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Channel: 崔吉城との対話
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「今の天皇は優しい」

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  ある同僚から聞いた話が耳に残っている。「今の天皇は優しい」。民族や国家を越えて周辺国には既に訪問済みなのに、なぜ韓国には行かれないかと。韓国国会議長の文氏は天皇の優しさを知ったうえで発言したのに日本のマスコミがもち上げて騒ぐだけであるというのである。一体どうなっているのか。
 発言の全体、状況から理解しなければならない。確かなのはメディアはあまり信頼できないことである。トランプ大統領がフェイクニュースと言いながらツイッターで直接投稿しているのが理解できる。しかしメディアは大きい情報システムである。無視することはできない。メディアから一方的に流されず、反論反撃などをしても良いだろう。一方的に流れるメディアからの情報を相互的なコミュニケーションに変えなければならない。一方的な新聞などは廃れている。昨日あるテレビ企画者からの依頼電話に、事実だけの報道であれば協力すると答えた。


新学期初授業

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 今年度の初授業「アジア文化言語論」、同僚が親切に教室準備をしてくれ、30人以上の学生の前に立った。私は20代から60年間の教育、講義歴であっても新鮮、かつ緊張の時であった。古い内容を繰り返すのではなく、常に教授法を新しく開発しようとしている。自己紹介はwebsiteによる通信のために私のフェースブック、ブログ、ツイッターなどを英語と日本語で紹介(プリント資料)から始まった。学生たちからも自己紹介、日本、韓国、中国、ベトナム、タイ、ミャンマ、ネパールの学生たち。中には日本人の学生二人、一人はニュージーランド留学の経験者。
 まず日本語が十分ではないようなのでリスニングテストのように話をした。話のメーンポイントをキャッチできるか。まず私の長生き、それは第一波、第二波、第三波まで人類史全般を生きたということ。そして一人旅の調査旅行の辛い経験、北京空港でのカバンの取り違えの危機の話、ロシアイルクーツクでロシア語を知らず列車時刻表の標準時間を読めず苦労した話を別々して理解度を観察した。それらを正確に把握する学生は少なように感じたが。出席カードではよく理解している学生が多かった。幼い時の話の中で「戦争を面白いと思ったと言った話を聞いてとても衝撃的でした」と書いた学生もいた。これから楽しくなりそうである。

友愛

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 昨朝ソウルの姉から家内への電話、それは家内の誕生日祝いのためだった。私はその日も、カレンダーも忘れていた。夕食は家内自作のワカメスープ、おめでとう。日韓親善協会の総務理事の伊藤巧氏が訪ねて来た。韓国からのバッシングをよくご存知なのに日韓親善協会の機関誌に原稿請託されたことは意味が深い。日韓関係の最悪の中にも異次元の親善友愛が、優先されるということであろう。講義では「花見」の日本文化論を議論した。定期健診のために近い池田病院まで歩いた。近道を歩いているとき、反対側の車線の車が止まるのが見えた。そのまま歩いた。気が付いたら車が私の横に留まった。櫛田学長から声をかけられた。送ってくださるということ、その心配りに感心した。

 講義の要約:アジアでも国々には国花がある。韓国のムクゲ、中国のボダン、ベトナムの蓮、タイのジャスミン、ネパールのシャクナゲ、ミャンマーのパダウなど。国はなぜ花を国花とするのか。桜の花見が日本特有の文化であるという文を読んで議論した。韓国のナショナリズムと桜の話が話題になった。桜の韓国起源説、日本が植民地朝鮮に植えた桜を切るべきだと言った学生がいた。それは韓国のことであって構わないが、花を愛し楽しむのが良いのではないかという意見が圧倒的に多かった。

 

