2週間ほど校正に大部時間を費した。近刊となる本に共同執筆者として論文を書いたものである。文を書く時は文や思索の流れに沿って書き走るので文献や参考資料を気にしない。後に校正が煩雑になるのが私の書き方である。この度の論文の要点は植民地時代の日本人の朝鮮研究が戦後どのように評価され、継承されたかに関するものである。校正の中で県立広島大学の上水流久彦さんから「これもとても貴重な話ですね。驚きました」といわれた。なぜであろうか。私の恩師のこと、私事でもある。私の恩師の任晳宰先生が一九三八 年朝鮮総督府機関誌『朝鮮』に寄稿した「朝鮮の説話」を真木琳というペンネームで書いたことである。誰も知らない私の恩師任晳宰先生の当時の筆名が真木(任せるの意味の音読み、家族も知らない)名前の琳であった。私が先生に文化人類学を教えていただいた1960年代に聞いて後に確認することが出来た。しかし反日感情が強いので発表を控えてきた。先生の論文の冒頭に「恩師秋葉教授」と記しており、私はその恩師の弟子である。