット上「戦争の武器as a war weapon」としての性暴行をしたという記述がある。意外なこと、朝鮮戦争で朝鮮戦争中に中国支援軍の性暴行14例がウィキペディアに書かれている。拙著『韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたのか』とは大きく異なる真逆の記述である。一般的に「敵女」への性暴行は、戦術の一つのように言われ、文学、映画などで多く扱っていることは私も知っているが、朝鮮戦争では敵女ではない味方の女性に性暴行をしたということから、売春に代わりやすいということを戦争体験験から書いた。
 性暴行の告発、慰安婦問題などアフリカなど・ルワンダなどで40%弱の報告がなされていても、韓国の女性は叫ぶのか、日本人の女性はなぜ黙っているのか。戦争の加害者意識、貞操観の差、人権意識、恥の文化など分析すべきであろうと思う。
  North Korean nurses captured by South Korean and US soldiers. Captured North Korean women were sometimes raped by US soldiers.[183]

During 11 months of 1952 in the 110,000-man logistics branch of Chinese Volunteer Army, there were 41 men charged with rapes,

何故泣くのか?

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 今日は大阪で「冥界婚」について北村皆雄監督と対談する。韓国人の泣く現場の儀礼、日本の泣きとはどう違うか。彼はプロ、私はアマ、その対談である。編集とノーカットの対照的なことを語りたい。韓国語で『韓国人の哭き』を、舘野晳氏訳の『哭きの文化人類学』として出版して、今は古本になったが新しいテーマでもある。私が撮った映像は哭き、泣きだけであるが、北村氏は巫俗の霊魂観に広げている。何故泣くのか?ただのカタルシスではない。涙と悲しさは、また嬉しさとは問題点を語りたい。

わが人生を語る

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 朝早く新幹線で出発、10時頃大阪淀川区にある第七芸術劇場に入った時は真っ暗でただ立っていた。手を取って席に案内してくれ、後に壇上で対談した人は50年ほど前からの友人の北村皆雄氏。壇上から見ると、多比良建夫、堀まどか、映画人の康の諸氏の顔がクローズアップされる。嬉しい再会であった。ムーダンたちによるクッの映画を再度視ながら20代に調査した時を回想し、考えさせられた。私はムーダンの内部生活から村との関係に密着していた。ムーダン社会には男女平等、恋愛自由、能力主義などがあり、先進的であると思い、調査を続けた。当時被差別集団へ接近し過ぎ、堕落していくと非難されたにこともあったが、私は調査に専念した。半世紀以上の社会変化とともに巫俗も大きく変わった。特に韓国のナショナリズムにのって差別芸能集団だった彼らは無形人間文化財へと、大きく変わった。終わってフェイスブック友の村田憲司氏ご夫婦が持ってこられた拙著にサイン、お会いできて嬉しかった。昼食後帰宅した。疲れた。
 

クリスマス音楽礼拝

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 前日シャーマンの歌と哭きの話をしたが、昨夜はキリスト教の雰囲気に囲まれた。宇部教会で行われた在日キリスト教会でのクリスマス音楽礼拝に出席した。シャーマニズムとキリスト教の両方とも韓国の「乱場난장」のクライマックス雰囲気であった。クリスマスといえば日本では非クリスチャン、商業一般人の行事であるが、昨日の音楽礼拝はキリスト教の信仰文化であった。
 主日礼拝では金成彦牧師が処女マリアのイエス誕生に触れた。古くは文化人類学では論争のあった有名な研究がある。彼は性交誕生とは違う神の決定によるものとして進行すべきだと語った。神の決定、それは韓国語점지하다「授ける」という適語がある。私は母から鉗岳山の山神霊に授かったとよく言われた。生命の誕生を性交によるものと思うのは幼稚な段階、熟考すべき話である。
 その説教の牧師中心の下関教会のメンバーが西南地域の音楽礼拝で登場した。折尾教会のYABEインタビューのコミックの後の雰囲気の中で乱場を起こした。変装で(?)の7人グループのダンスがニュースターとして脚光を浴びた。本当のクリスマス祝祭であった。
 私はシャーマニズムからキリスト教へ、日韓の反日と親日など曖昧な瀬戸際を行き来しての人生である。誤解されるのは当たり前。