「4月の雪」

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 「4月の雪」、韓国の映画の題である。日本語では「外出」になっている。4月の雪、日本(東京など)ではありえないと思われる。実は4月に雪騒動、寒さがまだ残っている。しかし「春は行く」という詩のように時間は流れる。すぐ暑くなるだろう。冷えた東アジアの状況は変わるか。日韓関係の氷はなかなか解けない。私は自他共に中立的だと思い、言われているが、それが難しい。どんどん韓国から気分的に離れる傾向がある。私自身より韓国からの追い出すパワーによるものと感ずる。海外同胞が多いと韓国は自慢するが実は同胞を追い出すからであろうとも思う。文大統領とトランプ大統領との会談は成功か失敗か、それは会うだけでも良いが、日本のメディアはほぼ失敗したという。昨夜の韓国のテレビは文氏の味方、まだ民主主義は十分ではないと感じた。一方日本の場合野党乱立、民主主義のやりすぎ、野党が問題である。

堀家兄弟の作品

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 家内の誕生日を祝ってのメッセージが多い、そんな中、昨朝広島からプレゼント(写真)と花たばを持って訪ねて来られたのは前田よしみ氏。プレゼントにいただいたお皿に雑草のような花を載せるとより美しい。また、祝花を私が花瓶にいけて、部屋は一気に祝賀ムード。教会の入り口で会った韓国からの旅人の夫婦との寸話、「他の国も多いのになぜ日本に住むか?」という大問題の質問に時間不足で答えられず、残念であった。街には海峡ウォーキングの人々が多い。美術館に寄った。堀家兄弟の作品、堀研の桜の絵には圧倒される迫力、堀晃の海と魚の絵たちから迫力と美感。感動。嬉しかった。

ノートルダム寺院が火災

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 千年近い古い、パリのノートルダム寺院が火災で屋根がほぼ全焼し、尖塔も倒壊された。昔、行って見た時の印象は他の寺院より木造の部分が多く、火事の憂いがあったが火事というニュースで本当でほんとうに驚いた。改修作業中の事故であろうか。迅速な対応を祈る。韓国の山火事では被害が大きいが、政府が急速に対応したことを褒めなければならない。先週私が通う教会の尖塔の雨漏れが心配だという担当者の話を聞いて、早く対応して欲しいと話したばかりである。入り口に数年ほど前植樹したソテツが伸びすぎて剪定をしたが、その葉を捨てるのももったいないその気分。以心伝心、山田寛人氏がソテツの葉で教壇を飾った写真を送ってくれた。美しいので添付する。

日記とは

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 今,戦前、終戦、戦後にかけて生きていたある人の日記を読んでいる。読書会のメンバーの古本氏から頂いたものである。高校時代に戀愛感を素直に、時には英語で書いている。まだ悩みも書いてある。私自身のその時を回想させる。私のコラムの文は私事も書いている。私の日記、多くは紛失、今書いている文はその続きではあるが日記とは言えない。ただ毎日書かなければならない習慣によるものである。それは数十年間書いてきた日記を書く習慣からの連続でもある。日記はよりプライベートなものであり、自慢もあれば恥ずかしい思い出もある、面白可笑しく書くものでもない。なぜ日記を書くのか、誰かに読ませるものなのか、そうではない。私自身も正確に分からない。

 近年、私は慰安所帳場人の日記を読み、紹介する『慰安婦の真実』を出した。その日記の朴氏が書いた慰安所の内容も重要であるが、私は日記者、ぞの人との出会い、人格との出会いに関心が高い。自分の日記が読まれることのように注意深く読んだのである。今、世界的なベストセラーの『さゆり』を読んでいる。原体験に最も近いのは日記であるが日記によるものではない。ある芸者の記憶、回顧、口述、翻訳、そして作品化の過程を経て小説、映画になっている。

