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Channel: 崔吉城との対話
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約束

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 いつも彼のノックは強い。それは嬉しいもの、昨日友松弘幸氏が下関市議会議員浦岡昌博氏と下関在住の中国出身永住者の閻先会氏の3人で訪ねて来た。二人はニューフェイスなのに旧知のようであった。浦岡氏は初対面とは思えない、親密な印象。わけは数年前、公明党主催の集いで名刺を交換した人である。もう一人の閻さんは私の住んでいる所の近所で出版社を経営しているとのこと。下関出身の詩人金子みすずの詩を中国で翻訳出版、著書『下関書』を中国でだして山口のテレビ、新聞などで報道された人である。
 日中韓の国家間関係が悪くても人との関係は決してそうではない。韓国の判決は法の話、一般的には約束を守らない韓国として一般化されていく。慰安婦合意は民意を反映していないものだから効力がないと韓国はいう。朴正熙大統領の日韓国交正常化の条約も民意とはとても遠いものであった。しかしそれは大きい恩恵として発展したことを否定することはできない。いま悪賢い理屈で国家を誤った道へ傾かせるのは許せない。約束を守らないというイメージは絶対作ららないでほしい。


演劇文化

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 日韓関係が悪くなると私の本が売れる傾向がある。数日の間、拙著『慰安婦の真実』が分野ではあるがベストセラーマークが付いている。感謝すべきか。寂さもないわけではない。新著は紙の本とほぼ同時に電子ブックの両方で出版されるようになった。人類は「文字」「紙」の発明により「文化」「文明」が発展してきたが絵、漫画、画像、映像・映画により脱文字の時代になっている。国際化には効果があるが、思考や思想を低下させるのではないか、憂いがある。  昨夜久しぶりに演劇「異聞岩倉使節団の長州人」を観覧した。日本語の難解、自身の日本語をテストするような時間であった。原作は最近亡くなられた古川薫氏、その奥様、クリニックの先生ご夫妻と偶然ではあるが並んで3時間近く鑑賞した。休憩時間には東亜大学の櫛田学長と雑談した。本当に観劇文化を楽しんだ。
 上演は野村忠司氏のナレーションから始まった。彼は元気な力強い、良くとおる声で素晴らしかった。物語は、米サンフランシスコを目指す船中で起きる視察団員間の軋轢や女子留学生を巡る事件を裁判する様子、日本が西洋の司法制度を受け入れる様子が分かった。その司法制度が朝鮮にも施され近代化されたことを感じた。ほぼセリフ中心、ラジオ脚本のようなものであった。熱心に傾聴してその分疲れ、その分楽しかった。演出を担当した「劇団海峡座」の武部忠夫さんの挨拶と配役の紹介、そこには東亜大学剣道部の学生などの参加もあった。

 

大学創立

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 昨日は大学の創立記念日だった。本学の創立者、櫛田薫氏はお元気で出勤しておられるが、このような記念すべき日には表にお出にならない。しかし一昨年に私の講演依頼には喜んで語ってくださった。連続しても良いとおっしゃった。友愛の精神が感じられた。私は彼の遠慮と謙遜を尊重したいが、遠慮により彼が不利益にはならないように考えている。

「不浄」

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 本日は1年ぶりに私の執刀医に会う、定期健診があり、緊張している。私は死亡率の高い病気を2回も病んできた。しかし、採血の針が刺さることにもびくびくする臆病者でもある。風疹が出産に影響する話が報じられているが、私の年齢では他人事、しかし、いつ自分がなるか分からない病気は多い。昨日の説教を聞きながら自分の研究を思い出した。エゼキエル書で民の不浄と清めについて牧師は「共同体」として説教した。私は自分の研究、集団清めの民間信仰を思い出した。キリスト教と民間信仰の共通点である。村(共同体)祭りの(水)清めに注目してムーダンの清め儀礼シッキンクッ「不浄」に関心があって、調査分析した論文をアメリカで発表し、フランス語などで訳された。中国の空気汚染より、インドが深刻であるという。不浄と浄化の問題は普遍的な問題である。
 下関歴史博物館では大内時代の朝鮮の影響が展示されていて、観覧した。銅像、絵、漢字などが歴史を伝えている。

Almost normal(ほぼ正常)

