人間関係では愛と裏切り、そして憎しみへ延長する場合が多い。政治や宗教で葛藤と戦争の長く多い地域、イェルサレム、シリアなどではそのようなことは多かったのではないだろうか。その中でイエスはキリスト教を通して多くの名言や知恵を語った。「あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ります」(ヨハネ13-21)と弟子や友人の中に必ず裏切るものがいるといい、「復讐しないで」と言った。人間の感情を無視した逆説である。情と知を合わせて考えなければならない。
その難題が私自身にも起きる。私は韓国のメディアからバッシングされるにあたり、最近ある個人名が浮上した。彼は「あなたがたのうちのひとり」である。親しく、私が職を紹介して上げた人であり、驚き、恥ずかしい。しかしここに書いて置きたい。恐らく多くの人が経験することだと思うからである。裏切感情とは自分が正しいという前提に立っているのだと思われる。「復讐しない」という聖句が理解できそうである。
復讐しないで
「地上の楽園」呉文子氏寄稿
植民地と戦争の後にも日本人は「正直、勤勉」だという評判を残した。今の日韓の不和の件でも日本が正直であると信じられるか。必ずしもそうではない。最近の政治家の言動、裁判などから日本の正直さの信頼性はかなり失われた感がある。
植民地から解放、独立しても不幸な状況にある国は多い。アフリカの多くの国の紛争、ポルポト政権、北朝鮮政権などは不幸な状況にある。呉文子氏にが「東洋経済日報」(2019.1.18)に寄稿した文がある。
彼女は1959年12月14日北朝鮮へ出航する新潟港前夜祭のステージで「地上の楽園」を熱唱した。生活苦と辛酸をなめた日本を後に、祖国に希望に満ちた帰国であった。「共和国万歳!あれは見てはならな い悪夢だったのだろうか」。呉氏のお父さんは1962年『楽園の夢破れて』を出版した。誹謗中傷に耐えながらも、闘ったという。絶対悪といわれる植民地から解放され残虐極まりない暴政に苦しむ国は多い。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E...
「日本は良い国」
韓国から40数名の高校生と校長らが来校した。私は一言歓迎の言葉を語った。日韓関係が最悪とは言われても民間交流は良くなっていくという趣旨、外国・日本に初めてきたという学生もいて、私は長く住んでいて「日本は良い国」だと言った。その良いところを見てくれと言った。今回の日本旅行は無事に楽しいものであって欲しい。
権藤氏が講義の映像記録のDVDを持ってこられ、研究室でワンアジア講義の反省会のようになった。内容も地域も多様、講義方式が様々だと、これから結果報告書を書くための意見交換になった。副学長の鵜澤先生が車で送ってくださり帰宅した。マンションの入り口の反対側を通り過ぎ回転してきてエレベーターの前まで丁寧に安全に届けてくださり、彼のやさしさを再認識、大変恐縮、感謝。
「東アジアの暦」
昨日風雪の中、撮影で世話になった権藤氏夫妻と昼食。楽しい時間であった。しかし健康に関する話から突然、死の話になった。老夫婦の話。妻が先に死ぬと夫は必ず3年以内に死ぬ、夫が先に死ぬと妻は長生きするという。特に私のように妻の看護、介護で延命するような人間にとっては3年も持たないと感じた。悲惨な話であるが、今死より生を考えなければならない。帰宅してから大坂ナオミの試合が気になった。結局彼女を応援した。韓国からまた親日といわれるだろうか、純粋な黒人女性、素直な表現、正直な投げ方が好き。
韓国の李永松先生夫妻からちょっと遅れて届いた「年賀新年」、否早すぎるものである。旧正を前にしたものであり、うれしい。㋁5日東亜大学で中国、ベトナムなどからの留学生のために旧正祝い会を企画している。同僚の金田晉教授がレクチャーをするという。彼は旧正と新正を併用することを主張し、全国紙にも報じられている。本欄でも紹介したことがある。私は以前山口大学で「東アジアの暦」に関して講演し、論文として発表したこともあり、日本にある「年号」「紀年」は北朝鮮、台湾などにもあるが、日本は新暦の文化が定着して脱アジア的である。
