日本人の学生は「日本語が分からない」という。その学生だけではない。私も日本で一世代分の歳月を生活し、日本語で本も書いて、多くの読者もいる。確かに日本語は難しい。その私が俳句集を読んでいる。「柿ひとつ残す生き方ジャポニズム」「銀杏踏む過ちと知りつつ踏む」(堀節誉)という二句をどう読むか。絵を鑑賞するように自分で感ずるだけで良いのか。日本ではなぜ冬に柿を残すのか、日本文化であるとか、その風景が目に広がる。また「銀杏踏み・・・」失敗は日常の言語生活ではよくあるよくこと。そうでなければ会話も棒読み式にならなければならない。アメリカの有名な戦争論者のワーシャーM.Walzerは「戦争は正しいRight War」ともいい、私は拙著『米軍慰安婦の真実』で子供の時感じた「戦争は怖く、楽しい」と書いた。危険な妄言であろう。私は韓国の二級「国語」教師、高校と大学で国語を担当したをことがある。文を読むということは文脈、文意、大意から解釈するように教えた。日本の妄言騒ぎの多くは単語を以て煽動、一斉に、いじめへという傾向が強い。日本の「国語」教育は大丈夫だろうか。句を書きたい。
「国語」教育は大丈夫だろうか
メコン川流域
古本義弘氏が別荘から琵琶を取ってきた。読書会メンバーに分けて上げようとしてたくさん持ってきたが昨日は私しかおらず、他のメンバーはそれぞれの都合で欠席、二人で一箱を前にして美味しく食べた。マンションの隣人にも分けてにあげた。豊富感を満喫、幸せ。昨日の本欄の「ひきこもり」に多くの方から反応、議論を寄せてくれた。中にはご自分の問題として教会へと、意欲を表した。ある人は私に教会出席は無駄のように言った。それは私自身の規律、自立、生き方が主である。ひきこもり対策ではない。ひきこもっていても自立している人であれば問題はないと思う。
昨日「アジアの言語と文化」の講義の時間に突然同僚瀧田修一氏が授業参観に来られた。東南アジア経済が専門、私が用意した授業はメコン川流域の私自身が撮った現地調査写真を出発点とした。偶然瀧田氏の専門地域と一致してよかった。水上マーケットなど川を利用する文化、話はゆっくり流れ、布朗族のイヤリング(写真)から皮膚美容より贅沢な飾り文化などについて語った。水洗トイレ、男女区別のマークについてはベトナム、ミャンマ、ネパールの留学生からの反応、学生のコメント、最後に瀧田先生から総合的なコメント、授業は参観者とチームティチングになった。感謝。
ノートを持たない学生
時代が変わる。講義が変わる。講義に紙資料として読み物、PPT、感想紙などを用意している。紙のノートを持っている学生はいない。スマートフォンだけを持っている。筆記することはなく、画像を撮ることはある。このような風景は教室だけではない。講演や各種行事の集まりでもそうである。紙と印刷文化は低下している。時代が変わる。逆行することは出来ない。変化に乗らざるを得ない。ボールペンより万年筆が味があるといっても変化には順応せざるをえなかったように。60年代にアメリカの未来学の学者たちが予想した通りに、ネット文化の発展によって社会生活が変る。会社や学校に人が集まることが少なくなる。学校は従来の情報や知識教育から社会活動へ、コミューケーション方法、他人と協力し合う教育へと変えなければならない。
秦郁彦氏に日本研究特別賞
第6回国基研の日本研究特別賞は『慰安婦と戦争の性』の著者秦郁彦氏に決まった。また、奨励賞の一人に『犠牲者120万人』(ハート出版)チベット研究者ペマ・ギャルポ氏。慰安婦問題の歴史的な研究に不動の姿勢を持つ秦、世界があまり知らないチベット問題を扱ったギャルポ、アメリカの排日運動に関して書かれた蓑原俊洋の諸先生、おめでとうございます。拙著『慰安婦の真実』を出してくださったハート出版が連続受賞作、おめでとうございます。
慰安婦問題は政治的な関りが強く、時には一時的な現象のように、日韓関係の良し悪しのバロメーター的になる傾向がある。しかしそれは戦争と性という人間の本質にかかわる問題である。私も続けて挑戦的に考察していきたい。
8964日