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 早朝病院に着き、受け付け、血液・尿検査、エックス線、心電図、心臓ECOの検査が続いた。特にECOは峠、長い時間で細密検査であり、途中で自分の心臓の音も聞こえた。工場のピストンの轟音のような心臓の音を初めて聞いて、逞しく動いてくれていることを確かめることが出来た。心臓に感謝する気持ちであった。しかし主治医の阪田先生の診察、それが私には裁判官の宣告なようなものであった。先生はECOの写真を見せながら説明をして下さる。心臓の赤青の動画を注意深く見ておられた。医学知識のない私には赤信号だと感じた。私はモニターの上からようやくAlmost normal(ほぼ正常)ということばを見つけることができた。すこし安心はしても、赤青の画像に不安を感じた。その不安感が私の生きたい生命欲かもしれない。「歩きなさい」と命じられ「はい」と答えた。夕方帰宅時、さっそく外歩き用の冬用ジャンバーを買った。大学では画伯の川野裕一郎教授の講義に参加、コメントをした。

BTSのシャツ

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 ヴェランダや玄関などに置いていた鉢物を部屋の窓際などに置いている。わが家のリビングは冬型密林になっている。根分けしたもの、挿し木したものも茂っていて、蘭は花の芽を伸ばしている。寒さに強い雑草は外に残されている。秋田の金足農高野球チームが「雑草」を標語の中に入れ、女性サッカーチームの名が「撫子」、日中戦争時の慰安所では「日本人慰安婦」を「撫子」と表した。私は「日本海」という地名についてそれが「日本の海」を指すものではないと韓国側の騒ぎの間違いを指摘したことがある。日本人がアメリカやイギリスの国旗や文字を入れてデザインしたものは多い。地方で「ソウル食堂」「東京食堂」などのように事実をそのまま反映はしていない。今韓国のBTSのシャツが日韓関係を悪くしてる。その問題のシャッに書かれたように愛国心PATROTISMになるか、逆になるか分からない。メディアに目立つことは遠慮するか、遠慮させるかして、騒ぐほどではないと思う。私は1990年朝鮮日報派遣紀行団員として行った時「日本学」というデザインのシャーツを着て行って顰蹙をかったことを思い出して、私が失礼したと謝る気持ちだった。ただ原爆、ニューヨーク貿易館煙景など残虐な場面は倫理、感情などで控えるべき、少なくとも良心の問題であろう。放送倫理委員会の役割に期待したい。

ミュージカル歌劇「春香伝」

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 昨夜例年のように金剛山歌劇団の公演を鑑賞した。政治的な解説式あいさつの後幕上げ、今度は朝鮮学校の幼稚園から中学生たちがオープニングし、斬新であった。今度はミュージカル歌劇「春香伝」であった。朝鮮王朝時代の恋愛小説やパンソリなどで有名な「春香伝」、朝鮮語と日本語の字幕のものである。2時間以上音楽と舞踊で始終した。舞台装置、音響、照明などが洗練され、芸術的な舞踊ミュージカルであった。春香と夢龍の「一片丹心」という恋愛、原本ではセクシュアルな描写があるが、伝統的な窓襖を動かし、間接的に表現した。舞踊ミュージカルの連続、クライマックスが感じられない。劇でありながら「劇性」があまり感じられない。しかし楽しかった。

 

寒さ(冬、雪、オーロラ)を商売とする

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 この頃になると観光人類学の講義では寒さ(冬、雪、オーロラ)を商売とすることを扱う。クリスマスが西ヨーロッパでは12月25日、東では1月6日、サンタクロースは北欧の発祥、赤い服装のおじいさんの姿はコカコーラの宣伝によるものであることに触れる。それらの情報はネットでも簡単に知れる。しかしネットでは知ることができない難しい問題がある。日本はキリスト教の信者が1%にもならない国、しかしクリスマスの飾り、ギフトなどが盛んなのはなぜだろう。ハロウィーン、バレンタイン等々西洋の文化を受け入れているのにキリスト教の信仰は受け入れないのはのどうしてだろうと、学生に問題を提供した。彼らは日本という国を考え困った表情をする。そこに私はもっとも難しい質問を投げかける。「あなた自身は表面だけ変わっても本質的には変わっていないのではないか」と。優秀な学生たちは戸惑っている。丁度終わりの鐘が鳴った。

*写真:リトルエンジェルスが咲いた


『殖民地朝鮮:映像が語る』

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 もう1冊の拙著が発行された。その最初の書評が出た。内容が詳しく正確しょうかいされ、正しく評価された。嬉しい。竹下一氏(長周新聞、2018.11.16)の「プロパガンダ映像は現代も」という題下次のように書いている。そのまま引用する。

