元少年Aの『絶歌』を読んだ。作者は誰だろうか、編集者か、代書者か、あるいは14歳の少年が書いたものか。思春期の「精通」などの体験、成長期に起こる現象と好奇心の変節など動物的であり、人間性を悟って成長していく過程で、殺人をしてしまったのである。読み始めてから14歳の犯人が書いたものではなく、彼が少年院で20余年間を経て、そして釈放されて社会生活10余年の中年になって書いたものである。作者は14歳で犯罪を犯した人ではであっても、それとは変わった他者のような人物である。しかし彼の人生は思春期の犯罪の罪意識から離れ抜けることはできない。そしてこの本が出版されたのである。彼は教導、刑務によって変わった。彼は当時の人格とは変わった別人である。しかし被害者にとって彼の人格は変わっていない。被害者と世間は変わらない。忘れない。赦せない。
われわれは自分自身に戻って考えると自分は変わっても他人や世間はなかなか変わったことを認めてくれない経験を持っているはずである。ニュースには犯罪を売り物にするのか。罪は許せいないという正論であった。犯行を売り物にしている出版が許されるのかという批判もあった。汚職など汚い政治の話を売りものにしているようなものもあるではないかという意見もあった。この本は売れている。犯行と罰は法律によって行うべきであり、言論は統制すべきではないと思う。人はそれぞれ罪を持っている。赦されて生きているのである。「原罪」で彼は思春期の性欲倒錯に触れている。それは聖書がいうような事なのか、異なるものなのか不明瞭なことばが続く。一読を勧める。