先週、8964日(天安門事件)の記念日に書くべきだと思ったが、控えてきた。感想がないわけがない。中国からの留学生も多く、控えたのである。しかし、むしろ書くべきである。ソ連崩壊以降民主化が急進する中、中国が直面した事件であった。天安門事件をみながら独裁資本主義経済が開放され民主化が流入し、政治への影響があろうと私も思った。それは大外れだった。「国家の統一のためならどんなこともする」というカダフィーの言葉のような中国は世界的に経済的発展をしている。
近代化は技術、政治、思想、経済など総合的にされると思ったがそうではない。経済と倫理や宗教などと関係があるような論著は山ほど多い。私もウェーバーの「キリスト教と資本主義」に影響されてきたので失望が大きかった。私は台湾の政治的な変化には驚いた。民主化、経済発展の良いモデルをみせている。今中国とアメリカは覇権争いをしている。中国式の発展論がモデルになるかも知れない。今民主主義もポピュリズムなどの問題を露出している。中国のものが例外か正論か、見守っていきたい。
旧稿を探している
私が下関に住み始めた10余年前に付き合った人が転勤地沖縄から戻ってきて、昨日会った。彼は私が忘れた私の付き合った多く人の名前を記憶していた。どうしてそんなに覚えているのか。彼も日記か日誌を書くのだろう。昨夜ある教授から私の旧稿を探しているという電話があった。それを探しても見当たらない。昔のノートや日記を探した。それとは違うノートを見つけた。1993年イギリス・ロンドン市内でイギリス人牧師の家に1か月ホームステイしながら教区parishの活動を調査したノートが見つかった。発表していない生の資料である。新しい発見とも思い、嬉しかった。
アントンチェホフが着地とされる海中の3人兄弟岩を背景にしたニコライ氏と撮った写真を懐かしくみた。サハリン・アレキサンドロスク市でロシア人家庭にホームステイしたことを思い出した。ノートと日記、写真を合わせてやーと2002年8月28日レーニン街10-7のニコライ氏宅であることが分かった。また行って見たい。今、チェホフの本を夢中に読んでいる。
昭和の下関市
昨夜地元の人たちが集まる裏町文化塾の会で下関の歴史写真を橋本龍一郎氏が『戦前戦後昭和の下関市』という題で見せてくれた。1920年代から戦後までの写真、絵はがきの写真である。海と山を基点に位置を把握し、電車の線路、古い建物が今も残っているところに面白さがあった。しかし人、生活が見えなかった。日傘の女性の写真一枚だけであった。どのような時代であったのか、興味が湧いてきた。二部は自由席、私の勧めで自己紹介、言わなくても皆知っている。食事を挟んで雑談、180年のお菓子屋の名店女将さんと同じテーブル、味、日本人の「甘さ」の嗜好について質問した。しかし、騒音で答えが聞き難かった。
韓国経済問題が良くないと
琵琶、水、お茶、入れ墨の話
琵琶は楽器しか知らなかった私、日本に来て琵琶の木があるところに住んでから果実の琵琶を知ることとなった。しかしその味を知り、美味しいと思うようになったのは最近である。昨日も古本氏の差し入れ、留学生と琵琶パーティのようであった。韓国の冷水文化を話題に、韓国にはお茶文化がなかったと話すと驚く。日本の水道水は奇麗だと信じ、私も冷水を飲むことが多かったが、水タンクの中で人が泳ぐ映像を見てから止めることにした。講義では30年ほど前私が台湾で撮った入れ墨写真からパラオを含む文化を紹介した。入れ墨に明るく反応したのはネパールの学生たち。一般的であるという。琵琶、水、お茶、入れ墨の話を楽しんだ。櫛田学長が東アジア研究所に韓国の焼物の大壺を寄贈して下さった。感謝である。
感謝である
愛犬ミミが生きているだけで嬉しく、感謝である。看護、介護に最善を尽くしている。水だけ少し飲むが食べず、ただ視線を合わせてくれる。傍に一緒にいたいが私は出勤、日本文化論講義、私の現地調査のノートから沖縄の洗骨、久高島の海蛇・イラブーのことを紹介、東南アジアからの留学生たちの水葬、火葬、鳥葬など話が広がった。その後トータルビューティー学科のファションショーを見に行った。顔を知っている学生たちが照明を受けながら登場した。華麗な盛装、また、一般服もショーに登場、それにふわしいヘアスタイルをその場でショーとして見せてくれた。帰宅して、夜、1時間ほど韓国のテレビ局からの電話相談。私は日韓関係などにとらわれることなく、調査した事実に基づいて正しく編集するように、国民へ影響力のある良い番組を作るように願っていることを話した。深夜ミミの病状変化、我が夫婦の看護、介護が続いている。