 

「冥界婚」

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 昨日のワンアジア講座ではビジュアルフォークロア代表、監督の北村皆雄氏が担当した。
 私は北村監督との出会い、1970年代以来、共に調査旅行、ドキュメンタリー番組制作など多くのことをしてきた。彼を通して私は日本の多くの映画人と知り合った。1999年哭き放題の巫俗儀礼を映画「冥界婚」として製作した。その作品には私の名前も隅に記されているが目立つことはない。しかしいつも私は自身作であるように嬉しく、宣伝している。「冥界婚」をもって数回彼とトークショーをしている。それは韓国東海岸の巫堂が司祭した死者同士の結婚式で、受け入れ難い悲劇に直面した家族の心を癒す儀礼と芸能者集団の貴重な記録である。
 昨日の講義ではインドでのターミナルケアというか、臨終から葬式までの貴重な映像を流し、韓国のシャーマン儀礼、日本の死者との出会いの年中行事の映像を見せてくれた。映像が溢れる時代の中の一つの映像とはの片付けられない貴重な,迫力を感ずる。それは映像をとるために準備、交渉、撮影、編集過程が混合して映ってくるからである。
 「冥界婚」を下関と韓国でも上映会をし、彼とまたトークショーをしたい。

韓国教育院訪問

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  日韓関係がギクシャクしているが戦後以来の常態であり異常ではない。人によって「韓国との国交断絶」の声も出て、のそれも理解できないわけでもない。政治的な口論では悪くても、民間の付き合いは順調である。韓国語、韓国文化、韓国人が好きな日本人は多く、増えていく。
 昨日私は大学院会議に参加、海峡の裏町文化塾の忘年会には途中参加になった。忙しく有意義な一日であった。下関に住み始めてから韓国教育院とは多くの行事を協力して行ってきたが、ここ数年院長の交代によって最近は音信さえなくなっていた。山口県では韓国からの留学生が圧倒的に多い東亜大学にも地震情報など韓国総領事館から公文さえ届かなかった。
 私が抗議した以降も同様であるのでなぜか、遠ざけられている中、昨日大学の副学長鵜澤氏と学科長古川氏と共に、韓国教育院を訪問した。院長の孔淑子氏は450人に韓国語を教えているという。鵜澤氏は東亜大学には100数十人、韓国からの留学生がいて、韓国との太いパイプが出来ていると語った。


「日本料理もおいしい」

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 昨夜は下関の有志達の勉強会で「慰安婦の真実」について語った。高齢者の勉強と語り合い、旅行などを一緒に楽しむ楽水会の会員60余名中、昨夜は20人ほど参加された。司会者はまず私の研究を中立的、客観的なところに注目したいと紹介し、話が始った。従軍とは何か、売春とはなにか、ポイントに絞って語った。
 質疑では吉田清治の本と朝日新聞の記事などに関する質問があった。私は完全に検証されてはないが済州島と大邱の事例から嘘よりはフィクションだと答えた。また文化や伝統の高かった朝鮮が植民地にされたことには永遠に恨が残るのは当たり前と主張した人がいた。それは大きい問題提起になる。つまり文化や伝統の高い国だけが植民地するということだろうか。アイルランド、台湾などをどう説明するのか。
 日本料理は見た目のものだと思っていた私が昨夜は「日本料理もおいしい」と感じ、スープも一滴も残さず、満腹になった。9時定刻に終了した。

