昨日は卒業式で終始した感がする。式前に学長と長く歓談したが、学事のことではない。学長のベトナム旅行から土産もいただき、私の京都での講演など近況を、特に研究会では春画を以て美と性の問題を掘り下げていくことを伝えた。
式場ではいつものように教員席に座った。席は入れ替わりが激しいと思った。式順は定型化されたもの、特に注目したことがあった。古く学縁のある方の博士学位授与である。世界的に形質人類学の権威ある鵜澤宏和教授の指導で韓国の考古学者の金昌億氏が新羅の研究で論文博士学位が授与された。私は副査を務めた。
海辺の平家座屋で昼食をとった。彼は関釜フェリーで来られたが韓国からの観光客で満室、日韓関係の悪さは全く関係ない、政治的なものとは別次元、正常な人間関係、特にアカデミズムなどでは善なる人間関係、何も変わっていない。彼は政治的なことには無関心、聖人のようであった。政治やメディアとは異次元で希望が感じられた。
昌億氏が新羅研究で論文博士学位
007
下関の歴史博物館は常設展が一般的で一度だけになりがちであるが、美術館は訪ねることが多い。昨日は「ゴルゴ13」展を見た。ほぼ知らない007、コミックが展示されている。さいとう氏のインタビューの映像も視た。ゴルゴ半世紀、そしてご自身の画業の軌跡、分業作業の話も印象的であった。「武器庫」から公開されるモデルガンを取って発射ポーズも撮った(写真)。漫画に没頭したことのない私には理解し難い、しかしその影響には注目したい。
今日は地元の文化について郷土史家安冨氏が下関の遊郭文化について語る。どう掘り下げるか、考えている。
東亜大学13号館7階、2時から
「下関・遊郭のうつろい」
下関に住んで十数年、私は余所者か、地元の者かと自問することがある。文化人類学者として私は下関は研究調査のフィールドでもある。すでに日中戦争とシベリア抑留などに関してはインタビューしたものもあり、出版されたものもある。昨朝は古い遊郭だったところが食堂居酒屋となっていると聞いた「まんなおし」を見て写真を撮った。そして東アジア文化研究所主催の研究会のために準備した。読書会のメンバーが中心、地元の知性人の西原、藤川夫婦、孫山夫婦、中村、磯部、田中、広島から中国新聞の編集委員の伊東氏ら20人弱の参加で元下関図書館長の安冨静夫氏(1940)が「下関・遊郭のうつろい」という演題で講演をされた。下関の廓、市の発展と共に駅を向かって東から西へと港町の繁栄と共に移ってきたこと、遊女たちと舞踊協会の会員たちによって歌舞伎や先帝祭が引き継がれ、戦争時にも絶えることなく華麗にして今になった経緯を語ってくださった。
終了後記念写真、私の研究室で長い笑談が続いた。私が慰安婦に関する本で韓国からバッシングを受けた話、それについて韓国の今の政権は問題、変わると良くなるのであろう、在日の人たちは日本が好きで日本に住んでいるという冗談か真談か力強い発言もあった。伊東氏の提案、次は在日の発表を聞きたいと提案が出た。私は大賛成であり、近い内に実行しようと応対した。
園芸センター
春の日和、園芸センターにて散歩。一行は男女5人。桜も蘭も見当たらずただパンージの展示、粗末な市立施設である。でも散策コースとしてはベスト。蓮が半開している。
孔氏に私が花はなぜ奇麗か。蜂のためだろうか。蜂には美覚があるのか。波はなぜ、雲はなぜ…美しい、子供のような愚問を連発したら、彼曰く神様の存在を言い出した。教会では聞けなかったメッセージをここで知り、謙虚になる。
武漢大学での花見
毎年この頃になると桜の話。日中戦争のインタビューを文章化している中に気になる地名の武漢の話がある。現在中国で名を知られる桜の名所である武漢大学の桜の花見に関するものである。武漢を占領した日本軍がキャンパスに28本の桜を植えたのが始まりであるという。1972年の中国と日本の国交回復を機に、日本は1000本の桜の木を贈呈した。今そこで日本人が和服を着て花見をし、中国人に暴行されたという。ネット人たちは暴行した中国人を狭い民族主義者だと非難している。日本人が和服、花などナショナリズムに乗ったのも幼稚である。日本時代の軍港の韓国・鎮海の桜が花見で有名になっている。
英語に失敗
