私がアニメの知識に乏しいのはただ高齢だというわけではない。小学校4年生位以来真面目にマンガなど読んだことがない。しかし大学生に講義をする教師としてには理解しなければならないと思っている。そんな中、昨日家内の勧めでアニメ映画「アナと雪の女王」を鑑賞した。ストーリーは二の次、雪や氷の魔法に注目した。波は北斎の名画の波が描かれているが、雪だるまは私が知っているものとは異なる。映画を観るというよりは雪の魔法にひかれていってしまった。水が凍ってしまうのは不便で利器のような現象であるが、その魔法が如何に美しく、魔力的であることかに気が付いた。俳優の演技力を遥かに超えて作るストーリーを超えて、複雑、長くもなる。アニメーションの世界を一気に感ずることはできても理解はできない。王女と王子の恋、結婚反対、口論そして魔法の力「真実の愛」雪と氷へ昇華する。幻想の世界へ。
「アナと雪の女王」
政治的な発言
教養人は政治や宗教を話題にしないという金言のような言葉がある。私がコラムを書いていたある新聞にもそれは鉄則である。私は他の二社の新聞のコラムに政治的に触れたことがあって、それが削除されるというので掲載は辞退しようとした。しかし、その時は掲載されたがその後、縁が無くなってしまった。ある国際大会で会長が「政治と宗教には関係ない」と宣言したが、発表内容は政治と宗教に関わっていないものはほぼないほどであった。
今、民主主義の流れの中で人気主義ポピュリズムが政治秩序を乱している。「政治と宗教に関して黙れ」とはつまらない。フェイスブック友Andy Kim氏が「初めて政治的な文を投稿する」と前置き、日韓関係の悪化を日本側に立って考えて、韓国が1960〜70年代に産業化の過程において日本から借款などのサポートほぼを得た。多く助けてもらった韓国が政権が変わるたびに協定を破棄し無視するのは問題であると指摘した。知識人たちの政治への発言を勧めたい。
始務式
研究室では年末ぎりぎりまでいて話をしていたが、昨日新年の始務式ではなぜか新鮮さがあった。私は高齢者として金田先生と並んで座った。昼食会では教職員の顔をほぼ知らない。名刺交換もした。入れ替わりがあり新鮮にも感じた。学長の年頭辞では留学生が増えている、設立以来の国際化を迎え、東アジア文化研究所を例にあげたり、いろいろなことを語った。少子高齢化の中でも大学は健全であると感じた。金田先生は乾杯の音頭でアジアとの関係を強調し、アジア共同体講義にも触れた。その講義はこれからも続けられそうで感謝である。また、財団側からの電話で私の講義が学生に刺激を与える良い講義だと称賛されて嬉しかった。あるTV関係者からの電話では新プログラムの相談があった。本当に新年、新たな仕事が始まる感があった。
「政治には関与しない」
「政治には関与をしない」ということ数回触れたことがある。すぐ右翼・左派、親日・反日と非難されるから黙っているのが要領が良い人。私は「黙秘権」を持つようなを態度はある意味で卑怯だと思う。昨日はカルロス・ゴーン氏の東京地裁での発言に注目した。この件を初めて聞いた時、本欄でも触れたことがある。日産みずからやり難いリストラに外人を利用し、安定したので追い出すための権力争い、内部告発、そして検察はまず拘留して埃叩きをすればを罪はでるということなのか。これは全く私の印象的なことではあるが、長い人生経験からの思惑がある。条文主義、法律主義とはいっても、客観的な「判断」であろうか。日本の司法にも疑問がある。まず自分の不利な点に触れない司法に私は中立的とは感じない。司法が一方的に容疑にだけ注目し、ゴーン氏側は「全く嫌疑はない」と無罪を主張した。しかも五〇日も過ぎる拘留はどういう事だろう。日韓の差はあるのか。条文「判決」と正しい「判断」は違う。
競走
塩塚秀夫氏が研究室に訪ねて来られた。彼は日本体育大学卒業、熊本県立高等学校保健体育科教諭を38年間勤めて、本学に赴任した人である。彼は東京箱根間往復大学駅伝競走などで受賞した経歴者、本学では女子陸上部(駅伝部)の監督である。彼は東亜大学には留学生が多く、関心を持っているという。私が延々と経緯や現状を説明しようとすると黒人の留学生が欲しいという。黒人とは差別、皮膚の色ではない。アフリカの足が長く、ほっそりした学生が入ってきて欲しいという。マラソン選手として育てていきたいという教育者、やはり監督である。