「花は美しくない」

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 話したい、考えたい時、本学図書館の新谷明雲教授に会う。昨日もそうだった。ご自分の名前の「明雲」は韓国と中国にも多いという。多くありそうな名前である。ついでに私の「吉城」はすくなくとも韓国では唯一、それほど悪い運の名だという話。その話はしばしば言っているので話題を変えた。
 彼は文明技術史を講義している。美の話を出した。私は混頓も美、花、人間・・・なぜ美しいのか。花はなぜ美しいか。彼に図書館で展示中の「赤江瀑展」に連れられて行った。赤江氏の「花は美しくない」という黙筆を見せてくれた。ただの逆言を言ったのか、深く考えたのか。美人、妓生をもって考えた原稿『絵葉書で見る近代朝鮮』(民俗苑)を彼に渡した。それは紀要への投稿文である。

 『絵葉書で見る近代朝鮮(그림엽서로 보는 근대조선)』 

監修:崔吉城、編集 解説:浦川和也 2017 ISBN978-89-285-1006-1 販売価格:82,080 円(税込)出版社:民俗苑


「親しい人」friendly

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 昨日のクラスでは二人の日本人を除いて他の30人が留学生。その前で、私の留学の時の失敗談を例にして話をした。当時は日本の大学側や教員たちも留学生に対する理解が足りなかったと思う。留学生の私が目立ち、笑われたり非難されることが多かった。書類に指導教官との関係欄に「親しい人」friendlyと書いたのが「親族だ」と嘘をついたと女子教授にを言われ、学内で大騒ぎ、言葉がよく分からず誤解されたこと、それは今でいうならセクハラと非難されることでもあった。2回も盗人と誤解されたこともあって後日、謝罪を受けた。貧しい留学生だったからだと思う。文部省の研究費を貰い、猛勉強、文学博士号を取得、国立大学教授、そして今に至っている。温かい日本人が圧倒的に多かったが、いまだに著書で誤解されることが多い。構わないと思いながらも、上手くいっていないのかなと思う時もある。*写真2019.3.27 下関港

政治家への信、不信

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 お客さんが研究室まで案内されることは時々ある、職員たちによって昨日は3組、丁寧に案内して頂いた。新任の方が多く、私は職員の顔を知らず恐縮であった。お客さんと会う度に日韓関係に触れられるが、すべてというほど日韓関係を悪くしたのはいうまでもなく政治家。彼らへの不信、民間交流はかわりないという論調である。なぜ政治家を不信しながら政治に影響されるのか。矛盾であろう。その矛盾が昨日出た。ある人から下関市の発展企画に関する話があり、政治家の力を借りなければならないと言う。観光施設、大学の機能拡大など大きい問題が話題になった。またある会のメンバーなって欲しいと誘いもあった。政治家への信、不信で私の頭がこんがらがってしまった。

予想外の日程

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 昨日は予想外の日程の日であった。早朝関釜フェリー船上からの電話、教え子と言っても今、50代後半の男性であり、25人の団体旅行、金サンギョン君に会いに出た。唐戸市場の寿司販売開始まで待ちながら立ち話、関門海岸に座り朝食、懐かしい話の時間であった。その後、デトロワで友人の権藤博志氏の写真展、4,50年ほど前の写真鑑賞、そこで彼の奥さんとわが夫婦の長い話、白いエビクリームスパゲッティで昼食、美味しかった。道端の花を鑑賞しながら歩き「古川薫が残したもの」の講演会に行った。800人を予想して招待したというが、私は招待されていないことを知った。排他されたと感じた。演者の一人の武部忠夫氏から口頭で誘われていくことにした。古川氏の受賞まで過程の話を聞いた。賞のために、賞に乗っかって生きた人であろうか。彼の人生や文学の本質に迫ってみたい。

