昨日二人のご高齢のお客様が研究室に訪ねて来られた。一人は市内の地元の地主の方、また現在も有力者である。彼が政治や権力の話をするかと思ったら小説の話、意外であった。ある女性の実名を使いながら性に関して小説を書こうとしている。発表紙なども決まっている。女性と酒が好きであると語る彼は、性をどう扱うのだろうか。小説の導入部の書き方に関して私も話をした。私に会って良かったと言いながら彼は参考になりそうな本を借りて行かれた。地元の名門高校の西高出身、私の親しい知人の堀研氏とは同級生、すぐ電話をした。また櫛田学長を紹介し、私もその地元名士グループにネットが繋がる。それは広がるだけではなく、深まる。楽しいことである。
地元名士
映像から見る植民地朝鮮 (22世紀アート)
映像から見る植民地朝鮮 (22世紀アート) 崔 吉城 | 2019/5/14Kindle版 会員の方は読み放題でお楽しみいただけます.または、¥1,000で購入 日本語で執筆するためには日本語を駆使する力が要る。単語より、センテンスへ、パラグラフへ、レトリックへ、そして心に届くようにと中学時代の国語教科書に書かれていたことを思い出す。今日本では多くの妄言が話題、問題になっている。それらの多くは単語が主である。話す言葉は聞き手、状況、意図などによって理解しなければならない。聞くにも言葉の能力が必要である。文章を書くのもそうである。心や精神の力で書くべきであろう。今『思い浮かぶ植民地』(仮題)の後書き中である。植民地の支配と被支配の狭間で悲劇的になった人のことが、なぜ自分のことのように感ずるのか。植民地史に自分を透視し、悲しくなった。感情を込めて書いているからであろう。
教会のシャーマニズム
ある教会の名誉長老が教会のシャーマニズムを脱皮しなければならないと言うのを聞いていた。黙っていた。韓国の初期外国人宣教師たちがシャーマニズムの研究に熱心であった。何故か、説明するのは無駄であろう。もはや牧師達には。私はシャーマニズムという神霊主義が韓国キリスト教を盛況させたという論文も書いたことがある。その研究状況も知らない牧会者たちにその背景を説明したくもない。西南学院大学で開かれる7月研究会にシャーマニズムに関する講演依頼が来た。その時話をする。
シェヘレトの香Onycha
一昨日在日韓国基督教下関教会では金成彦牧師の委任式が盛大に行われた。多くの牧師達は韓国から日本に宣教や職業を求めて来られた。彼らのお祝いの言葉が多く語られた。その中で繰り返された言葉は「高慢・驕慢になってはいけない」というメッセージである。私には彼らの高慢さを感じた。牧師、長老、執事など厳格な階級社会であり、まるで中世のようである。大学では教授、准教授、講師などの階級はあってもそれによって区分されることは稀である。私はその教会の主要成員ではあるが、全く存在感がない。私が彼らの高慢さや階級制について抵抗感を感ずるのは私自身が高慢さを持っているからではないかと反省する。
しかしその中に宝のような金鐘武牧師の御言葉のメッセージがあった。シェヘレトの香Onychaの作り方からのメッセージである。日本では酒と一緒に煮て香料を作るが地域によっては硬い貝皮を砕いて香りをだすという。そこから高慢な心を壊して人格を作り直すという、迫力のあり説教であった。感動した。
a nail; claw; hoof, (Heb. sheheleth; Exodus 30:34 ), a Latin word applied to the operculum, i.e., the claw or nail of the strombus or wing-shell, a univalve common in the Red Sea. The opercula of these shell-fish when burned emit a strong odour "like castoreum." This was an ingredient in the sacred incense.