普通に生きたい

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 日本では12月を「師走」ともいう。私に「忙しいか」と問う人もいる。私は日常の講義、勉強会そして時には講演など普通に続ける。寒さとお歳暮の季節、年賀状も準備する。韓国からキムジャンのキムチが2か所から届いた。嬉しいプレゼントである。ソウルの姉、教え子の張教授から。また明日は教会で韓国から来られる料理の先生からキムチ作りの講習会が行われるとのことで誘われている。ある人は如何にすばらしい健康食品であるかと、キムチを賛美する。  
私はそのキムチ賛美の言葉にもっともだと思う。
 私にとって今年は意外なことがあった。『慰安婦の真実』がベストセラーとなって日本研究特別賞を受賞し、「名士」として招請特別講義が予定されたこと、そして意外さを超えて驚いたことに前日に取り消され、「最高と最下」の心情が共存したことだった。しかし私自身は変わりなく普通に生きている。この調子で満足する。クリスマス、年末年始と、時間は経過していくが私はこの調子で普通に生きたい。

*写真インドゴムの葉
 

お知らせ:下川正晴氏東亜大学で特講

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 日本で韓国の映画を紹介している言論人下川正晴氏(元毎日新聞ソウル支局長、論説委員)が明後日12月17日12時50分から東亜大学で「植民地朝鮮の映画」について講義をする。市民の参加も歓迎している。下川氏は1970年毎日新聞山口支局、1980年に北九州に務め、大分短期大学では韓国映画上映会も多く行った方である。ソウル留学、韓国人が偏見と誤解に凝り固まっているのが分かったという。彼は次のように「下関は、僕の朝鮮理解の出発点になった場所と言って良い」と書かれている。

レジュメ:「映画は超時空旅行である〜日本統治下の朝鮮シネマ群像」
 ●ソウル特派員としての体験(例:慰安婦問題)
・書かれたものは信用しない(特に教科書)。理由:思想で再構成されたものだからだ。
・証言も全ては信用できない。裏取りが必要だ。
・映像の力=①意図しなかったものまで映っている②その時代の思想によって編集されている③目と耳による感性的認識は、多様な歴史認識に至る入り口である。

●植民地朝鮮(台湾)をめぐる論争:「収奪論」vs「開発論」vs 「植民地近代論」

●日本統治時代の朝鮮シネマの発掘:2004年以降、中国電影資料館などで見つかる。十数本。新しい(自分ならではの)植民地認識への入口になる。韓国で研究進む。日本での研究は崔吉城先生など一部にとどまる。

●実例①ネットで全部見られる朝鮮シネマ:李炳逸監督『半島の春』(1941)。朝鮮の美人女優・金素英(女学校を卒業したばかりの女優志願生役)が主演。1940年当時の京城(現在のソウル)を活写し、当時の朝鮮映画界の苦闘をメロドラマ化した作品。→では、見てみましょう①何を感じましたか?

●実例②DVDで見られる朝鮮シネマ:崔寅奎監督『授業料』(1940)。光州の朝鮮人小学生の作文が原作(朝鮮総督府学務局長賞)。八木保太郎が脚本を書き、薄田研二が先生役を演じた。当時の小学校の様子がよく分かる。僕の評価=朝鮮シネマのベスト・ワン。崔吉城先生もDVDを持っておられる。→では、見てみましょう②何を思いましたか?
●実例③DVDで見られる朝鮮を舞台にした日本映画:今井正監督『望楼の決死隊』(1943)。「永遠の処女」原節子らが主演した共産ゲリラ掃討の国策映画。監督は戦後の共産党員。朝鮮人出演者は解放後の朝鮮映画界トップに抜擢されたが、のちに金日成によって粛清された。Amazonで中古DVDを売っている(僕が宣伝して以来、値段が高くなる一方です、笑)→では、見てみましょう③何を勉強したくなりましたか?
●歴史認識とは何か?:戦争は、人民を大量殺害した「大火事」であった。
「円錐」は、どんな形をしているか? 真横から見れば三角形、真上から見れば円である。
新聞記者の基本「火事取材」=前後左右から、上から下から観察し、被災者(火元?)や消防団員らに話を聞く。
●再び「映像の力」とは何か:①意図しなかったものまで映っている②その時代の思想によって編集されている③目と耳による感性的感覚は、多様な歴史認識に至る入り口である。そして「敗者は映像を持たない」(大島渚監督)=終わり。