 著者は、「プロパガンダ映画といえば宣伝や煽動というネガティブなイメージガあるが、製作する側はプロパガンダというレッテルを貼られないようにするのが常である」「プロパガンダはどの時代にも存在しており、今現在続いているて、戦前戦後と問わず普遍的な現象である」と主張する。それは例えば、今もCM宣伝による消費、浪費は言うまでもなく、九・一一のニューヨーク世界貿易センタービルの惨事の映像を必要以上に繰り返すことで、芸術性さえ感じさせて脳裏にインプットして変質させることにも貫かれている。著者はそこから、戦前のプロパガンダを批判しながら、「現在のマスコミの映像媒体」を批判しない、あるいはできない「平和運動」の浅薄さをも指摘している。こうしたことは、戦後日本においても朝鮮における植民地支配についての本格的な研究が遅れてきたことそのことが、アメリカによる新しい形の植民地支配について思想文化面を含めた体系的な洞察、暴露の弱さとつながっていたことを考えさせる。

妻の存在感

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 家内が「楽しい韓国文化論」の韓国旅行にいかれて二日目の朝、残されている愛犬ミミを面倒を見るだけでも大変である。如何に妻の存在が大きいか、私は寂しがりである。突然独身者が偉く感じた。独身や一人暮らしの人が多いが、それは自由か束縛の点からの選択することではない。生活はどうもあれ、孤独感をどう克服するのか。自由を満喫するともいうだろう。独身、一人生活するには自我が固く確立されなければならない。自立した成熟な人とも思われる。しかし多くの人は一人暮らしで社会へは消極的になり、引きこもりなるかも知れない。私は一生介護されていると思っているようであり、一人暮らしには対応ができないと弱さを痛感した。老犬ミミに餌を上げるなど世話も辛くなく、否、楽しい。
 昨日はタクシーで出勤、中国の姉妹提携大学の嘉興大学からの盛頌恩総長を始め李勇,彭文利,李月順の4人の方を迎え、大学で歓迎式、昼食を一緒にした。総長の盛氏はハンサムな50代、ヨーロッパで短期間留学したことのある方少し英語で話ができた。同大学の李月順氏は広島大学の教え子であり彼女の交渉で、4年前櫛田学長と私が同行して姉妹関係を提携したのが始まり、今交流が活発になっている。紅葉の見ごろの功山寺の住職有福先生宅まで案内し、私は帰宅した。

「南北統一の日」

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東洋経済日報(2018.11.16)への寄稿文。崔吉城「南北統一の日」

「韓国のキリスト教」

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 昨日はキリスト教の収穫感謝節、今日の公開講座では「韓国のキリスト教」を扱う。日本ではクリスチャンが1%以下の極少数であるがキリスト教文化の表面現象、ネオンの飾りなどは盛んな国、それをどう思うかを問う時間である。ワンアジア財団では政治や宗教は避けることになっているが、本講座では敢えて宗教を扱っている。それは宣教活動ではない、研究である。聖書しか読まないような原理主義者、盲信者には不満があるかも知れないが、「一つしか知らない、あるいは一つも知らない」方々には参考になるかも知れない。文化、教養として知っておくのもいいと思う。前回の私の講義の「シャーマニズム」、そして今日の秀村研二教授の韓国のキリスト教、日本のキリスト教(高橋)、アジアの仏教(有福)の講義が続く。世俗的には「空念仏」「説教」と揶揄されることがあるが、宗教、信仰の真意に迫ってみたい。*東亜大学13号館202教室、12時50分から14時20分まで、参加自由。*写真、田辺正樹氏のフェースブックから

「名士招請特講」中止

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 昨日朝京都大学での講演依頼にOK,しかし午後は?日本では「褒め殺し」という恐ろしい言葉がある。手紙やメールなどで誉める頭語の終わりには必ず「残念ながら」という殺し(?)結びになるのが普通である。そのような文脈はドラマなどでも、幸せな場面から始まるのは悲劇的な結末が多い。1年ほど前に、韓国の東亜大学校から私に「海外名士」として「招請特別講議」という誉めことばで依頼され、長く日程調整をして今日11月20日午後3時に講演をして、日帰りをすることにして、スケジュールを調整した。おそらく「名士」に相応しく成功物語の話が期待されているだろうと思いながら、しかし私は「失敗物語」を語るつもり。そして釜山地域の教え子たち(今は教授)も集まることになった。その最中に、昨日3時頃韓国の東亜大学校の二人の教授から電話とメールが来た。「講演中止」という。「日韓関係が良くない、韓国言論に報じられたこと、慰安婦問題など微妙なこと、学生たちの反発が予想される」という理由であった。私の研究室には、通話の時、外部から特講に来られた教授、本学の副学長、外部の人とも、ショッキングな話に相談、対応、対策を講じた。