私の応対の話は長く、面白くなった。個人が体力を磨き、練習して競走に出るのは人間の生き方そのものではないか。走りは練習時間が長い、それに比べて表面に出る、優勝するのは稀、それにかける人生はどういうことかその秘密に迫ってみたい。日本植民地時代に韓国人孫氏が日本のマラソン選手としてベルリン・オリンピックで優勝した話、柳美里の小説の話にまで盛り上がった。マラソンは全的に個人の体力で走ることが基本、それが「競走」になると注目される。私は小学校の時、競走に出た時の、スタートラインでの緊張感は今でも忘れられない。私も人生を走ってきた一人である。
堀晃氏死亡
私の植民地研究と縁の深い堀麗子家の次男の画家が亡くなったことが分かった。去年下関市立美術館の個展の時フイールチェーアの姿で嬉しくお会いして以来のことである。奄美大島で創作活動、全国的にも愛されたのに、悲しく、とっても残念である。去年麗子氏につづいて私には悲しいこと。私は麗子氏の生まれ故郷の韓国巨文島から研究が始まった。それはただの植民地歴史ではなかった。そこで生まれた人、ところを始点にして生き方、価値観、世界観などを検討することとなった。
化粧文化
旺盛な成長期の大学生の変化に注目している。身体の変化はもちろん化粧による変化が著しい。女子留学生の化粧による美化は素晴らしい。私の子供の時は化粧すると芸者だと非難されたが今では全く変わった。伝統という意味はあるのか、疑わしい。韓国と日本との比較はできないが、日本とタイとの化粧の比較のことを読んだ。同僚の一人の平松隆円氏の論文が韓国のジャーナルに韓国語で紹介されている。タイ女性は伝統と慣習に相応しく、日本の女性は品位や社会的地位に相応しくするという。タイの伝統的、日本の社会的は対照的であることが分かる。彼はタイの仏教と王制の社会から考えている。韓国の女性は外見主義により化粧を濃くするという。日韓の差はどうであろうか、彼に次の論文を期待する。ファッションとパーソナルな個性のための化粧にも触れて欲しい。蜂や蝶に向けて美しい花を咲かせるという植物学者中尾氏の論文を思い出す。
遅すぎ?
時々家内から「牧師になった方がよかったかも」と言われることがある。その度40代初め頃そんな誘いがあったたことを思い出す。神学の奨学金によるイギリス留学などを含め、大きな歩むべき道の大転換のチャンスがあった。家内と熟議して教育の道をと、教授の道を死守してきた。今まで信仰と教育の両道を歩いている。説教と講義はそれほど異ならないように思われるかもしれないが、実は大きな差がある。説教は実行や信念が前提になって信じて話したことを実行することが前提になっている。牧師は言行一致することが求められている。多くの有名な牧師は言行不一致で失敗する。
私は自由な思考から結論を探る方が良い。この私の研究過程の部分が社会的に誤解されることがある。しかし私はその誤解を恐れ、修正することはない。それは信念、信仰心に基づくものであろう。信仰と教育の両輪で走る。
家内は私が牧師になれない要因として「歌えない」のが大きい障碍として見ている。しかし昨夜も3時間歌番組を楽しんだ。一曲も歌えない私がポップからクラシックまでの音楽が好きなのはなぜであろうか。今からでも牧師職に挑戦してみようか。いやいや、すでに遅すぎ。
OMG
韓国から往来する知人から私の好物のチャパゲティなど一ボックスをお土産にいただき嬉しかった。その直後いつものように寄るスーパーマーケットに行った。そこで偶然に会った読書会のメンバーの古本氏のお姉さんから新鮮なイチゴをいただいた。OMG!久ぶりに手にした月刊雑誌Readers Digestの読者への編集者の文は難文、困った。流行、歌など最新の流行が分からなくては読めない。OMGは何だろう。Oh My God!の感嘆語の略字、OMG!HU(Hontouni Uresii本当に嬉しい)。日本ではダイゴの流行語、HM,hontouni muzukasi-(本当難しい)。
ハワイ移民
私の留学苦談は度々話題にしたが、もう一つは美談があがる。私が日本語が全くできなかった時英語で助けてくれた友人白水繫彦氏の顔が昨夜テレビで現れた。彼はその時代からの友人、アメリカ留学、活躍くしてしている大学者大学である。
日本人のハワイ移民の話、美空ひばりの歌を中心に作られた番組を感動的に視聴した。内容も感動的であった。ハワイに移民した日本人がマイノリティでありながらアメリカ社会で中流階層になった話である。在日が3,4世なっても達成できなかったことが対照的に思い浮かんできた。