タイミング
オーストリア在住の友人の奥さんが今朝のフェースブックに、夫は人間関係を切らない、ご自身は切ると投稿している。私はどうであろう。似て異なる点は、私は気まずくなっても許し、謝罪による和解に努力する。彼女の夫は聖人、私は凡人のように映る。研究にもその傾向がある。以前の研究も修正、補完していく。長く研究調査をしたサハリンについて韓国からインタビューに来るという。また『樺太朝鮮人の悲劇』の再出版の話が届いた。全く偶然の一致、何というタイミングだろうか。韓国から私が昔、撮影したシャーマンの写真の使用要請、福岡からシャーマニズムの研究会の講演、明後日には研究者がシャーマニズムに関して質問に来る。これらのタイミングは何だろうか。忙しくなった。その忙しさは家内へ、読書会のメンバーたちへ伸びていく。私が忙しくなると周りも忙しくなる。
民族とは何か
国家や社会のためにと訴える人の映像や画像が氾濫する。私はどうだろうか。自分の研究歴を振り返って見てもそのような愛国心や愛族心の熱気は見当たらない。世界への調査旅行もほぼ自分の好奇心によるものであった。ただ現地で問題点を感じ、日程変更が多かった。シベリアのシャーマニズムの調査中、サハリンの朝鮮人犠牲碑石を見つけ、ショックを受け、そして急転向、民族とは何かへの問題点を考え、調査し、拙著に書き残した。南アフリカで植民地支配者が憎まれず記念されている碑石を見てもショッキングであった。新しく出版予定の原稿を、今校正中である。それは社会へ貢献する意識とは全く異なる。今ドストエフスキーの『罪と罰』と山本孝夫氏(写真)の『杏林の坂道』を読んでいる。慰められる。個人の創作と社会への貢献はどう関わるのだろうか。
女性の下着が変わる
風雨が去り、日差しが気になる。蘭類は黒いネットで囲んで日陰を作った。私は20余年前から日傘を使っている。帽子を被る人が多いが、それはファッションのようであり、私は被らない。昨日の毎日新聞の「余禄」に江戸幕府が男性の日傘を禁じたと書かれていた。王座の権威の象徴のようなものであり、一般庶民には禁じたということであろう。私は合理的であれば恥も外聞もなく使ってきた。今、日傘は健康上、男性にも進められている。アメリカでは女性の下着が変わるともいわれている。下着泥棒が話題になるほどセクシーな下着は変えるべきかも知れない。そのような思想が先進文化であろう。昨日読書会でメンバー揃って私の新著の題を『世界の植民地:旅しながら考える』と決めた。終わって帰る途中で櫛田学長と偶然に出会い、読書会メンバー全員で挨拶をした。
「分からない」
朝8時前に出勤して日本文化論の講義にプリント資料、PPT、映像など数時間準備をして午後から講義をした。映画「サユリ」をカットしながら見せて、日本と中国からの非難された点に絞って話した。日本人からは日本文化が正しく紹介されていないと、中国から芸者=売春婦の役が中国の有名俳優になっていることへの非難である。フィクションとドキュメンタリーの差、文学や映画とドキュメンタリーと区別できていないことこを問題点にしぼって説明した。しかし「分からない」と、理解していない。私の説明が足りないか、学生たちの日本語の能力の問題であるか、大いに失望した。来週からはレベルを下げようと考えた。
その直後、熊本から熊本学園大学東アジア学科の柴公也教授が来られ話が長く続いた。彼とは初対面であるが日韓の私の学脈関係、恩師などまで、さらに私の経歴から研究の内容まで深く、細かく話題を提供してくれた。シャーマニズムから韓国文化を理解しようとしているという。講義で失望して談笑で報われた嬉しい昨日であった。
トランプ大統領
昨日の午後は相撲NHK中継、CNNの羽田空港でのトランプ大統領の到着の中継、夜9時の韓国のニュースでは日程の中で「日王」と会うと報道した。名づけや造語には特に原理原則がなくても通用すれば良いといえる。日本では休戦線を「38度線」、動員を「強制連行」などというのは無知からの造語が多いが韓国ではもっと多い。日王をはじめ「挺身隊」「36年」など。通用すれば言葉として生きるだけであるがその言葉を以て争うことがある。「日本海」争いはまだ続いている。講義で「English Channel」 「Indian Ocean」 「Gulf of Mexico」などを提示し、意見を求めた。中国の留学生の梅傑君が日本海は「日本国の海」の意味ではないと明快な説明をした。「東海」というのは世界どこにでもありうる。私に日韓の橋渡し役という言葉も気になる。橋から落ちるかも知れないからである。