父が息子の説教を聞く
いつの間にか起床時の習慣は我が家の高齢愛犬のミミを抱合して、お水を飲ませて上げることから始まる。それが私の最小限の愛情行為、ミミが生きているだけで感謝である。昨日三代牧師家系の家族と礼拝を共にした。息子の説教で父親が感動して挨拶の言葉を述べた。私も感動し、拍手をしたが他の人たちはシーンとしていた。なぜだろう。息子の自慢話と聞こえたのかも知れない。韓国では二代、三代続きの牧師の件で問題になることがあるが、日本では牧師という業種が難しく、希望者が少ない中において私は嬉しい。父が息子の説教を聞くのは異様に感じた人がいたようである。しかし私の教授生活では普通であること。教え子の発表などに参加することは多い。教え子から教えてもらうことは常である。さらに言うと育てた子供に依存するのは人間の生き方の一般的な仕組みであることを知らなければならない。kindleを購入して、最初に買ったのはBibleである。その真理を読み考える。
「神様の意」
市役所のフローラで堀晃氏の遺作展という新聞地域欄を見て昨日寄った。彼が生前寄付した大型の魚の絵、海岸の海の絵の2点だけ、それも常においてあるものである。彼の死去については私がブログなどSNSで報じたことがある。読者はただの受け身ではない。情報発信の主体になる時代に来ている。今若い世代はネットで早く情報を得て直接コミュニケーショができる。私も朝早くネット上ヤーフ、グーグル、ネバー、ツイター、ネット新聞などでニュース、評論を読み終わって後に朝刊、テレビの順に情報を得る、その時はすでに旧聞になる。若者が新聞を読まないのは理解できる。
昨日70年代から日韓を往来しながら牧会してきた金鐘武牧師と教会をめぐる回顧談が出来た。彼はある教会を活発に復興させている中、定年を迎えた。その消失感、戸惑い感を隠せない。私はその面で先輩であり、私の体験談が少しでも慰労になればという思いだった。私の入信体験には牧師ご夫妻は驚く表情、私が慰められた。どうしてこのように生きて来たのかという自問に彼は言った。「神様の意」であると。
「在日に、共生のために」
年度末に近くなり、振り返ってみる。「韓国文化論」「ワンアジア共同体」講義などで学生と市民に韓国について多く語り、論じた。日韓関係は悪いといわれる。韓国では日本嫌い、日本無視が造成されていくようである。国際化、グローバリゼーションに逆行する。日本で私は知人、付き合っている人とその状況とは変わらず平坦に暮らしている。日本を愛するから韓国を嫌う論理はない。
「在日」は日本に住みついていながら日本を嫌うのはなぜだろう。とても残念なことである。韓国で私に日本通になろう、日本が好きだと言い、日本で職を求めた人がいた。私はそれを尊重して職を推薦した。しかし彼は日本で反日的に暮らし、定年して帰国している。今彼が私を敵対視している中心人物であることが分かった。日本でどう生きるべきか。私は在日に「共生」を訴える。
「在日に、共生のために」崔吉城(東洋経済日報、2019.1.25)
私が勤めている大学は少子高齢化の中でも留学生が増えて、国際化の雰囲気が溢れている。「アジア共同体」講義では八カ国のアジアの学生たちと楽しい講義、そして感想も多く出してくれる。それはユーチューブとSNSにも紹介している。留学生を迎え、良い教育ができると大変満足している。昔私も苦学留学の経験があり、留学生たちに強く親近感を持っている。
当時私は研究に専念し母国で教育に携わりたいという思いで帰国した。しかし、韓国では反日感情が強く苦労した。その話は既に多く触れてきたが、その中に美談のような話もある。当時、私は日本語が全くできなかったが、英語で助けてくれた友人である駒沢大学の名誉教授、白水繫彦氏を忘れることができない。彼はその後アメリカへ留学、今国際的に活躍くしてしている大学者である。先日彼の顔をBSTBSテレビで見た。
日本人のハワイ移民の話、美空ひばりの歌を中心に作られた番組でハワイに移民した日本人がマイノリティでありながらアメリカ社会で努力し、中流階層までなったと述べておられた。その言葉が私の脳裏にインプットされた。多文化・多民族社会の中で「共生」が求められている在日が思い浮かんだ。