日韓関係のバロメーター
拙著『慰安婦の真実』がある分野ではあるがまたベストセラーマークが付いた。なぜであろうか。嬉しい一方、気が重くなる。拙著が日韓関係が最悪ということを示すバロメーターであろうか。今の最悪の状況から「中立派」といわれる私の視覚が必要とされるのだろうか。否、読者は日本の味方を私に求めるのだろうか、おそらくそうであろう。
日韓関係が悪いといわれても昨日の韓国人たちとの対話ではそれを気にする人は一人もいなかった。政治家とは異様な別人だという認識のようであり、一般人の間では「日韓関係異常なし」。文氏は慰安婦問題は民意が合意していないので認められないと言う、さらに「日韓合併」(植民地)も認めない。日韓国交正常化の条約も認めない。しかし「司法の判断を尊重する」という。戸惑う。価値観が混乱する。
春のような冬の日
昨日は成人の日、春のような冬の日に散歩に出た。新成人の姿はどこにも見えない。友人の田辺正樹氏の奥さまの選挙事務室が目の前、寄ってみた。いつものように明るく迎えてくれた。次は猿が芸をしていたカモンワーフ、唐戸市場の中にある友人の店の海龍で立ち話をし、辛い唐辛子などを買ってそれをぶら下げて歩いた。観光客も少なく、日常異常なしの平安を満喫した。
今日はワンアジア講義、財団の鄭博士が来れず鵜澤教授と私が代講する。アジアの芸術と宗教が中心であって、来週で終わりである。今学期には•アニメーション•日本の美•アジアの美•朝鮮の映画•満洲の映画•アジアの映画•アジアの大衆文化•シャーマニズム•儒教•仏教•韓国のキリスト教•日本のキリスト教が講義された。10余名の一般人と教職員の参加で90余人の聴講であった。ユーチューブで同時中継、映像記録を行い、報告書の準備など仕事は続く。
ワンアジア講義
朝、目覚めラジオ、BBC,起きてPCを開きネットニュース、SNSなどで情報を知る。それらに比べ新聞は古い。自宅で長く購読の新聞は旧聞のよう、図書館で多くの新聞を開いて論調を比較する。昨日はそこにワンアジア講義の13回をまとめて説明した。アジアの芸術と宗教についての講義方式、資料を全く持たず黒板だけを利用する講師からレジュメ、PPt、映像資料などを豊富に使いこなせる講師まで多様であった。
私は自分のメモも公開し、学生に呼びかけた。メモを取る習慣をもつことを強調した。スマートフォン時代の中での講義とはフェースとフェース、直接対面し、一緒に感じ考える現場であることを強調した。鵜澤教授とは思考、漢字、日本語などについて対談をした。学生のコメントから「日本語の学習に漢字が一番難しい」(留学生)「漢字を捨てなかった日本は良かったと思う」(日本人)「多くの講師が替わりながらの授業はじめて、良かった」「ぼく自身もメモをとる」「韓国人と日本人は一緒に生活できるか?」などなど。
「司法尊重」乱れ
エスペラント語
私は外国語として英語と日本語は負担であり、魅力も感じている。昨日山田寛人氏が来られ、エスペラント語が話題になった。私はもう一つの外国語として負担を感じながら傾聴した。1912年に生まれて消えずに、いまだに存続するということは生命力のある人工語であると思った。民族間の言語壁を超えるという長点がある。ネイティブがあって外国語があり、言葉への優越や劣等の感がないという。しかし誰もネイティブから外国語にぶつかり合うのである。私にはどうしてもブロークン英語の言語世界のように思われる。外国語の障壁を超えてコミュニケーションの広さは理解できても言語が文化であることへの配慮はどうなっているのか、延々と疑問が出た。私が新しく挑戦するには、やはり遅すぎ。
戦争トラウマ
車窓から偶然4機のジェット機の低空飛行を見て、戦争かと一瞬驚いた。戦争トラウマが潜在していると知った。日韓関係が最悪、戦争を想定する人もいる。防衛上照射が問題になっている。専門的なことは知らない、ただ日韓どちらが正直であろうか。その点では日本が有利であろう。戦前から日本人は「正直、勤勉」と言われてきた長い歴史もある。
芸術専攻の学生さんたちの卒業作品展示会を見るために下関市立美術館に寄った。読書会のメンバーの古本氏も同行した。展示室では櫛田学長、平松教授ともお会い出来た。韓国などからの留学生の作品も含まれている。常設展示館では私が所長を務めている東亜大学東アジア文化研究所の所蔵の絵はがきも展示されている。帰宅しソウルの友人と通話した。民俗学者たちの民族主義が日韓関係の悪化に乗っているという話だった。