フェイスブック友

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 釜山からすべての材料を持って来られた講師によるキムチ文化教室が大韓基督教会下関教会で行われた。主婦たち10余名と信者たちの交流の、韓国文化の時間であった。日韓関係は健全と思わせる。実にそうであった。家内が後かたずけを手伝っているので、私は本屋に向かって密集住宅の細道を歩いて行く途中、ある人が座って町を見下ろしながらスケッチをしていた。近づいて声を掛けてみた。私がフードを外して顔を出したら彼は「チエキルソン先生ではないか」と言う。驚いた。彼は韓国が好き、韓国語で話しをした。名前は豊田滋氏、すでにフェイスブック友である。今朝彼から絵と文の投稿があった。今、日韓関係は最悪と言われていてもそれは非礼な人たちのこと、善良なる市民は健全である。

バッシングbashingとは

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 毎日新聞元論説委員、ソウル特派員であった下川正晴氏と夕食をした。私の研究と著作に良いコメントの言葉があった。彼はもちろん私が韓国言論からバッシングbashingされていることも知っている。特に最近釜山の国際新聞に私が「日本で韓国を卑下と歴史歪曲の先頭に立つ新親日派として評価される人物」と報道されたことに釜山の東亜大学校側はそれを認め、これから注意するというコメントもあった。
 「新親日派」とはMBCtvが私に付けた冠詞であり、私がそれに触れて下川氏に「私がなぜ親日派か?」コメントを伺った。彼は言った。それは呉善花氏との対談したからであると断言した。韓国のメディアや市民が私の本を真面目に読んでいる人はいないこと。何より大学校側が世論に屈していることに私は失望した。朴裕河教授が世間では有罪云々とされても教授職を維持することで私は韓国の世宗大学の学問の自由と保障を評価している。
 以下私の国際新聞の報道に関する2チャンネルコメント200数十件を紹介する。

学問する態度ではない。韓国には学問の自由がない。表現の自由も無いわけね。日本の大学の教授なんだから日本で授業をしていればいいんじゃん。 親日派は片っ端からつるせ!!!崔吉城の本、アマゾンでベストセラー1位になってるな。「日帝の慰安婦強制動員の証拠が不十分で認める事ができない」 「日本が植民地朝鮮に近代的インフラを構築した」 どっちも事実やんか。反対派は封殺、本当にもうダメだろ。洗脳教育の賜物。反日教育がうまくいってるようです。憎悪の感情だけを増幅させられた成果が今の世代だろう。「新」なんてのも出て来たのか親日が罪になる反日カルト国家だ。学生が自ら事実を知ることを拒否する恐ろしい。中国のほうがまし。 小中学生ならまだしも、大学の近現代史サークルでこのレベル?歴史とは「検証ができている史実」に基づく学問だと思っているけれど。韓国の若者は不幸な未来しかない。歪曲した歴史を学ぶ虚しさがあるんじゃない?入国させて逮捕したら面白かった。講演で慰安婦や徴用工を貶める発言してたら出国禁止・身柄拘束の流れになってたかもな(笑)。そんな学生が卒業しても就職先がなくて日本にやってくる。恐ろしい。日本の企業の就職説明会に集まる。こんなのが将来日本に就職して下手すりゃ上司になるとか穏やかじゃねえなあ。日本の企業は雇わないように。講義中に慰安婦について言及して学生にチクられて実刑受けた人もいる社会だ?親日も反日もしっかり互いの意見論調を受けて、倫理や話など判断も理解出来ない人達だった。 ノーベルとれる脳じゃないってことね。悪い こんな人達が働きに来るってありえない 。既存の価値観に疑問を呈せない国は学問が発展しない。ノーベル賞が取れない原因がよく分かる。日本は悪いという前提があるから、真実を知ろうともしない、日本統治時代は良かったと言った爺さんが若者に殺される国・・・

 


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