日本で3,4世なっても在日韓国・朝鮮人はどうだろうか。つまり日本社会での「共生」の様子、質はどうであろうか。在中朝鮮族とも対照的である。中国の朝鮮族の指導的学者の延辺大学の故朴昌昱教授、故鄭判龍教授から韓国人の反日を批判する話を聞いたことを思い出す。中国の朝鮮族は中国をウリナラ(我が国)と言う。朝鮮民族を愛しながらも中国を「我が国」として愛しているという。それは一般的でもある。それは日本の在日韓国人とは相異なるのである。
先日中国の朝鮮族の教授が下関の東亜大学に来られ講義したが、やはり中国をカーバーし、賛美宣伝する感じだった。在日とは大きく異なる。在日の反日感情、日本を「我が国」と思う人はいないだろう。中国の朝鮮族の研究者は民族としてアイデンティティ(民族的自覚、同胞意識)を以て愛国心を語る。彼らは中国や韓国に味方する。しかし一般的に在日韓国人は日本に対しては国家としてアイデンティティを持たない。
日本は少子高齢化でシャッターダウンに対処するよう入管法が改正され、労働者を受け入れるような新移民法が実行されそうである。元東京都知事の舛添要一氏は『文芸春秋』2月号で「人手不足と言いますが、安易に外国人の労働力に頼ってよいのでしょうか」と述べている。女性、高齢者などが働けるようにすべきであるという。同感である。
人手不足を埋めるための立法化ではないかと疑問ももっている。一緒に住み、働くだけで「共生」とはいえない。国民としてアイデンティティと文化を共有しなければならない。高齢少子化も一つの先進化現象である。北欧のように人口が少なくても社会福祉が良い社会にするのも自然な国家の生きる道であろう。
英語学習の玩具Kindle
私には英語学習の玩具である。まず英語の古典小説、「War and Peace(戦争と平和)」「Bible」「Gone with wind」などを購入して、主にベッドに入ってから楽しむ。難しい単語には「Word Wise」で簡単な同義語が表示される。「人物」「トピック」「画像」の分類など機能が多い。簡単に注釈を確認する。外国語の本を簡易翻訳する機能もあるそうである。先端文明を楽しんでいる。
「本を読む少女像」と「慰安婦像」
私が俳句に関心を持っているとに聞くと日本人は笑うかもしれない。しかし日本の植民地であった台湾や韓国でも流行ったものである。イギリスのソネット、韓国の時調のようなものであるが、それらは文芸人のものであり、俳句のように民衆に広く愛されるものとはいえない。テレビのプレバトルは私の日本語の勉強の時間である。昨日は「慰安婦像」が登場したので注目した。お笑い芸人東国原英夫氏が「着ぶくれて 慰安婦像の 銅の髪」と歌った。慰安婦がここまで登場するのか。夏井先生はテレビで見ている慰安婦像が浮かんでくると評した。日本や、世界的にも広く知られ、それが対象にされたのであろう。私はその真実に迫って本も書いたが、多くの日本人はそれは世間のこととして別に尊重すべきものとは思わないかもしれないが、多くの人が認めて問題に注目すべきであろう。韓国の小学校内に「本を読む少女像」が立っていた。文学の像としてそれは慰安婦像とは次元が違う。セックス、強姦、反日、憎しみなどを含む慰安婦像の「像」は少女像とは対照的である。
生きる目的
日本の男女ともに最高寿命を更新したという。私はその日本の男性の平均寿命に至っている。平均寿命までは長生きをすることこを内心希望していたのかもしれない。死を考えることが多い。長生きと関連して「生きる目的を維持せよ」(David G.Allan,Readers Digest)という記事を読んだ。「ストレスを受けない」「他人のために」「愛せよ」などの言葉が並べられている。今私に該当するものはないかも知れない。古い日記や調査ノートをみている。そこには生きてきた痕跡はあるが、世に薦めるほどの人生観は書いていない。むしろ自分勝手な生き方をしてきたのかも知れない。早朝シベリア・イルクーツク駅でただ戸惑って立っている時、助けてくれたGanbatというモンゴル青年を思い出し、感謝する。また無数の失敗もある。「ストレスを受けない」…。
日韓合作 日韓合併