「先進国」
家具店をブラブラしてみた。大きい空間に多くの家具が陳列されている。しかし客は数人しかいない。寂しく、経営者の立場を考えてしまう。シャッターダウン、少子高齢化の現象が現実である。その危機に対処するよう入管法が改正され、労働者を受け入れるような新移民法が実行される。私も日本に来て住んでいるが居住地を選ぶ基本権は尊重されるべきであると思う。そしてこの入管法が単なる人手不足を埋めるために取り入れたのではないことを願っている。
元東京都知事の舛添要一氏は『文芸春秋』2月号で「人手不足と言いますが、安易に外国人の労働力に頼ってよいのでしょうか」と述べている。同感である。女性、知能、高齢者などが働けるようにすべきであるという。日本は後進国から明治維新「先進国」へ発展してきた。先進国とは文字通り経済だけの「先進」ではない。高齢少子化も先進すべきである。北欧のように人口が少なくても社会福祉が良い社会になるのも自然な国家の生きる道であろう。
「たった一人の私の味方」
毎日のように韓ドラを見て楽しんでいるが突然感激の涙、久しぶりに泣いてしまった。どうしてだろうか。KBS週末ドラマ 「たった一人の私の味方」を、ただ俳優やタレントの演技力を楽しんでいた。
母の認知症に親孝行の息子が妻と夫婦喧嘩、離婚の話。長男が怒って家出した母に言った言葉、「お祖母さんはお父さんのお母おさん、私はお母さんの息子、だから母さんが認知症になってもお父さんと同じく施設には絶対送らないよ」と、その言葉と演技に感動した。母(写真)が息子の言葉に感動する演技は感動的あった。その感激、それが私にまで伝わってきた。それは演技力だけではない。親孝行の言葉であった。私にも儒教の孝の心があるようである。
伊藤亜人「東アジアの課題」
「冬のソナタ」期を除いて日韓関係が悪いのが常態である。それは政権を営む人間の質による。しかし長期的な視野からみると日韓関係は友好的な方向に進展していると思う。以前に早朝の四時帯の深夜のラジオの放送で伊藤亜人氏が話すのを聞いたことを思い出す。私が一九七一年韓国で初めて会った日本人の研究者であり、友人である。日本語を知らない留学時、大変お世話になった方である。昨日ワンアジア共同体の講義をしていただいた。私には感無量な時間であった。
彼の調査地である韓国珍島、天童よしみの歌にも歌われるところからの話、70年代の韓国の現実を基に韓国を理解していく。少数民族が全くない単一民族として多民族との共生の経験のない韓国が今多民族共生の体験、民主化、キリスト教化、民族主義の強い国でありながら人々は海外へ進出している。北朝鮮は植民地時代から開発された産業を基礎に技術開発などに尽力している。私は朝鮮半島の南北統一は社会主義と民主主義の混合、調和にはならないか、理想的には考えられないかと質問した。彼は否定的であった。東アジアを全体的に眺め、朝鮮半島に絞って、新鮮かつ刺激豊富な内容であった。講義中受講者から3回も拍手があり、公演会のような雰囲気で奨学金授与で今学期ワンアジア講義が全部終了した。
話はまだ終わっていない
丸二日間過去の回想の時であった。60,70年代の話を夢中でした。東大名誉教授の伊藤亜人氏との時間、別れる時はとても寂しかった。彼とは泉靖一先生と李杜鉉先生の友人関係から始まったもう一つの友人である。戦前、秋葉先生が我が故郷、楊州の巫俗、仮面劇などの研究に関わった。任晳宰先生が戦後仮面劇を調査、そして李杜鉉先生の仮面劇研究へ私が同行し、私は巫俗研究をし始め、張籌根先生との共同調査になり、このようにしてソウル大学の師範大学が植民地研究を継承するようになり、韓国文化人類学会の中心メンバーなった。
2代目の会長の梁在淵先生と私が全国民俗調査団構成の件で批判される時、私は日本留学をし、その数年後梁先生は亡くなられた。そして植民地からの継承の文化人類学の師範大学主導から文理大学の「人類学科」中心になっていったのである。一方ソウル大への反人類学も郷土愛、民族主義的な地方中心の民俗学が国家のナショナリズムを背景に盛んになっている。伊藤氏は李杜鉉先生に韓国語を学び、71年私と会った以後のことの話が延々と続き、彼はメモを取りながら説明を加えたり、求めたりしながら質問を続けた。私は自分の過去の失敗のこともしながら含めて語り続けた。まだ終わっていない、続けたい。門司、功山寺、和布刈神社などを案内したが二人には景色観光は二の次であった。また語り、公表したい。