イースター

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 昨日はキリスト教では全世界的に最も代表的な記念日のイースター復活祭であった。永遠の命、不老・不死の信仰は道教、仏教、キリスト教などの宗教でも信仰化されている。儒教では子孫繁栄と祖先崇拝、仏教では輪廻転生のようにキリスト教では復活信仰がある。死にたくない、死でも生きるという希望である。実は個人は死でも人種や社会は永続する。私は死んでも生きている人間を見守りたいだけ。その意味でもイースターは意味がある。昨日そのイースターでスリランカのコロンボとその郊外などにあるホテルとキリスト教の教会で、ほぼ同時に爆発があり、これまでに207人が死亡、400人以上負傷したという。教会3か所ではキリスト教徒たちが復活祭、イースターの祈りをささげている最中だったという。
 1997年スリランカの調査旅行、コロンボのHilton Hotelを思い出す。青木保教授が代表の科研研究で北岡、山室、春日らの文化人類学者と寄った。ヒンズ教と仏教の寺院を訪ねた時は軍人の警戒、ボディチェックの厳しさに非常に違和感をいだいたことを思い出す。今度の爆発はそのようなイメージがまずアップされる。宗教やイデオロギーが如何に危険であるかは重々知っていながらも、生き甲斐と人生観を考えながら生きるために信仰に頼らざるを得ない。中庸の信仰が必要であろう。

89세 그리스어 원문 성경을 번역

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 시아틀 거주 최윌리엄 주교님으로부터 편지가 왔다. 벌써 수년전 우리 부부가 방문하여  며칠이나 묵으면서 친교를 하였는데 그 간 두번이나 이사를 하여 주소 불명으로 소식이 돈절하였다가 넷트로서 추적하여 주소를 알아내어 편지를 보냈더니 답신이 왔다. 부산성공회 주교로서 우리와는 80년대 이후로 종교 신앙적으로 또 한일국제결혼자로서 친교를 하였다. 그 분의 권고로 내가 목사가 될 기회가 있었으나 거절한 것이 평생 후회일까 다행일까 생각하게 한다. 그는 부산에서 은퇴한 다음 미국으로 이주하였다. 시아틀, 넓고 넓은 정원이랄까 산야 속에서 살고 있다. 지금 그는 89세 그리스어 원문 성경을 번역, 공부를 하고 있다고 한다. 내가 방문하였을 때 목사들이 모여서 나의 샤마니즘 연구를 들었던 것을 추억으로 가지고 있다.  내가 그의 소식을 몰라 아쉬어 하고 있을 때 그는 나의 훼이스북을 읽고 있다고 하여 반가웠다. 

崔ウィリアム司教

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アメリカ・シアトル居住の崔ウィリアム司教から手紙がきた。もう数年前、私たち夫婦が訪問し、数日間泊まり友情を交わしたが、その後二回も引っ越しして住所不明になり、ネットで追跡してアドレスがわかり手紙を送ったところ昨日返信が来た。釜山聖公会司教をされておられた時、私たちとは、80年代以降に宗教、信仰的に、韓日国際結婚者同士として友情を交わした。その方の勧告で私が牧師になれる機会があったが、私は応じず一生後悔か幸いか考えさせられている。彼は引退した後、米国に移住した。シアトル、広々とした庭園というか、山野の中で暮らしておられる。今、彼は89歳、ギリシャ原文の聖書を英語で翻訳、勉強をしているという。私が訪問した時、牧師たちが集まって私のシャーマニズム研究についての話を聞いてくれたことを思い出す。私は彼の消息をしばらく知らなかったが、彼は私のフェイスブックを読んでったおられたとのこと、嬉しい。

『台湾と山口をつなぐ旅』

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  文在寅氏は権力powerはあっても権威authority,charismaがない。カザフスタンを国賓訪問中の韓国の文大統領がカザフスタン最高の勲章、外国人に授ける「ドストゥク勲章」を受章する、予定だったが突然中止になった。授与式の前日に突然中止になったという。勲章授与式を3時間後に控えて随行記者団に行事の中止を通知したという。私が釜山・東亜大学の「海外名士特別招請講演」を前日キャンセルされたのに酷似している。相手を高く褒めてから落とすという侮辱と恨の構造が似ている。