私のフェイスブックの友は私と意見や姿勢が異なる人も多い。そろそろ2000人、友を締め切るつもりである。昨日ある人がハングルでフェイスブックに投稿した文が気になる。彼は、日本の名門大学に留学をして帰国して、教鞭をとっている人である。彼の文を要約すると、韓国が植民地化されたのは、日本の貪欲とこれに協力し韓国の親日派によるもの。65年体制は、植民地支配に反省のない日本と、これに便乗した軍事政権による産物である。森友学院の問題、虚偽の陳述、厚生労働省の15年間にわたるデータ操作事件など安倍政権は道徳性と信頼性を欠いている。真実や事実を調査せず韓国叩きばかりである。安倍政権はこれ以上の理性と知性は見られない。どう考えるべきか。彼は植民地と日韓条約などは日韓の合作だという。皮肉にも思える。日韓合併と今の日韓関係の悪化も日韓合作であろうと述べている。*写真は散策の時古本氏が拾ってくれた椎の実
作曲家に尊敬心
昨日はテレビに長時間夢中になっていた。歌い争う番組を楽しんだ。若い時にはクラシックを高級な芸術と思い、歌などを軽視した。歌が生活の日常になっている韓国では辛かった。その私がいまだに歌えず、それでも歌唱鑑賞に夢中になるのはなぜだろう。自問し、考えた。若い時とは逆に考えている。主に楽器で演奏するクラシックはほぼ肉声ではない。楽器など機械的なものを通しての芸術である。極端には設計された通りに車を運転すること、文字販を打つような脈絡に似ていると思い辿ったのである。このように考えると作曲家により尊敬の心が向けられる。クラシックを軽視するのではなく、より人体の直接的な能力、芸能に注目するようになったのである。
旧正名節
本格的な寒さを味わうことなく立春、迎春などで時間は流れる。昨日昼食は韓国から来られたご家族とともに、夕食は宇部教会の牧師の奥さんの教え子李茂玉氏から旧正名節の贈り物の肉を食卓上で焼いた。旧正を思い出す。アジアで旧正つまり陰暦のお正月を祝うのは広い。日本だけは新正、西洋暦の名節にしている。日本の「脱ア」の象徴的なものである。私は韓国で中高生時代から開化派、新正派であった。当時韓国では新正が開化時代から始まって、日本植民地、さらに戦後の長い期間続いて居ていた。開化派と守旧派のような二分、二項対立的な「二重過歳」になっていた。新正派が優勢と思った時、ナショナリズムが強くなり、旧正を「我がソル」とし、新正を「倭のソル」と叫んで、旧正に戻った。それを反新正、民族主義に乗った選挙標語としたノテウ大統領によって旧正になった。韓国が中国文化へ傾いた韓国民族主義の産物である。同僚の金田晉教授が日本でも新旧暦の併用を主張してメディアから注目される。今日留学生たちと旧正祝いの行事が大学で予定されている。覗いて見るつもりである。*写真は留学生たちに奨学金授与
「旧正月を祝う会」
留学生の多い大学として「旧正月を祝う会」(開催日2月5日)が昨日東亜大学で行われた。お国のお正月の気分をということで、留学生別科の先生方と地域で留学生のことでお世話になっている方々にチラシを配布し参加を呼びかけたという。多くの学生が参加して発表した。中国、ベトナム、タイなどのお正月の行事などが絵によって説明された。綱引きなど絵による説明が面白かった。来年からも発展させて続けられたら良いと思った。地域に関心を持ち深くかかわっている毎日新聞の竹花支局長と本社編集委員の森忠彦氏が取材に来られた。私は森氏に数年前に韓国の旧暦と新暦の正月について説明した。また慰安婦についても話した。中央の広い視野から地方へ関心を持っていることが強く感じられた。今朝の竹花氏の記事(写真)に嬉しい。
「トランプ劇場」
長い演説を聞いた。アメリカのトランプ大統領施政一般教書演説。内容は「私の就任以来、アメリカ経済は倍近いスピードで成長している」と。私は彼のスピーチスタイルに注目した。棒読みの日本の国会演説とは如何に対照的に異なるか。彼は生の声でメモもみない感じ、虐められた子供、愛国勇士の旧軍人、ナチス強制受容者などを紹介し、拍手を求めた。ショー的な「トランプ劇場」であった。その際には反対の野党委員たちも立って拍手をした。せざるを得なかった。日本でいうと「・・・ハラ」に当たる言葉もあった。私は生の言葉での演説は新鮮だと思う。