 韓国の東亜大学校と日本の東亜大学とは同名、前者の総長一行が下関に2泊しながら友愛の姉妹提携を結び、総長から私に講演に招くことになった経緯がある。突然、しかも直前の取り消しに、皆が驚き憤慨した。私もそうであった。しかし私は友愛関係を壊しくない。相手がそうしても私は「友愛」がもっと価値があると思う。日本では韓国の東亜大学校がよりよく知られていて、時には私がその大学校の教員に思われることが多々あったが、この度のことをみて下関の日本の東亜大学の教授であることが如何に幸せであるかと思うようになった。人々が私に「中立的だ」というレッテルを貼ってくださることに感謝、嬉しい。しかし中立は両方から非難されやすいことを覚悟しなければならない。また両方から褒められることもある。

原田 環 公開セミナーのお知らせ

・報告者:崔吉城氏(東亜大学教授、広島大学名誉教授)
・テーマ:「慰安婦の真実」
 今日、日韓間で問題になっている慰安婦問題について取り上げる
・場所:県民文化センター(鯉城会館)5階、504号室
・日時:2018年11月24日17:00ー18:30
・その他:事前申込み不要 学生無料
 

「親日派」(悪口)

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 昨日釜山東亜大学での講演が中止になっていたその時間に外出して戻ったらフェイスブックに東大の真鍋祐子教授が見つけてくれた韓国「民衆の声」記事、驚いた。水野俊平教授との応答投稿が次のようにあった。慰められた。

真鍋祐子:崔先生。この記事を見てビックリしました。まさかこんな大事になってたとは。先生が「親日」なのですか⁈
しかも「国民の税金で」と日本のどこかで聞いたような理由で、「親日」がポリコレ棒として振り回されている… 私を侮辱する記事が出た。
Shumpei Mizuno これが文政権下の韓国の実態です。今更ながら。
Shumpei Mizuno 日本では何か民主主義が花咲く桃源郷のように勘違いされておられる方もいるみたいですが。
真鍋 祐子 Shumpei Mizuno 確かに。。。
真鍋 祐子 まあ、適度に脱力しながらやっていくしかないですねえ…
Shumpei Mizuno BTSの商売などよりもよっぽど学問と言論の自由にかかわる大問題だと思うんですがね。韓国人の大部分は自分がやるぶんになると完全無感覚。自分がやればロマンス、他人がやれば不倫。マキャベリストだらけなんですわ。

 東亜大学校学術院は崔吉城教授の最近著を紹介しながら「名士招請特講」の中止を公知した。それが報道された。記事によれば講演は韓国の教育部、韓国研究財団が支援する。ただ1日前に急に取り消した。実は予想されたものであった。学生たちの「親日の人」を韓国教育部の予算で行うことに強く反対した。日本に帰化し、呉善花氏と対談した本『これでは困る韓国』で「韓国で挺身隊と従軍慰安婦は異なる」「強制したこともあるが、国家が強制法律で命令したかは重要である」といい、親日的意見を披露した」と書かれている。以下私の意見を述べさせていただく。

 まず帰化したことには最近韓国政府が肯定的に国籍をとることを勧めている。日本に帰化した人は日本人であり、「親日」は当てはまらない。親日と反日のテーマに関しては日本語(明石書店)と韓国語(ダラクエン)の拙著がある。ある東亜日報記者が高く評価してくれている。日本に帰化した人は反日はあっても親日は意味がない。こんどの学生たちと記者の無知、レベルの低さには驚く。論議したい。もう1冊、本を書きたくなった。
 是非反論してください。また国家の予算云々は、国家宣伝以外には言論の自由がないことを意味するのか。私の学生時代には国家への「御用学者」を批判したが貴方たちは政府を宣伝するのか。この「民衆の声」という記事は「民衆」ではなく、「政府」を庇護するものなのか。
 言論の自由がない。アメリカの名門大学は社会をリードしようとする。私は啓明大学教授時代デモ隊の学生の指導教授として治安局長に反抗したことは当時の関係者は知っている。私はいま皮肉にも貴方たちのような学生に抗議している。
 このようななことは私を「親日派」(悪口)とする人は、自分自身を侮辱することになる。学問が何かちゃんと勉強をしなかった人が私を侮辱する資格があるのだろうか。私は少なくとも韓国の愛国者であると思っている。陸軍士官学校で多くの将校を養成し、50歳まで予備軍など軍務を終え、日本に来て苦学をして、研究だけに専念して、研究者と教育者として日韓両国で研究と拙著を出している。貴方たちは私を非難する資格があるのか。知識があるのか。価値観があるのか。何が愛国なのか知っているか。聞きたい。
 海外名士招待特講を頼まれたことがなぜ悪いのか。「学問の自由」という言葉を聞いたことはないのか。客観的な研究が韓国並びに世界に貢献できるということを知らないのか。慰安婦に関する私の本を読んだのか。内容と結論のどこが親日なのか教えてほしい。私の本を読まずに私を親日と評価するのは大きな間違いである。拙著のどの部分が親日なのか指摘してほしい。