 それとはかけ離れる、愛しい文を読んでいる。山口出身の女性が台湾の人と結婚して橋渡しの『台湾と山口をつなぐ旅』。

 私の母の額は四角て狭く、頭髪はクセ毛で量が多い。昔、ゴーギャンの「タヒチの女」シリーズを観たとき、幼心にも母に似ていると思ったもので、私にもその特徴は見事に遺伝した。母の故郷は九州の宮崎県だが、さらに遡れば鹿児島県の隼人族にあるという。隼人族は太平洋の黒潮に乗って移動した海洋民族「オーストロネシア人」に含まれるといわれる。オーストロネシア人というのは、ミクロネシアンや、タヒチやハワイなどのポリネシア、フィリピン、そして台湾原住民などの系統民族の・・・縄文人と弥生人の混血であるわたしが、今、山口と台湾について文章を書いている。

 広く、深く、意味のある話が綴られている。


「休日」

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 今日、明日は講義、その後10連休になるという。嬉しいが生産的ではない、無駄な感じもしなくはない。「祝日法」によって3連休と4連休が続くという。中には「昭和の日」「憲法記念日」など国家のアイデンティティによって設定されたものが含まれている。休日の「休」はやや消極的に労働や仕事から解放されながら、「遊ぶ」という積極的な意味がある。説明の理屈は別として国家が「休日」を決めることは社会の息を一時的に中止させることになる。多くは働かず賃金を貰うようなことになり、嬉しい。一方企業主側からは逆であろう。このように無理なことを国家がすることになる。なぜ国家が記念日制定を乱発するのか。主日、日曜日だけは安息日、休日はそれで十分、さらに必要な人は希望休をとっている。今日までの長い歴史が語っているのではないか。

The longst word is smiles by Reader's Digest april 2019.

 

ワンアジア財団から支援

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 校内電話が故障で職員が通話メモを持って往来するなどご迷惑のなか、ワンアジア財団から支援をうけて行う講義、4年目が決定された通知を受けた。嬉しい。感謝である。グローバリゼーションとナショナリズムをテーマにしたい。講義も仕事であるの、なんだか称賛される気持である。
 政府指針によれば(4.24毎日新聞)外国企業との共同研究の大学を対象に技術流出を防止するという。私は留学をし、留学生を教えるものとして考えなければならない。特に先端技術を習った人が自国の軍事産業に関わり、国家間の紛争を起こすことは問題にもなりうる。植民地時代には多くの被支配の人が植民地教育を受けて、反乱し、英雄になった人が多い。また戦後日本に留学した人が帰国して反日運動を起こしたのは周知の事実である。
 昨日読書会では日本にとっては「在日」を包容する積極的な政策を考えた。在日は民族が異なっても日本という国家の一市民として生きる根本的な政策が必要だろう。と議論した。住み良い環境だからではなく、「住む」という意味を深く考えるべきであろう。日本人も同様であろう。

創造の暇

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 今朝は晴れ、明るい朝、このところ、こんな気持ちの良い天候は久しぶりである。千葉から家内のお姉さん来られた。二人とも看護師、私は健康が保証される気がする。長い連休は何をしようか。研究室を訪ねて来た人が時間があったら意外に研究に集中できないと話た。私は有名な作曲家などの芸術家は他人の目からは怠け者のような時間を過ごしながら創造的なアイディアと力が出て偉大な作品を作るという例話を話した。
 この度長い連休、暇と孤独の時間から偉大な仕事ができるのではないかとフィードバックをした。暇を恐れ、逃げて群衆の中に入っても『群衆の中の孤独者』。長い連休と暇が想像的な迫力を授けけてくれるのではないか。そうは言ってもどこかへ行って見ようと思う。今日は韓国から研究者が訪ねてこられる。彼と昼食、その後、山菜採りに行く予定。*写真は田辺正樹氏からいただいた筍