春休み最中であり人影が少ない昨日、田辺氏と川原氏から研究所へ寄贈された本を整理しながら読みたい本を手にした。『絵はがき』と『Memoirs of a Geisha』の2冊。後者の紙の本を読み始めてからキンドルの電子ブックで読むことことにした。文中の知らない単語を指で押すと説明が表れ、辞書などで調べる時間を節約出来て速くて楽しい。言葉の勉強にも大いにプラス。音読の本も多く、外国語の勉強にもよい。なぜ外国語を勉強するのか。人生を楽むためであろう。本能だけでも楽めるが、より広く、深く、長く、楽しむためである。私の新入生へのメッセージでもある。
小学校で英語を教えるという。読み書きが中心な感がしてならない。言葉には「聞き、話し、読み、書き」の四つの基本機能がある。「読み書き」が中心になっているのではないかと心配である。「聞き、話し」は教員や機器、施設などの難点がある。しかしその主点が欠如してはいけない。いち早く始まった韓国の英語の熱狂ブームでもやはりそれが問題である。ある学父兄が小学生の子供の授業参観でショック受けたという投稿がある。英語に失敗した世代なのに、子供たちにも同じように実戦英語ではないので英語恐怖症がでるか、心配であると。
韓国からの50人の留学生
日韓関係の悪さは明確、それは政治家の間だという。民衆の流れを効果的に「治める」のが政治の基礎、英語ではgovern governmentつまり政府である。政治家が信念を押しつけるのは独裁的になるであろう。残念である。その日韓関係の最悪中、昨日港で韓国からの50人の留学生を迎えた。嬉しい。最悪という日韓関係を吹き飛ばせる。彼らは大きなカバンを数個ももってきた。自転車も持ってきた。大型バスと軽トラックでも間に合わなく数回往復する。大学側から鵜澤副学長が対応する。私は歓迎し、写真を撮った。今年の大学ランキングの発表、「教育充実度」や「国際性」の評価の高い京都大学が一位という。私は大学や学科の次元ではなく、少なくとも私の講義ではよい教育をしたい。
「芸者」は芸の者
私の関心は慰安婦から移っていく。昨日の読書会で私は芸者は性を売るのではないかと疑問を投げた。日本では売春婦や慰安婦と違って日本の「芸者」は芸を見せる者であり、セックスは売はらないという言説がある。日本の芸者と類似しているのが中国や韓国の「妓」である。しかし日本の多くの男性が妓生観光をしたのは承知の通りである。それはセックス観光だった。アメリカで日本の芸者を映画化したことに、芸者が売春化されたと日本人は非難する。夫婦には性があるが性を意識することはほぼないように、芸者にもそうであろうか、日本文化としての言説、アイデンティティを持っているのか、その意識を分析してみたい。
ビビンバナショナリズム
韓国で取材活動をしながら長く住んでいる黒田勝弘氏の存在を羨ましく思う時がある。それほどナショナリズムが強い韓国で鋭く苦言を書きながらも多くの韓国人の友人を持っている人柄である。以前彼が韓国の桜切りナショナリズムを批判してメディアからバッシングされたことは私が時々引用したが、今度はビビンバナショナリズムに強烈な批判の話。最新著『韓めし政治学』を読んでいる。「ビビンバがいかに”神格化”されたか」という半行の文、面白い。もっと面白い(?)のはバッシングである。
「殺してやる」「爆破する」「自宅の住所はどこだ」などテロまがいのものを含め脅迫電話がかかり、警察当局が一時、警護にやってきたほどだ。(P295)
親日嫌い、嫌韓排撃、孤独なナショナリズムだけの国になりそう。
愛犬の「人(犬)形」
今日は年度末、日曜日、定年や人事異動も多い。所属集団から離れるか変わる人も多い。私は国も変わって、多く転々として職場を代えてきた。経験や心も大部変わってきた。人との出会いも変わっている。日本には高齢になりひきこもる人も増えていく。人との出会いを大事にすべきである。昨日十年以上の付き合いがあり、韓国から留学生を多く送ってくださる崔鐘星氏から電話、「健康を大事に」という挨拶、嬉しい。教会では「聖徒の交わり」と毎週暗唱する。しかしそれを深く考えることや説教を聞いた覚えはない。軽視されているのか。教会は社交の場ではないという人もいる。聖書と十字架以外には要らない。中世のようである。我が愛犬の「人(犬)形」を作ってくれた人がいる。愛情を感ずる。
「花冷え」