「ちゃぶ台返し」の解散権
韓ドラによく出る場面の中には怒ったり、ショックを受けた時、気絶、怒って顔に水を掛をけるなどの場面がよく出る。また、怒った人がちゃぶ台返しをするシーンも良く出る。韓国で育った私はそれが嫌であるが理解しようとする。昨夜テレビで「ちゃぶ台返し」の試合の映像を見てびっくり、唖然とした。母は「それはサンノム(卑賎民)の悪行」だと蔑視していた。その「ちゃぶ台返し」が日本にもあるのか。それについては非常に反感を持っている。怒って食卓を引っくり返すものを、ちゃぶ台の上に置かれたものがどれだけ遠くに飛ぶかというゲームに変えて楽しむ試合として紹介されていた。珍しさであれば何でも報道するメディア、価値判断はあるのか。さらに首相に「ちゃぶ台返し」の解散権ということばには呆れる。
한국 드라마에서나 자주 보는 장면, 화가 나서 기절하고, 얼굴에 물을 끼얹는 행위 등이 보기 싫다. 한국에서 자란 나는 싫어하면서도 이해하려고 하지만 아주 보기 싫다. 어젯밤 일본 TV에서 "밥상 뒤집기" 경기의 영상을 보고 일본에도 있구나 놀랐다. 나의 어머니는 나에게 <쌍놈들이나 하는 나쁜짓>이라고 가르쳤다. 그런데 일본에서 "밥상 뒤집기'가 있고, 경기 시합도 있다는데 놀랐다. 나는 매우 반감을 가지고 있다. 화가 나서 식탁을 뒤집기가 일상 생활이 아니고 정치적인 것이라는 점에서는 더 더욱 말을 잃었다.
「たった一人だけの私の味方」
韓国のKBS終末ドラマ「たった一人だけの私の味方」が昨夜最終回だった。父娘関係を基に認知症、親孝行、恋愛、殺人犯、謝罪、和解などが総網羅したドラマ、俳優たちの演技力によって魅了された。毎回視聴者の予想が外れ、進み、待たされるような気分になり、人気を保って続いていた。作品と演技の上手さは高い。華麗な生活の中の悲しい問題。韓国は1960年代以降大学で映画演劇学科が多く作られ、研究されてきた。脚本から演技、キャスティングなども水準を高めてきた。日本の世襲制的人間関係による芸能界とは異なる。しかし昨夜の最終編のハッピーエンディング。急いで3組の夫婦が出産、謝罪、和解の李王朝時代の勧善憎悪の劇のようであった。メディアと社会へのメッセージであり、芸術の劇ではない。
インタビューに応じる
昨日ソウルから国際的に活躍している映像美術家鄭在淵氏が来られ、東アジア文化研究所でインタビューした。彼女は韓国総合芸術学校出身、イギリス留学などの経歴のある芸術家、私は多くのメッセージをおくった気がする。私は物事を見る時に自分の人格と照らし合わせて思考することから芸術は始まると語った。世俗、政治、特に日韓関係などにとらわれず真理に迫って挑戦的に取り組んで創作できることを祈る。
競争の一番は長生き
一昨日インタビューで韓国の教育についてコメントを求められた。戦後アメリカ式教育を振り返って話した。能力主義、実用主義が強調されたことを体験的に知っている。能力主義を強調し過ぎ、伝統的な科挙制の精神に乗って激しく強く、競争主義になり、大きい力になり近代化を早めたことは認めるが競争、出世、成功と栄光を満喫する人もいるが、反面、競争で失敗して悲しむ人が圧倒的に多い。つまり華麗な成功物語りが多い反面負けて悲しむ人が圧倒的に多くなった。競争の一番は長生き、健やかな長生きこそ多くの競争の中で一番難しい競争である。誕生日を祝ってくださった方々に感謝する。
*写真は「東洋経済日報」コラム寄稿文、2019. 6.14
電子ブック
昨日22世紀アート出版から拙著『映像が語る植民地朝鮮』が宣伝で3位を得たという祝いのメールをいただいた。その時に川村博忠先生が来室された。彼は日本絵図研究の創始者であり、7月の世界大会で発表と司会の役を担当するという。彼の最近の大著、2万円定価の本が丁度拙著出版の22世紀アート出版から出版に向けて進行中であるとのこと。一足早かった私から電子ブックの意味、紙本から電子本への変化の先端を先走ることを強調した。1935年朝鮮京城で生まれ84才。高齢者同士、未来時代へ挑戦する話で盛り上がった。昼を私がご馳走するという約束が前回も私が出したと言って譲ってくれず、ご馳走になった。「次は必ず私が」といいながら別れた。