釜山・東亜大学校の李勛相教授

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 釜山の東亜大学校というと、最近私がバッシングされた大学校、本欄で時々触れたが、昨日その大学の李勛相教授と会った。十数年前彼に招かれてその大学で講演したこともある。彼は有名な教授であり、二人の話は争うように続づいた。記録文化、口述記録、古文書探し、美人画、パンソリ、シャーマン儀礼などの発掘の話は広く面白く絶えなかった。昼食だけで終わるつもりだったが彼も同行、田邊氏の先導により彼の山へせり採りに行った。600本のミカンの株、新しく植樹する果樹園現場を見て芹セリ(芹)を競うように採り、写真も撮った。功山寺では明治維新、萩の歴史の話、医療史関係の話の中で春海保健大学の理事長の名前が突出した。なんと私が知っている理事長と学長夫婦の話、延々、彼は下関で一泊するとのこと。家内のセリ料理は本当に一味であった。楽しい韓ドラで連休初日のフィナーレ。

家内の誕生日祝い昼食

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お姉さんと一緒(写真)、下関地域の焼肉店やすもりで家内の誕生日祝い昼食、偶然隣席に建築研究の亀松氏とであった。眼鏡を新しく、世界が奇麗に見える。この世をより美しく、愛しく見ていきたい。例のコラムを全載する。

老犬ミミの老老介護

崔吉城   本欄コラムに初めて書かせていただいたのは「黒人大統領」がテーマだった。それが2009年2月27日だったので10年が過ぎた。ほとんど休むことなく続けてきた。本社との縁はもっと遡る。私が日本に留学する前に韓国から投稿した記事を持っているので60年代末から70年代はじめ頃のことである。様々なことを書かせていただいた。縁が長く、そして深い。   今日は我が愛犬のミミについて書きたい。今一緒に暮らしている愛犬ミミは今年13歳。ポメラニアン、我が家の同種の3代目になる。姿形が良く美人。すれ違う人からよく「奇麗なワンちゃんですね」と言われ、つい嬉しくなる。ミミは人見知りすることなく、誰にでも近づき撫でられるのが好き。誰からも愛されたい。 今は高齢で、しかも心臓が悪く、腫瘍があって麻酔に耐えられないということで手術もできない。幼い時は家内の新しいハイヒールが好きで、ヒールを齧ってあっという間にはけなくしたり、着替えて椅子にちょっと掛けておいたシルクのブラウスを引っ張ってきて齧って使えなくしたりした。また、私の大きなスリッパをくわえたまま自分の椅子にぴょんと飛び上がったりしたのに、今は食卓のミミの椅子に行けるように斜面を作ってやり、そこをゆっくり上がる。 お散歩も家内が抱っこして外の空気を味わう程度。それでも朝、晩にお散歩行こうか?と言うとワンと吠えてしっぽを振る。腫瘍が大きくなり、歩くのが不便。幸い痛みが無いようである。時々便通調節のため家内が下剤や浣腸をしている。それでもミミは明るい表情で私を見つめる。私はミミに見つめられて切なく、時々悲しくなる。 私も高齢であるが、ミミも長生きして欲しい。ミミは私より高齢に感じる。老老介護で家内は私と老犬の介護で大変であろう。朝の散歩。家内と一緒に愛犬ミミを連れて50メートルほどの坂道を登り関門大橋が見える公園の椅子に座った。母娘のような人が犬を連れて散歩に現れた。犬同士は嬉しい反応、早速近づいて挨拶(?)をする。特にミミは社交性が高い。初対面の人にも近づいて行って撫でられるのが好きで、彼女の散歩はそれを目的にしているようにも思われる。 ミミを見ていると人間はなぜか他人との付き合いが下手に感ずる。ある人は付き合いがゼロである。引きこもりのような性格である。自分の仕事が終わった後は人と交わることはしない。一人で食事をし、話しかけても反応はうすい。こんな人は日本では少なくない、特に異様ではないかも知れない。 ミミは人との出会いを大切にして、癒してくれる。私は朝起き、まずミミをハーグし、水を飲ませてから自分の日課を始める。どうして私がこのように優しくなったのか。それは家内からの影響である。私は元々冷たい人間であろうと思う。しかし変わった。人はイヌによっても人格が変わる。ミミは愛犬、番犬の意味を超えた伴侶であることを実感する。
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