桜の開花ニュースが多いが今日は、「花冷え」である。韓国ではこの寒さを花が咲くのを妬む寒さだというが日本語にもあるのを家内から知らされた。花冷えで花見を長引かせるのか、寒い。室内の花を外に出して心痛くなる。熱帯植物を外に出して心痛くなる。10年間も育てて1メートル以上の観葉植物の アレカヤシを外に出して夜心配となる。愛情であろう。大切にしてくれる貰い手がいたら差し上げたいと思い、倉光氏の病院に寄贈することにした。病院の玄関にでも置いていただければと思っている。蘭も毎年増えている。貰い手を考えている。
辞令を受領
4月1日東亜大学学長から東アジア文化研究所所長の辞令を受領した。感謝である。新元号と共に新しい時代が始まる。留学して日本に居を移して生きる私は留学生に教えることが嬉しい、幸せである。
私は日本人になりきっていない。新年号が決まっても嬉しいという感情は湧いてこない。日本で基礎教育を受けていないからであろうか。韓国でも檀紀という元号が使われたことがあった。西暦に2333を足して使用した不便さを覚えている。すでに使用しなくなっている。西暦だけでも不便ではないのに元号は日本のナショナリズムだろう。
乱読
乱暴な読書をしている。民俗苑出版の『絵葉書から見る近代朝鮮』第6巻「風俗の絵葉書」の解説のために李朝の春画、日本の芸者などの本、キンドルの電子ブック『The Memoirs of a Geisya』から新潮文庫の『さゆり』、『関の廓』『京都のくるわ』など開いて、付箋をつけるなど、ブックマークなどが散乱している中での乱読、しかし焦点はある。それは文章や表現ではなく、思考力への考察、詮索である。世間の妄言でも思考があれば取り扱う。思考について読む。乱読と精読の矛盾なる混乱から考える挑戦の時間である。
結婚主礼
元文学季刊誌『생각과 느낌(思想と感情)』の主幹のノジンファ노진화氏からフェイスブックに投稿されている。嬉しい。今年結婚30周年、それは私が結婚主礼をした人からのメールである。「先生には感謝の挨拶もできませんでしたね。近い内に先生にお目にかかるそんな感謝の瞬間がくるでしょう」が書かれている。思い出される。夫は教え子の金君。年号騒ぎに私の年月、一回だけの人生否、復活、イースター、輪廻、今日新入生の文化体験として座禅が行われる。私も体験したい。
아!
최길성 교수님!
그동안 소원하였습니다.
간간이 교수님 소식은 페북으로 듣고 있었지만 안부 여쭙지 못하여서 죄송합니다.
올해 결혼 30주년을 보내면서 주례 서 주신 교수님께 고마운 인사도 드리지 못하였네요.
저희는 소박하게 별탈없이 지내고 있습니다.
가까운 날에 교수님 얼굴 뵙는
그런 고마운 순간이 오겠지요.
늘 왕성한 저술 활동을 하시는 모습 귀감이십니다.
일본어 쓰기
베스트 셀러도 축하합니다.
건강하십시오.
「引きこもり」
「引きこもり」が100万人とも報じられている。私は統計以前に日本社会が如何にそのような社会であるか、皮膚で感じている。引きこもり、いじめ、自殺、ハラスメント、ヘイトスピーチ、差別などが強調されている、そして迷惑はかけない、妄言叩き、規制、法律を多く作り、蜘蛛の巣のような行動制約がある社会だと常に感じている。「危険な外」に対して「安全な家」になり、引きこもるのは自然であろう。このように多くのネガティブキャンペーンも必要と思われるが、反面逞しい子供教育、防衛的な人格形成がより必要と思う。tvで尾木教育評論家からもそのような話を聞いた覚えがない。虐められて、差別されて、ハラスメントされてもそれを乗り越えていく人格形成の教育が必要である。
私も「杜門不出」まとまった時間が欲しく、春休み読書と執筆を楽しんでいる。これも引きこもりか。昨日櫛田学長と共に功山寺の坐禅に参席させていただいた。私自身、仏教の儀礼や文化体験をしてみたかったからである。一時間動かず正座をして有福先生の説法を聞き、座禅をした。瞑想meditationとも似て異なる。目を閉じない。参加したのは私なりに引きこもりたくないからでもある。町は個人、社会に開かれて、繋がっている。私も研究所で多くのプログラムを作って無料で公開し、社会的な絆を広げようとしている。温かい社会教育が必要であろう。