気になる投稿があった。同僚の友人の金田晉教授が私のフェイスブックに「ぼくは、大学院の学生になった頃から、ことばに生の感情をのせるふしをつけるのがいやになった。ことばは文字に刻むものしか認めたくなかった」という。「言葉には感情をのせない」と、私は「これだ」と思った。日本人の言語生活の特徴が分かる気がする。
胡蝶蘭が満開
胡蝶蘭が満開した。スプレーボトルで私が咲かせたと自慢したい。自然な花の美しさに感動する。昔庭の石を持ち上げた時大きなムカデが居座っているのを見て驚いた。忘れられない。丸くねじられていて、怖い。黄色っぽい緑紫の洒落た美しいベルトのようであった。美しい姿になぜ恐怖感を感じたのか。否、人は戦火や火事に恐怖を覚えながらも見物をする。なぜだろう。私の疑問である。
雪の結晶体、花などは自然のままが美い。美が内装されている。花、密などは蜂へ、オスの美装は雌へ、女性の化粧は男性へと、餌と性の誘いと説明されるかもしれない。しかし自然はこのように美が内装されていると感じる。なぜか。神の技だろうと思う。
*写真は今朝の胡蝶蘭
色光の玉
昨日の昼食、あるホテルで在日の指導者にご馳走になった。彼は昔日本人から職業差別された話、運転手もさせてもらえなかった類の話が多かったが、日本は経済だけではなく、人権意識も大きく発展しているという。彼から3.1運動記念日の記念講演を依頼され、引き受けることにした。彼の好物のメニューのフィシュをいただいた。食べ終わる頃、彼の皿の上に色光の玉のようなものが見つかった。食べ物に混ざったものである。魚の目か、指輪などの装飾品の宝石のようにも見えた。美しい硬いものだった。従業員を呼んで見せ、それを説明されても聞こえが悪い私の耳には届かなかった。
文化財発掘
40年ほど前から縁のある方で、私が韓国の国立慶北大学の考古学科に出講した時の受講学生であって、今は世宗文化財研究院の院長の金昌億氏のお話を昨日聞いた。開発地域などで文化財発掘を25年ほど続けてきた業績、研究の経歴をお持ち方であり、話を聞いて頭が下がる思いであった。慶尚南道地域で3-7世紀の遺跡調査の研究成果を聞いた。歴史とか記録資料を以て語るが、遺跡や遺物以上の良い資料はないのではないかと思った。円形住宅から4方形へ(〇⇒▢)の「柱」の登場の過程の話から私は遊牧民族のモンゴルのゲル、パオなどを思い出した。イロリから炉、そしてオンドルへ、エアーコントロールへと発展してきた何千年の話、決して他人ごとではない。本欄で時々書いたように私自身が原始時代から今は超現代で生きることを実感する日々が、幸せである。
旧遊郭街
礼拝後、嘘だといわれている吉田清治の本で扱われている下関の遊郭街を案内され、車内から見た(写真)。見慣れたところ、建物である。戦時中慰安婦の話で上臈も戦地に行かされたという。豊北誌には特牛遊廓のことが述べられている。1941年には遊廓が4軒に増えたが、戦時中に廃業したものが多く、昭和31年の売春防止法で消滅したという。
聖絵展
クリスチャンの少ない日本で聖絵展には観客が多く、展示室は静粛。礼拝より宗教的に感じた。静かに、鑑賞する人たちの姿を私はまた鑑賞する気持であった。地方都市で先進国の最高の教養と感じた。少なくとも美術と聖書に関する知識や関心がないと、鑑賞が難しいのではないかと思った。昨日北九州市立美術館でジョルジュ・ルオー(Georges Rouault,1871-1958) 版画集『ミセレーレ』を観覧した。カソリックのイコンなどを参考にして聖絵を骨太の輪郭線と色彩でキリストをはじめ娼婦、サーカス芸人など社会の底辺にいる人々を描いた版画が注目されている。銅板の実物と絵を合わせて楽しんだ。
日本の木版画「浮世絵」展も鑑賞した。歌麿、北斎などのものから明治の赤絵まで、見慣れたものが多かった。美術館は山の斜面に超現代式建築であっても記念写真を撮る気にはならなかった。建築に比して所蔵品が7500と、あまりも少ないと知って失望した。建物を建てるのに比べて、作品などの購入は難しいのであろう。その足で下関に戻った。絵から大丸で行われている生け花展へ、より活力のある時間になった。途中でのラーメンの昼食は粗末であった。