高温のニュースで「熱中症」報道を争っているようである。日本ではハラスメント、いじめ、差別、引きこもり、自殺などのニュースが多い。社会福祉の社会では当然であろうが、国民がネガティブな気質に変化していくように感じる。逞しく差別やいじめに戦う人格形成へと務めるポジティブな教育、政策が欲しい。かなり前にアメリカから帰りに買った電子ブックのキンドルは古くなり、新しく日本で買い替えたものを持っていいる。今、それで拙著が4冊ほど読めるようになった。未来への期待でもある。昨日22世紀アート出版から宣伝用の葉書が届いた。暑中見舞いにも使いたい。
全員が「好き」
トランプ大統領に注目した。CNNで到着から昨日の相撲観覧と施賞式など。あるテレビ番組「委員会・・・」ではアメリカジャーナリストを除いて出演者全員が「好き」といった。正直、率直なパーソナリティであるという。私も選挙戦から好きであった。オバマは素晴らしい演説で当選・平和賞を受賞してから静かな「皇帝」の存在、それとは異なるパーソナリティのトランプ大統領、メディアにたった一日も欠かず現れる。安倍外交の成功とか、昨日ある韓国知識人は韓国は外交的にワンター・いじめられているといった。KBSニュースではトランプは北朝鮮との関係にボルトン氏の強硬な態度に牽制したという韓国政府側に偏った報道をした。
教会で具長老に私の寄稿文「白熱教室’謝罪’」が載った新聞を差し上げながら耳元で「読んでコメントしてくれる人は貴方しかいない」と囁いたが、耳が遠い彼は反応なし。繰り返し大きい声になった。しかし、彼には聞えず他の人に大声で言ったこととなった。以下寄稿文。
白熱教室「謝罪」
私は講義をしても教えるという意識はほぼない。学生の話を聞き、対話をするような感がある。先週ネパールからの留学生が日本ではなぜ結婚せず子供を産むかと質問されて困惑した。シングルマザーの話を延々とすることが出来ず、文化人類学の講義へ誘うことにした。
私の教授法の目標は考え方、価値観の変化を主目的とする。最初回の時間に世界の名門校のハーバード大学の講義の映像を見せた。まずハーバード大学をモデルにした映画「ペーパーチェイス」(1973)の権威教授の様子を見せる。大講堂の教壇には学生たちの写真付きの指定席、キングスフィールド教授が法律的な事例から問題点について学生を指名して質問する。教授は言う。質問と答えを繰り返しながら「私は君たちの脳を手術して価値観を変えていく」と言う。考え方、思考するのが主要な目標であることが分かる。このような権威主義の教授法は今では古いと思われるかも知れない。
現在の教授法はどう変わっているのだろうか。サンデル教授の講義の映像を例にしたい。日本で行われていた「マイケル・サンデルの白熱教室 日中韓の未来の話をしよう」の映像をみせた。ここでサンデル教授の講義を通して教育の本質を考えてみた。日中韓の大学生たちが歴史認識について討論したものである。
サンデル教授はまず日中韓の関係について、日本のアジアへの「謝罪」をテーマにした。1992年宮沢喜一首相が廬泰愚大統領に謝罪、1993年8月河野洋平官房長官が韓国に迷惑をかけたことを深くお詫びすると謝罪したことを以て、「今の世代が過去の出来事について謝罪する責任はあるのか?愛国心とは何なのか?」サンデル教授が質問する。
ある韓国の学生は「心からの謝罪かどうか、疑いを持ちます」「日本政府は十分その努力をしていない」という。日本人のあゆみさんは「自分がやったことなら、謝ったり誠意を見せたりすることができるが、わたし自身がやったことではないので、どうしたらいいかわからない」という。サンデル教授は「いまの時代を生きる私たちには、前の時代に犯した道徳的な問題について世代を超えた責任は存在しないということだね」と迫って質問する。
「ぼくたちが過去からの恩恵を受け継ぎたいのであれば、過ちについても引き継ぐべきもの。私が親や国を愛するのは、わたしの存在が彼らと繋がっているからです。人と国は分けて考えられません。」