「死刑にせよ」

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 韓国の大学からの招請講演中止に関する昨日の本欄には多くの友人、知人らのコメントに感謝している。昨日朝早く大学の櫛田学長に報告し、鵜澤副学長からも、大学は強く私を支持するので所信通りにして下さいとファイト!慰められ、勇気づけられた。これを機にもう一冊、書けると笑った。一方韓国のネット新聞記事へのコメントでは半分は大学批判、また半分は私の悪口、中には「死刑にせよ」「勉強もっとせよ」と、書かれている。日本に比べ韓国では悪口が日常的に多く、非常に盛んな国であることはいうまでもない。私の恩師はその猥談、悪口、陰口を研究した。セックス、近親相姦的な悪口、呪いが圧倒的に多く、その文化で育った私さえ驚くほどである。しかし私を「死刑にせよ」というのはネット書き込み制限なしであるからだと思う。それが韓国式の言論の自由というが、日本では様々なハラスメント防止が行われていて、対照的ある。約束を破るのは国家、大学、そして個人では悪口言い放題の自由な韓国、ヘイトなどを遥かに超えている。多くの中国人、韓国人が日本が住みやすいというのが納得できる。


「広島に言論の自由がある」

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 火曜日(20日)韓国での講演が中止になり、土曜日(24日)には広島で講演する。場所だけが変わったわけではない。質が異なる。「広島には言論の自由がある」と主催者の原田先生の電話に励まされて、予定通りに行われる。昨日車で送ってくれた古本氏が「韓国の学生たちに視野を広げる先生の講演を中止させた学生、学校は大きく損をしている」とまた励まされた。読書会では倉光氏が京都大学のCOEプロジェクト研究の一論文を紹介した。韓国の被害者の慰安婦とは違って、日本人女性が多く性暴行されたことに論文では「加害者が受けた被害」つまり侵略者が罰されるべき罰という脈絡から「黙っている」という趣旨の内容を紹介して、討議した。戦争や植民地でも両側の無辜なinnocent国民の「被害」は無視される。韓国で個人請求権は消滅しておらず補償されるべきだという裁判判決と同様に日本人の被害も保証されべきであろう。

(参考)共産党議員:「日韓請求権協定で個人請求権は消滅していない」、「だから(自称)元徴用工は日本企業に損害賠償を請求することができる」という詭弁です。ただ、この詭弁がもし認められるのならば、むしろ日本国こそ、韓国に残してきた莫大なインフラの対価を請求する権利があることになります。是非、それを韓国に対して請求しようじゃありませんか。

「内部」

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 以前中国瀋陽西塔で聞いた話を思い出す。韓国人が朝鮮族の人をキーパーソンにして韓国から資本も持って行って食堂を作り繁栄したところ不正という内部告発で、逮捕直前に涙をのんで帰国せざるを得なかったという人の話を聞いた。またカザフスタンのアルマタのホテルのロビーで会った元社長の話を聞いたこともある。有名な結婚式場を経営した人だが、泣きながら長い話をした。同じ民族である高麗人をキーパーソンにして韓国から資本とアイディアを持って行き、商売繁盛した。しかし内部告発で全部失って帰らざるを得ない、その直前に本人が長く話をしてくれたのである。商売を共に良き協力者としていたのに国の権力や法律を盾に、恩恵を裏切る話はまだ続いている。
 ゴーン容疑者を内部告発したニュースを聞きながら日本版か、耳を疑っている。年功序列の因習の会社をリストラするのに有能な外人社長を利用したのではないのか、私には「内部告発」が気になる。内部告発がビジネス界で大きな流れの中で起きたという人もいる。そのようなことは政治や企業などでは茶飯事かも知れないが、実はわれわれ平凡な人間関係にも基本となっている。内部告発者は必ずしも悪いとは言えない。正義感を持ってしたかも知れない。人間関係の基本であることを考えている。「内部」とは近い人、夫婦や友人、同僚は恩恵と裏切りの関係になりやすい。信頼、友愛、正義を正すべきである。

