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Channel: 崔吉城との対話
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日本産水産物の輸入規制

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 昨日愛犬ミミについて書いた後ミミの便秘が心配。家内の腹部マッサージと薬の効果があって、あちこちと移動しながら排便。便があちこちにあっても嬉しい。「愛」は素晴らしい。犬と一緒に暮らし始めた頃は犬の排泄物はとても嫌だった。そんな自分自身の変化も嬉しい。他人の関係でもそうでありたい。私にはまだ嫌な人が存在する。付き合ってその人の糞まで嫌ではないようになれるかなとも考えている。「友情」とはなにか。恐らく多くの人が考えているだろう。
 ずーと気になっていることがある。韓国による日本産水産物の輸入規制を巡りっていWTOに日本が敗訴したことである。ある人は韓国人の衛生観念が日本人より高いと称賛する。私は韓国の食べ物が好きではあるが韓国が日本より衛生的だとは今の段階では思えない。少なくとも一般食文化や民衆の衛生意識からも日本の衛生観念が韓国より低いと、韓国人が日本の水産物、食品を非衛生的だとメディアが大きく宣伝するのは誤解だと思う。


天皇については「全く知らない」

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 昨日は文学旅行をした。小倉の松本清張記念館と文学館で長く時間を過ごした。そのことについては後日に書くことにする。今日は日本の新しい元号に代わることについて触れてみたい。先週の日本文化論の講義では今日から始まる元号と天皇制について講義した。圧倒的多い留学生たちのコメントは天皇については「全く知らない」と書かれている。秒読みの、カウントダウンなどの騒ぎ、今日から「令和」新天皇に代わった。終身制から生前継承制に変わった。
 元々は中国発の制度ではあるが、日本化されてから古く、今は固有のものになっている。私は韓国文化財管理局で務めた時からも調査研究。王朝の宮中儀礼に関心をもっていた。その無くなった王朝の歴史が日本に現存、天皇の田植えの儀式は李王朝の仮農作と酷似していたのに驚いた。しかし韓国では天皇は帝国、つまり複数の植民地の支配者というニュアンスがあって、日本の天皇を「日王」としか呼べない。アジア、世界的にも天皇制は全く日本国内のもの、元号は日本の時間であり、国際的に同感を得ることは難しい。北朝鮮の元号の「主体」と似ている。
 政治構造からは権力power、権威authorityの二つの要素が重要であることは周知のことであるが、民主主義であれば民衆に選ばれた人が権力を持つ。権力だけでは足りないと思われると独裁化、権威付けに努力する。政治的に権威付けはカリスマcharismaともいわれている。日本では権力と権威が二分されている。天皇は皇位継承による権威の存在であり、儀礼・儀式により強調される。どの社会でも権威は存在する。ただそのシステム化される様式が異なる。

 

文学館観覧

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 地方に行くと地域出身の人物を顕彰する傾向があると強く感ずる。下関のメディアは年中高杉晋作の名を叫んでいるように感ずる。一般的に博物館や記念館も顕彰が多いが、常設展示だけで一生に一回訪問したら終わり式、市民との持続的な親密な関係は粗末である。観覧から資料の活用まで出来るように展示方式も変えなければならない。一昨日北九州の松本清張記念館と文学館の展示を鑑賞した。去年火野葦平氏の自宅「河伯洞」の観覧との関連で戦争文学に関する資料調査のような観覧であった。この地域から文学者が多く出て芥川賞などを受賞し、全国的に評価されたことに感動した。松本清張は今私が住んでいる壇ノ浦とも関連があるというので心の接点があった。文学少年の火野の16歳の日記の原本が展示されている。肯定的に戦争に参戦し、記録を多く残し、小説を書いて、戦後に戦争賛同者とされ、バッシングや罰を受けた。私の朝鮮戦争体験はより幼いころのもの、多くの人が持つものに過ぎない。去年戦争の記憶の一冊『米軍慰安婦の真実』(ハート出版)を世に出した。その体験や記憶が私の生き方にどのように影響したか考え、それを書き残したい。