お茶文化
アジア言語文化論の講義の冒頭では日本に来て教壇に立って、時には日本人の学生から日本語の発音にヤジをうけたことががあると話をした。それについて留学生の多くが、日本で適応するのは難しいのではないかとの反応があった。外国人が日本の教壇に立つのは難しいとだろうと同情する文を書いた学生もいる。アジアの広いお茶文化について講義をした。まず茶文化図から朝鮮半島だけは茶文化ないということを示した。日本人学生は驚く表情であるが他の国の学生はそれほど表情が変わらない。
韓国では日本のお茶文化に関しては韓国起源説(?)をいう人が多い。李王朝が仏教弾圧のために茶の木まで抜いたという。学生たちに自国のお茶の話を聞いてみた。仏教の国といえばタイ、ミャンマであるが仏教儀礼以外に一般的にお茶の飲むことはあまりないという。ネパールとモンゴルでは牛乳を入れて飲むがそれほど一般的ではない。お茶文化は起源も古く、今も盛んな国はもちろん中国である。
日韓親善
講義を終え、会場へ直行、懐かしい顔たちに会った。フェースブックや裏話などで交信、以心伝心の親しき人々にあいさつ回り、名誉総領事の山本徹氏と立ち話を長くした。彼は日韓関係に私の貢献を褒めてくれた。下関広域日韓親善協会の定期総会と懇親会に参加した。肩書、「祝辞」など格式の言葉が続いた。登壇した人は代読を含め全員日韓関係について触れ、政治的に両国間関係が悪くても、民間では親善良好であると強調、繰り返した。日韓親善のための活動、事業は何だろう。轟音音楽が始まったので退席した。
「東海」
昨日日韓関係に政府と民間の格差があるという趣旨で書いたが、知識人の格差も大きい。超一流俳優(?)のトランプ大統領に日本海を「東海」と言わせたかったが受け入れられなかったという。一般名詞と固有名詞の区分が出来ないこの論争は何時終わるのか。反論もしたくない。インド洋をどうするのか。知識か、偏見の格差に呆れた。タイの留学生がタイでは鈴虫を食べるという。その話がより面白い。
洒落たボールペンをいただいた。ライトが付いているのは以前から知っているがその鮮明度や品格がすばらしい。「門司港出征の碑建設委員会秦穴拳壱」と書かれている。秦穴氏は狗留孫山・修禅寺に出征時の祈願奉納写真を整理した方である。戦争中、平安無事を祈ったもので、注目されても良い。出征の時、死んで靖国へという戦況で無事に生き残って帰って来いというのは当時は非国民的ではあったかもしれないが、本心から平安を祈ったことであろう。
生きて欲しい
毎日日記のように書いている。話題が多く、何を書こうか選ぶ事柄が多いが、いざ書こうとすると何も浮かばない時もある。その時は以前分析した他人の日記を思い出す。ただ「起きて…寝た」という記録が1か月ほど続いていた。面白くなくても、それは日記を書いた人にとって平安の時であったように思われる。
いま私たちにとっては愛犬ミミの世話に全力を尽くしていること、それがすべてである。ミミは私たちの介護に反応してくれる。教会である人にその話をしたら他人事「そんなにしなくても自然に逝くようにしてあげなさい」といわれた。死が自然現象ではあるが、愛はそうではない。一日でも長く生きて欲しい。
「不浄の意味」
家内は病院で看護の仕事をしている。仕事の内容は現場を見ていないのでよくわからない。命を大事に扱うナイチンゲール精神云々と言われるが、多くは弱っている人のケアであり、家では私の介護と犬の看護をしているのを見て教えられることが多い。家内は犬に排泄させる。温かいお湯で体をふき、傷を消毒して上げる。私は聴診器でミミの心臓の音を聞き、撫でてあげる。排泄物も「汚い」という感が薄れている。
不浄と浄の区別がつき難くなっていく。空気汚染が酷いのにそれを感じない人も多い。なぜであろうか。社会ではさまざまな浄化施設をもっている。そのような社会運動も多い。そこに努めている人が多いことに感謝すべきである。愛、命には浄と不浄が共存している。不浄を共有することも愛の本質であることを知らなければならない。*参考:崔吉城「不浄の意味」日本語、韓国語、英語、フランス語の論文あり