韓国で大型山火事
日本では地震など数分で報道されることには感謝すべきであろう。韓国で大型山火事から4時間ほど後から報道したと韓国の国営放送が非難されている中、昨夜KBS9時のニュースでは1時間以上東海岸山間の北東部の江原道高城郡での大型山火事について集中的に報道した。私は昔その山間地域を広く調査に歩いたところでもあり、悲惨な状況に心痛くなった。固城市は38度線の以北、今は休戦線の以南ではあるが、火事が北朝鮮へ広がるかと心配したがニュースでは言われなかった。BBCではそでれを懸念する声があった。南北が接しているからである。
EUとUKも高速列車で簡単に往来したがイギリスのEUから離脱BREXIT問題で税関検査などで時間がかかり不評が多く出ている。離脱世論調査と国民投票でイギリス、ウェールズ、スコットランドの地方の意見は著しく異なる。沖縄は日本中央政府と異なる。民主主義を徹底するなら国民国家nation stateは存在しないかもしれない。
花満喫
入学式が20分ほど遅れた。新入生が大幅に増えたのに椅子が足りなかったので椅子を運ぶのに時間がかかった。私は大学が活気を戻せのたということで嬉しかった。多くの教員や学生から声たをかけられた。学父兄席から李牧師が声を掛けてくれた。少子高齢化云々と決り文句があっても私はこのようなグローバル化を嬉しく思っている。次はどう教えるか、教育の質の課題であろう。学長の式辞で「地域に生き、グローバルに考える」「時代のニーズを読み社会の要請に応える大学」「人間教育と、研究を行う大学」と述べられた。そして大学は「温かい人と人との交流がある場所」であると強調した。また「友は一生の財産だ」ともいわれた。式が終わって同僚の金田晉教授が研究所に訪ねて来られ、談笑、彼が私をこの大学に誘って下さった。彼とは二つのの大学で同僚、友となって二十数年になっている。家内と火の山公園の花見に行った。花満喫。
「子供にとっては日本が良い」
「欲望が麻薬」「死なないと生けない」との重いメッセージの後、もっと重い話。教会の玄関で花見の話から私が日本が住み良いかと…、在日の長老が「韓国が良いだろう」と。最近韓国から幼児を連れて来られて半年ほど住んでいる若奥さんが生活体験談として「子供にとっては日本が良い」と言った。それに在日の長老は北朝鮮に対置している韓国で民族教育を受けさせなければならないと一喝。説教より重い話。また韓国から来られて住んでいる長老は「韓国の教育は問題がある」と。数分間の立ち話が国際教育シンポのように感じた。
出会い
新学期の講義が始まる。立ち停まって教育とは何か、新たに考える。出会いである。強く教えると洗脳と言われる。しないと原始野蛮になろうと。教育の始まりは出会い、先生と学生が会うことである。さまざまな出会いがある。私は家内に会って、大きく変わっている。それも教育であろう。はじめに家内が犬をかわいがるのを見て迷惑だと思った。しかし、だんだだん私も犬が好きになった。いま本気でミミが好きになった。そして人格が変わった。人や生物を本気で愛するようになった。老犬ミミが一刻でも長く生きるように願っている。玩具や番犬などから伴侶になっていく。貴重な恵みをいただいている。
渋沢栄一
私は植民地朝鮮の映像や記録を日韓両国に紹介したことがあるが、その中心人物が渋沢敬三である。昨日敬三の祖父の渋沢栄一氏が新しい紙幣画像に顔写真が載ると発表された。韓国では日本の近代化、資本主義による朝鮮侵略の中心人物だと猛批判している。伊藤博文の写真にも強い抵抗があったように。私は叫びたい。
「韓国よ、植民地から解放されよ、独立してくれ」
日韓については歴史を冷静に語れない「敵関係」であるのは残念である。
今、新たに思い出す。その一家の勤勉と遊蕩の興亡が描かれている佐野賢治氏の本が面白い。数年前神奈川大学でのシンポの時渋沢系の子孫たちに会ったこともある。敬三は祖父栄一から当時最新ムビーカメラをプレゼントされて、貴重な映像を多く残している。中には1936年韓国の蔚山、西海諸島での民俗の映像記録を残したのは貴重なものである。私はそれをいろんな機会に紹介し、映像は『甦る民俗映像』(岩波書店)、記録は『1930年代の西海島嶼民俗』(崔吉城訳、韓国語)に記録されている。