ティームティーチング

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 文大統領が日本について歴史を政治的に利用すると指摘したと言う。日本では意外な感がするだろう。否、韓国から日本のメディアを見ていたらそう感ずるかもしれない。連日メディアが圧倒的に天皇と令和の話題、そとから見るとどうだろう。歴史を利用するのではなく、江戸時代に生きているように感ずるだろう。一方ブラックホールの先端科学の話は「天文学的数字」で理解ができない。

文氏は権力を握っても権威が付かない。権威の構造を理解出来ていないようである。
 教育の変化の話題をSNSで読んで紹介したい。フィンランドで学校のカリキュラムの変化の提案の話である。数学、地理、歴史など個別科目ではない、イベント中心に考察する授業にしたいという提案である。例えば第2世界大戦について地理、歴史など総合的に考察、考える学習方法である。教員も複数によるティームティーチングにする。私は以前中部大学と広島大学で実験的にしてみた。現在はアジア共同体論、日本文化論などでも実験的にやっている。その成果をまとめて報告書を出したい。新しい歴史教育が欲しい。

 

   

祭りの比較

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 長すぎる連休、月の半分が休日、楽しむ人とつまらなく過ごす人に分かれる。その最中か、昨日は下関の名物祭りである赤間神宮の「先帝祭」を見に行った。45万人と報道されるが観光客がここ下関にだけ集中したわけではない。全国的に人が浮遊し、歩くと思う。私も天気も良く気持ちよく参加した。ただ壇之浦の合戦で入水した安徳幼帝を偲ぶ「上臈参拝」行列を見るために赤間神宮の階段を上っていっても見られる場所を探せず残念であった。

 海辺で行われるミュージカル、華麗な正装の遊女の八文字をだっぷり観覧した。死者の怨恨を慰める祭りが演芸とされたミュージカルをが公演された。私は韓国の巫祭を思い出しながら観た。巫祭の松の神木が先帝祭では榊に、シャーマンのクッがミュージカルとして私の目に映ってきた。感無量であった。私は若い時、韓国東海岸に転々として行われるムーダン儀礼、旅巫人を長期間同行しての現地調査の場面と先帝祭がタブって見えて、いろいろなことを思い出した。この地元行事と海を挟んで日韓がで共有しているものがあると感じたことは大きい収穫であった。これから祭りの比較へとさらに研究は広がる。

食器棚

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私のような自由業のような研究生活はリズム生活が緩いかも知れないが、それなりに規則的である。連休中、家内の姉と過ごし、家がピッカピカになる。お風呂が新品化されたようになった。その調子に乗って私の模様替え嗜好が芽生え、応接間中央に食器棚を立てた。食器を飾るには気になることがある。若い時読んだ韓国・清涼里脳病院長の崔臣海(1919∼1991)の随筆を思い出す。家庭訪問してその家の性格をキャッチするという。食器や酒瓶などを飾ると食欲人、布団ダンスを飾ると寝る文化などと判断するという。これから我が家を訪ねてくる人はどのような印象を持つか気になる。

トマト

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 連休中いただいたプレゼントのトマトを近隣にも分けて食べている。それは長府のリサイクルセンターまで足を延ばすことになった。帰りに明屋書店に寄ったら店長が私が『慰安婦の真実』の著者であると知っていた。そこから旧イギリス領事館で開かれている古本市にも寄った。梓書店など数店が本を出していた。またくまざわ書店により映画DVD「南太平洋」を購入した。観光人類学の講義資料であり、帰宅して視聴した。ストーリーは当時の軍人と看護士の恋愛物語り、南太平洋の素晴らしい景観、ロマンスの幸せを満喫する。明日から平日に戻る。ハレからケへのリズム、ハレが長くケガ短くなっていく将来の時間意識構造の変化の予兆であろう。

お知らせ

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 連休の最後の昨日、彦島の和田邦子氏から筍をいただいた。これで2年目、地域の住民から愛されていると感じる。5月初めからキンドル販売予定が連休で遅れている。長府の明屋書店に下関地域での総販のようなことをお願いしてきた。店長の高橋行雄氏が親切に受け入れて下さった。その本屋には拙著『慰安婦の真実』『米軍慰安婦の真実』(ハート出版)が10冊ほど並べられていた。今度は新著『植民地朝鮮映像が語る』(東亜大学東アジア文化研究所、2018)置いていただいている。