「広島朝鮮史セミナー」

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 昨日日韓歴史共同研究の日本側の代表者であって、現県立広島大学の名誉教授の原田環氏が中心に、1976年発足した「広島朝鮮史セミナー」(26期)で市民向けに「慰安婦の真実」について広島県民センターで講演をした。固定研究メンバー6人、参加者は40名強であった。まず私は日記を読むにあたり、死者と子孫への配慮、日記の内容検証などをしっかりすべく、現地調査も行ったこと、この日記が慰安所に関する「一等の一次資料」であることを強調して分析した話をした。この日記の当本人の帳場人朴氏は当時の「天皇崇拝者」であったこと、それは現在の時点で言うと最高の親日主義者、今それを以て韓国側から反日資料として利用することは矛盾していると指摘した。学問が客観的でなければ研究は始まっていないと語った。質疑は懇親会まで続き、議論して、タクシーで駅に向かった。青年運転手広山氏は私のネットの友になりたいとのこと。うれしい。新幹線で、夜遅く帰宅した。これから同様の題で講演が続くが、聞く人が分かるようにしなければならないと思っている。

「日本のキリスト教」

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 韓国は国民の30%近くがクリスチャンの国、世界で二番目の宣教大国、それは先日秀村研二教授の「韓国のキリスト教」の講義の話であった。昨日、ある韓国人の牧師が在日下関教会で「地の果てまで」をテーマに説教をした。そのはてしなき先、つまり地球の終わりが日本であるという。韓国で数十万人規模の教会と数十人規模の日本とは天と地の差である。クリスマスに常に口にする言葉が「感謝」と「愛」である。30倍愛を言うべき口から日本を憎む言葉が出るのはなぜだろう。それについて私にコメントを求め投稿した人がいる。答えに困っている。
 今日は日本大学国際関係学部の高橋章教授が「日本のキリスト教」について公開講座をする。彼は東京神学大学を卒業し、「福音宣教」に「日本近代日本を築いたキリスト者たち」というテーマで、明治時代から現代までのカトリック、正教、プロテスタントの人物を扱った。内村鑑三、 矢内原忠雄(軍国主義と戦った平和を愛する人)、遠藤周作、 津田仙(日本と韓国において福音の実を結ばせた人:鄭俊坤執筆)などに注目して傾聴したい。 

講義方式

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本欄ではしばしば講義や教授法について触れたが、ここでもう一度触れておきたい。昨日の高橋章教授の「日本のキリスト教」の講義方式についてはいろいろと考えさせられた。
 私を含め、目下多くの講義はレジュメを配りパワーポイントで主に映像・画像を使って説明を加えている方式である。分かりやすいが黒板に筆記をし、学生がノートすることがほぼなく、学生の中には筆記道具さえ持っていない者もいる、ただ理解しても、自分の知識として保つことが稀になっている。
 昨日の講義方式では多量のプリント資料により説明だけであった。キリスト教の2千年史と日本のキリスト教史を語られた。
 二つの講義方式はどちらが望ましいか検討しなければならない。私は講師が教室のサイズ、雰囲気造成、学生の理解力を考慮、問題点に絞って対話式に進行することを考えていたが、教育効果を考え直す時間であった。

 受講生のコメント:高橋先生が母親の信仰から研究へ(チョウセイライ)、聖書を本当に信ずるか(トタンティアウン)。日本のキリスト教・隠れキリスタンへの弾圧、信者が少ない、日本文化とキリスト教の関係、また資本主義とは、日本憲法への影響は大きい(吉村、孔)、洗礼、松下村塾(タマンヘム、梅傑、デェンティトウエン、チェはラム、ズンイェーウィ、キムソンゴン、狩俣、ホンチャンス、ラナティrバハウィル)。韓国のキリスト教とは違う(ベサンヨン、チェジヨン)。中国ではキリスト教を反対する人が多い(董)。講義が難しい(菅原)。コメントしていない白紙が多い。

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