「友好的に話し合っていた人も、それぞれ別のグループに組み込まれたとたん、対立することがある。相手への対抗意識が、自分の集団への力になる。かつて負けた国に、経済で負けてはいけない。」
先生は学生に「この講義から君たちは何を得ることができたのか」と問う。個人と国家、個人と歴史の関係意識を討論しており、しかしそれが主ではない。まさに思考、価値判断などの変化を期待した講義である。私はこの講義方法を大いに参考にしている。
マス席
私は日本に長く住んでもまだ日本文化の素人である。昨日在日のところに訪ねたがお茶もいただけなかった。彼らは御茶文化が身についていない。韓国にはその文化がないことと、日本文化化されていないからであろう。私が相撲を見るのは、テレビで見るだけで現場を知らない。この度、マス席というのも初耳であった。偉い人は後中央の特別なところに座ると知っていたが、トランプ大統領がマス席に座るというので近くに座って迫力感を感じるのかと、庶民的な気質かと思ったらマス席に特別な席を設置したということである。国技といいながら技の主導力はモンゴルに譲るような国際化が進んだが実はナショナリズムのセンターとも思われる。今日は韓国の国営テレビが取材に来る。ナショナリズムの独立反日番組にどう対応すべきか、気になるところである。
「瑞穂村の悲劇」
昨日は大学の研究所と研究室で夜10まで韓国KBSのインタビューを受け、協力者として資料提供、研究会のような時間であった。十数年前私が韓国と日本でサハリンの「瑞穂村の悲劇」について出した拙著が主題であった。日本国の科研による調査に対して質問が連発した。イジョンフン氏はPDのレベルをはるかに越えた研究者のようであった。日本人の韓国人虐殺について日本政府がそのような研究を支援したのかと驚いていた。当時、瑞穂村では日本人と朝鮮人が住んでおり、親しいとはいえないが互いに協力する間柄。朝鮮人は小作人か、労働者であった。
1945年8月20日ソ連軍が侵入する時「韓国人がソ連軍側のスパイだ」というデマが飛び交い、韓国人に裏切られたと思い、このままなら日本人が皆殺されるという恐怖と怒りで、日本の青年たちが韓国人の女と子供を含む27人の全員を殺した。ソ連の裁判が速やかに行われ、犯人は銃殺刑などになるが首謀者の森下が居なかった。何時だったか、数年前彼がテレビで謝罪する映像を目撃し、驚いた。私は拙著で虐殺から人間の本質を問うことを強調した。
韓国の終戦記念番組
昨日サハリンの記事『1945年8月20日 ソ連軍が侵入する時「韓国人がソ連軍側のスパイだ」というデマが飛び交い 韓国人に裏切られたと思い このままなら日本人が皆殺されるという恐怖と怒りで日本の青年たちが韓国人の女と子供を含む27人の全員を殺した。』について何か所、数人のコメントがある。「本当の原因は何でしょうか?」「何事も裏を取らず裏を取れずデマを鵜呑みにして決めつけることで 悲劇も喜劇も引き起こされる」。私はインタビューでは日本や韓国の両側を意識せず、人間の個人が危機の状況で判断することが難しいと思う。戦争中一発の銃声に村人が避難した状況を体験的に知っている。
法律も秩序もないアノミーの状況で人はどう生きるか。私はそれを教育と結びつけたい。それをインタビューで語ったが韓国の終戦記念番組においては憂いがある。本心が伝わるだろうか。
電子ブック
最近新聞を読む時間は短い。その分、電子ブックのキンドルで読む時間が長くなった。文字も大きく、知らない単語の辞書の機能も付いていて便利であるからである。紙の新聞は時代の変化にそぐわず、記事や編集に変化はなく、読者とのコミュニケーションが少なく、以前の通りである。廃れていくだろう。質を高める変化が欲しい。私はこの地域の人が日中戦争参戦時に撮った写真とインタビューなどを含む、拙著を出版してもどの新聞にも紹介されたことがない。昨日読書会では韓国のテレビ局が取材にきていることが話題になり、それが反日的なものになるのではないかとの憂いのことばがあっても、いくら悪くても無関心よりはましであろうと思う。
『日本NO.1Japan as NO.1』