<連絡・注文処>は下記に通りである。

明屋書店・長府店 〒752-0928 山口県下関市長府才川2-12-7 ℡083-248-1144 yukio_takahashi@haruya.co.jp 


私の読書法と映像鑑賞法

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 我が家は新築状態に復元したかのように奇麗になった。家内の姉が連休期間より長くおられ、生活を一緒にしながら清掃をしてくれた。履く、拭く、磨くという分け方があるが、彼女の清掃はそのレベルをはるかに超えたコンピューターの復元モードであろうともいえる。それと合わさったようにその期間、私の読書、執筆、映像やドラマ鑑賞も質をアップグレードした。私の研究のための読書法を紹介する。まず本文をスキャンして読みながらリライトする。解体と再構成のニュークリティーズム批評論で学んだ作業である。昨日は「南太平洋South Pacific」を映像分析のように鑑賞した。英語のトーキーと英語字幕でミュージカルを楽しんだ。ハワイの隣島での撮影、景色と恋愛だけで楽園のような映画のようであったが突出する台詞、アメリカで教育されたtaught憎しみと戦争の心を抜き出せるパラダイスparadiseへというセリフに私は大きく感動した。映像分析の楽しさの最高潮であった。

『百年を生きている』

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 昨日ある地元新聞記者と取材ではない談笑を長くして帰宅してメールを見ると、ソウルの高校の同級生から哲学者・随筆家の金亨錫氏のインタビューが送られてきた。私が青春時代以来愛読している金先生は九十八才でお元気、執筆を継続しているという話である。最近『百年を生きている』という本がベストセラーだという。「働かないのは大変だったよ」といい「私は、仕事が人生です」。彼は同僚たちから雑文書きと非難されたが、彼は「私は私だ。他人の視線にこだわらず、私の人生は私の責任である」と考えできた。金性洙氏(1891~1955)を親日派だという人がいるが、私は否定する。その当時はある程度有名人であれば状況も分からないのに親日派だと呼ばれることも多かった。

 김형석은 아흔여덟 살인데도 나무처럼 꼿꼿했다. '백년을 살아보니'는 10만부 판매됐고 지금도 일주일에 서너 번씩 강의를 한다. 1920년 태어나 6·25 전쟁,  "여든 살이 될 때 좀 쉬어 봤는데 노는 게 더 힘들더라"며 덧붙였다. "내게는 일이 인생이에요. 남들은 늙어서도 그렇게 바쁜데 행복하냐고 묻습니다."우리 철학과 교수들은 '궤도 밖 외도'라고 손가락질했지요.나는 나다. 시선에 구애받지 말고 내 인생은 내가 책임지자'는 생각이었습니다.상아탑이 학문의 전부는 아니에요. 김성수에 "누구는 그를 친일파라 하겠지만 저는 부정합니다. 그때는 이름 있고 한자리씩 가지고 있는 사람에겐 그런 일이 아주 많았어요. 정황도 모르면서 어떤 기록이 나왔으니 친일파다 하는 건 섣부르고 얕은 생각이죠.” 

アジアの英語

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  山口県日韓親善協会の専務理事の伊藤巧氏から電話、先日原稿請託に応じ投稿した拙稿が掲載されるという、嬉しい。何故かは多くの読者も知っているように続いて韓国側からバッシングがあったからである。悪く(親日)と批判されることもあるが正しく評価してくれる人も多い。
 直後「アジア文化言語論」を講義した。多民族国家の留学生を混合するように座席を指定した。日本語が共通語であるが、英語を使うこともある。今アジアでは英語を通してコミュニケーションすることが多い。英語圏ではない地域では英語が共通語になることが一般的でもある。英語はノンネイティブ・スピーカー同士で話す率が高い。その英語地域のアジアでは今、約三億五千万人が英語を使う。六人に一人が英語を使う。非常に大きな英語圏になっている。国際英語であるが、国内の共通語になっている国家もある。
 シンガポールは植民地旧宗主国イギリスから独立したときに、国語を何語にするかは、非常に大きな問題になった。中国語、マレー語、タミール語、英語の四つの公用語をもつ。結局英語が第一公用語となった。スリランカは旧宗主国の言語をやめてシンハリ語だけを国語にし、民族紛争が続いている。政治家の判断が国家の運命を左右する。自主独立して不幸な国、北朝鮮、ルワンダ、ジンバブエなどなどの国を見て、よく考えて欲しい。

