下川 正晴氏が拙著『帝国日本の植民地を歩く』(花乱社)を読み始めたと言いながら感想を投稿してくださった。抜粋してみる。
韓国の「反日」を、辺境から、考える!!!
「反日だ、親日だと言われ、時には『日韓の架け橋』とも言われた」人物である。そのアンビバレンツな立ち位置が、民族感情の形成史研究を平衡感覚のあるものにした。
文末にサハリン在住の韓国人のコメントが載っている。「日本がそのまま支配していれば、大金持ちになっていたのに」と言ったというのである。
MBCテレビの女性レポーターが、独島(竹島)問題取材のために鬱陵島に出かけて、島民をインタビューした。すると、ある老女が「鬱陵島もそのまま日本領土だったら、もっと発展していただろうに」と言ったのだという。もちろん、彼女はその話を放送しなかった。笑笑
当時私はサハリンの北の町で朝鮮人たちが討論する現場で聞いていた。日本時代、ソ連時代、ロシア時代を比べると日本時代が一番良かったという意見が多かった。ある青年が突然私に意見を求めた。調査者としては意見を出さないのが良いと思い黙っていた。ただロシアに高麗人(韓国人)が存在することは国際的に貴重だと言った。そうしたら「貴方だけ日本のような良い国に住んで、私たちはロシアに住むべきか」と激しく反論された。
昨日1999年8月29日、サハリンでの初日に調査に歩いたところ、共同墓地、学校、花、誕生日パーティなどを撮った自作ビデーオを長く見た。少人数のロシア人を含め30余人が集まって乾杯、食事、雑談、演奏、歌、二人組のダンスから群舞、そしてクライマックスへ至るノーカット場面がリアルに映っていた。彼等の他郷暮らしの悲しさを感じていたが、見ている内に私自身の悲しに変った。それは他郷暮らしの感情ではない。私自身、酒を飲めず、酒宴など社交の場を避けて、娯楽を知らない人生、それは多くの楽しみを放棄した私の人生である。ただ研究が私の最後、唯一の砦である。しかしそれも非難されることがあり、悲しい。