日本文化論では『日本NO.1Japan as NO.1』アメリカへの教訓(lessons for America)について終身雇用制、日本人の真面目さなどに言及した。留学生は日本人の真面目さとは上司のマニュアル通りの言動に従にっているに過ぎないと言ったことに日本人の狩俣さんは自分の意志で上司とマニュアルに自ら同意して従うと反論した。重要な論点がでた。私は満足した。その後読書会のメンバーの田辺正樹氏が持ってこられた明治時代発行の写真集10冊ほどを見た。日露戦争、日韓合併などの貴重な写真である。「高杉晋作」「伊藤博文の遭難」などである。伊藤が狙撃される2分ほど前の写真などに視線が止まった。葬式の写真は初めて見た。
私の性格、人格を本質的に変えたミミ
色々病気を持つの愛犬ミミは危篤状態、前日の血液検査、レントゲン撮影の結果から、狂犬病の予防注射などを受けた。それががストレスとなったようだと言われた。朝一番に再度その病院で処置していただいた。昨夜ミミを真ん中に寝かせ、両側にわが夫婦が横になって泣きながら見持った。私の生活リズムは一気に崩れた。動物病院での愛犬談がいろいろ聞こえる。ある人は高価格で売るために小さく変形させられ、それを知らず買って、手術などで多額の費用が掛かったという。それでも犬を愛する。なぜそこまで犬を愛するのか。大きい教訓がある。
私のことから考える。前にも書いたミミちゃんとの生活により私の性格、人格が本質的に変った。過去の私は冷静な人間であったと、その時代を振り返ってみる。今、本気で温かい人間になったように自覚する。以前の知的な愛に比べ、今私は「知と情」により本気で犬や人を愛する。その心、態度は完全に変った。昨日犬の病気の最中、イギリス・ロンドン在住の石山望氏が訪ねて来て、関門海峡が眺められるところで昼食を挟んで談笑した。
マナー
石山氏はイギリスに40余年以上住んでおり、ヨーロッパでは韓国人や中国人とは異なる、「日本人である」ということだけである程度待遇されると言った。それは長い間日本人、日本文化が上付けた成果ともいえる。その時、ヨーロッパからこのようなニュースが飛んできた。度を超えた話である。中国で開催された国際サッカー大会で韓国代表が優勝トロフィーに小便をかけるフリと足でおさえたことに中国メディアは「侮辱的な行為だ」と厳しく非難し、韓国の優勝を剥奪したという。そこに日本が対照される。日本のファン・サポーターのマナーが称賛される。日本でもスポーツ選手が嬉しくメダルなどを齧るようなことが多い。それも注意すべきであろう。
「少数読者」
拙著『樺太朝鮮人の悲劇』はあまり売れる本ではないが、今その本が注目されて取材を受けている。改正版を考えているが、ある出版社社長の話が気になる。本はとうぜ売れないから興味ある「少数読者」を対象にするという。もちろん実態を知っている社長の話ではあるが、このネガティブ発言に私はノーNoと強く言った。ネット文化の影響で紙の本が売れないことは認めるが、私は多くの読者へ接近したいと思う強い奉仕精神が望ましいと思うから積極的、肯定的に対応すべきであると思うからである。多くの人に読みやすく、分かり易く読まれるように誠意を尽くして出版したいと思っている。
NHK「証言」
毎日のこの短文では多くの世界情報には応じられない。他人からは意味のない事柄多く、身の回りが優先。昨日寝たきりの愛犬に見舞いに来られた隣の奥さんにミミは吠えた。その元気さに大喜び。家内の適切な介護で元気になるかも知れない。
親しい知人の堀節誉氏の句集『渋』を手にし、日本語の勉強を兼ねて楽しく読みたい。22世紀アート出版から拙著『映像が語る植民地朝鮮』が電子ブックと紙の本の両方ともアマゾンで売られるようになった。多くの読者とコミュニケーションをしたい。
日韓の8月、終戦と解放の記念プログラムに協力する。韓国で「反日番組」にはなって欲しくない。そのために正しい情報と、解釈を話した。サハリン朝鮮人虐殺については故林えいだ氏から裁判記録、元PDの方から頂いた資料が全部である。2011年NHK「証言」で唯一の生存者の札幌居住の栗山正二氏を探している。
「ひきこもり」
天災等パニック状態でも秩序を守る優秀な日本社会・日本文化、「迷惑かけない」イジメ、律法主義、「ハラスメント」妄言などへの社会的バッシングが酷い。「恥の文化」の最後の「砦」が「家」、そこにコモル。しかしその家、家庭が犯罪の巢窟のように思われることが話題になっている。悲しい。改善の方法は一つ。保護、支援一方のネガティ的ではなく、個性が自立するパーソナリティー教育、否定消極的な支援から肯定的な人間教育へ教育改革が必要である。