 

 

 

韓国からオープンキャンパス

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 昨日韓国からオープンキャンパスに来られた学生や校長先生らを迎え、一行の中の元広島領事の金賢中氏と昼食をしながら広島時代の話が披露された。途中講義にもどり、私の定期健診、鵜澤副学長とまた港送別、同僚の病見舞いなどで忙しかった。
 私の忙しさとは真逆な患者の忙しさを感じた。患者は病気などとの戦いで真剣である。早い回復を祈る。彼は私より20歳以上若い、医療施設は良い日本、頑張って欲しい。日本文化論の講義では前回の天皇制についてほぼ「知らない」と書かれていた。原爆のキノコ煙と玉音放送の映像を見せてから意見を発表させた。タイからの留学生が王様と仏僧は尊敬するが、軍隊が権力を振る国であることに触れ、その点を議論した。

天皇を'日王’と表記するのは間違い

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 韓国の代表的な月刊雑誌「月刊朝鮮」には日本に関する記事が載る。日韓で問題になっている徴用工、慰安婦に関するものはない一つの記事がある。「日王」ではなく「天皇」だという。私の記憶からは朝鮮日報が初めて、主導的に「日王」と表記し、言ってきたので当時私は韓国の毎日新聞に論説で訂正を主張したことがある。その朝鮮日報社系列社が発行する雑誌に「わが言論では天皇を'日王’と表記するが、日本人が天皇制に対して思っている特別な感情を知らない表現といえる」と述べている。大きい進展だと歓迎する気持ちである。
 昨日研究所で長く本を触りながら仕事、読書で過ごし、明屋書店に寄った。拙著が並べられているのをみた。また店長と相談もした。先日本欄で『植民地朝鮮映像が語る』についてお知らせを書かせていただいた直後書店に10件以上注文があって感謝であり嬉しいことではあるが、本屋としては書店販売以外には事務的に対応できないということで、東亜大学東アジア文化研究所が対応することにした。dgpyc081@yahoo.co.jpに連絡いただければ幸いである。
 

<お知らせ>

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<お知らせ>
明屋書店・長府店に拙著
『植民地朝鮮映像が語る』
『慰安婦の真実』
『米軍慰安婦の真実』が
販売されています。読者皆様、よろしくお願いします。
 崔吉城

「母の日」

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 昨日は「母の日」、韓国の「父母の日」、牧師家族から信者たちへカーネーションが贈られた。嬉しい。その若い牧師が説教の冒頭、信者たちへ感謝の挨拶、異例な新鮮さを感じた。 聖句は有名なペテロのイエスを3回否定する裏切りの話の前段階の話である。一瞬私は疑った。今私が執筆中のエッセーで「裏切り」の聖句を以て、ある牧師と質疑中であるからである。この説教では「私を愛するか、どのくらい愛するか」など愛の質を問う、母の日のメッセージ、バランスがとれた良い説教であった。私は2回も褒めた。私の高慢さと言われるかもしれないが私の愛である。母の日に合わせて広大時代の弟子の上田君からプレゼントが届いた。彼は新学期から南山大学へ転勤した。ますます学界の重鎮になっていくだろう。

 

下川正晴氏の『日本統治下の朝鮮シネマ群像』

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 下関地元の人から下関には冬と夏の間の季節がないといわれた。日本では「四季」と歌われても、ここ下関では冬と夏、私は「二季だよ」と返した。世界的には広く乾季と雨季の地域はあるが、この二季「寒季と暑季」「冷暖」房、冬服と夏服など、どう表すべきか。既に梅雨宣言の声が聞こえる。昨日研究所で本を分類しながら韓国についても「冷と暖」の本が多いことが気になった。「反日と嫌韓」の本が多く、日韓関係も「冷暖」の二季しかない。
 韓国映画に関する本が届いた。下川正晴氏の『日本統治下の朝鮮シネマ群像』。日本の植民地朝鮮の映画に関する映画が総網羅している。著者はソウル在中経歴や韓国の友人も多く、私も彼と研究会などを一緒にしたことがある。私は彼を招請講義に呼び、長く話をしたこともある。私も彼と同様植民地の映像に関心があり、共通している。10年ほど前韓国で『映像が語る植民地朝鮮』を出して、最新著の日本語版(2018.10)についてネットではコメントもいただいている。彼の著書から刺激され新しく分析を始めようと思っている。

「愛されている」

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 台湾から頼氏が老犬ミミに会いたいと言ってこられ、お見舞いなさるように会った。ミミは今便通で苦労し、家内は深夜マッサージ、浣腸処置などで眠らず介護した。私も眠れず見守った。何故か私はイヌの排泄物が汚物ではなくなったのである。介護が負担と感じない。以前のエゴイスト的な性格が全く変わっている。なぜ私がこのように変ったのか、どう考えても不思議。ミミと自分の高齢とを重ね合わせて考えるからでもあろうが、本気で愛するからである。愛犬は実に「愛されている」という実感がある。

운이 좋은 날

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 어제는 운이 좋은 날인 것 같다. 아침 한국과 일본으로부터 전화와 메일, 스승날이라고 장용걸, 신기동,최종성, 노진화,이영희 등등으로 이어졌다. 아마존에서 다시 오래간만에 작년에 낸 책에 베스트벨러 마크가 나타나고, 킨들에 새 책이 등록이 되고, 멀리서 찾아 온 손님으로부터 저녁식사를 대접 받았다. 운이 좋은 날이었다. 좋은 날이 있을까. 우연히 생긴 것일까. 악운의 날도 있다. 그냥 일들이 생기고 사라질 뿐인데 사람들이 그렇게 운이라고 생각하는 것일 것이다. 운세를 보는 점이 존재할 뿐이다.   

幸運の日

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 昨日は幸運の日のようだった。朝、韓国と日本からの電話とメール、「先生の日」だという。日本にはない韓国記念日である。先生は社会的ステータスと収入の面でも優遇されている。教育を大事にする。韓国の近代化はその力が多きい。昨日アマゾンで再び久しぶりに昨年に出した拙著『慰安婦の真実』にベストセラーマークが付いた。電子ブック出版、世界からKindleで読める新著が出た。遠くから来られたお客からご馳走になった。昨日は特別「運が良い日」だった。特別、幸せを感じる運の良い日もあるのだろうか。偶然であろう。悪運の日もある。韓国では運が悪いことを「財数がない」という。経済的に思うからであろうか。ただ、物事が生じ、消えるだけなのに、人々は運だと思っているのだろう。運を見る「運勢占い」がある。昔、私は村山智順の『朝鮮の占卜』を分析したことがある。

「謝罪」個人と国家、個人と歴史

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昨日朝から講義準備、万全なところで教壇に立った。しかしコンピューターが開かない。一瞬パニックになった。前日が幸運の日だったら昨日は悪運の日に感じた。世界の名門と言われるハーバード大学のサンデル教授の講義の映像を流し、その間,必死でコンピューターを開いた。
 映像の内容はサンデル教授が日本のアジアへの「謝罪」をテーマにしたものだった。村山首相の謝罪を知っているか。まず中国の学生が「はい」と言った。韓国の学生は「心からの謝罪かどうか、疑いを持ちます」という。それについて日本人のあゆみさんは「自分がやったことなら、謝ったり、誠意を見せることができるが、わたし自身がやったことではないので、どうしたらいいかわからない」。
 サンデル教授は「いまの時代を生きるわたしたちには、前の時代に犯した道徳的な問題について世代を超えた責任は存在しないということだね」と迫って質問する。個人と国家、個人と歴史の関係性について深く議論していく。
 この映像に私はより問題点を深めてから質問した。1年生の時、過激な愛国心をもって書いた学生が「謝罪は無用だ」と言った。学生たちのレポートを読みながら講義は成功的だったと思った。

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