植民地統治下にあった台湾、満州、東南アジアのパラオ、フィリピン、さらにはイギリスの植民地であったアイルランド、シンガポール、南アフリ力などを訪れ、調査•見聞、思索したことをエツセイ風に記している。著者は文化人類学の領域から日本統治下の植民地朝鮮の研究を進めるなかで、戦後の韓国における反日感情について考察 してきた。「旅ノー卜」は、それを世界の植民地支配との比較でとらえる作業でもある。これらの国では、旧宗主国への反感は一般的に共通通するが、とくに韓国の反日感情の強さが際だっている。
著者は、敗戦で朝鮮から引き揚げた日本人の少なからずが「韓国人と仲良くつきあったが、日本が負けたらすぐ、それまで仲良くしていた韓国人たちが急にひどい人間に変わった」「喜んで万歳を叫ぶ韓国人たちを見て衝撃を受けた」と語っていることを明らかにしている。日本人が受け止めたこうした青天の霹靂は、当時の朝鮮が独立を踏みにじられた植民地であることを意識できないことから中には、韓国人が裏切ったように感じ、「今度会ったときは、ただではすまさんぞ!覚えておけ」と、恫喝して引き揚げた者もいたという。
戦後の日本為政者やメディアは、こうした植民地朝鮮を見下す意識を清算しないままできた。そのため、その残滓は国民のなかにも存在している。そのもとで、韓国の民衆のなかには、日本がいつまた同じ態度で侵略 するかも知れないという疑念を払拭できないできたといえる。韓国民衆のなかに歴史的に蓄積されたこうした感情は、これ までも教科書問題や靖国参拝問題、さらには自衛隊の入港などをめぐっても表面化してきた。
著者はこれに関連して、日本の為政者は敗戦したが「敗北」を認めてこなかったことに着目し、本来なら敗戦は「社会を根本的に変える」ことなのだが、そうならなかったと指摘している。それは、「大量虐殺した原爆を投下したアメリと被曝した日本が今、北朝鮮の核問題に直面し、それぞれ思いは違うであろうが足並みをそろえているという。
韓国においても、八月一五日は「解放記念日」だが、それを期して「独立した」とはいえず、新たな民族的な抑圧のもとに置かれた事実を「重く受けとめる必要性」を強 調している。それは植民地から解放された後、「戦後指導者たち、南北の民族分断を固め、朝鮮戦争、独裁軍事政権への暗黒の道を辿る」ことになったが、「(韓国は)反独裁民主化によって独立への道を歩ん」できたからである。
伊薄文を暗殺した安重根は、日本では殺人者として処刑されたが、韓国では抗日独立戦争にお ける義士として英雄視されている。これと関わって、アイルランドの独立 運動家•ケースメントや、フィリピンで「独立運動の父」と称賛されるホセ•リサールについて、 それぞれ宗主国イギリス やスペインからは反逆者とされ、大逆罪で処刑さ れた事情に迫っている。
著者は、韓国の「反日」感情の源泉は植民地統治にあるが、植民地支配下の「抗日」とは区別された戦後のものであり、それは韓国国民が民族的に統合して「親日派を処断し、種を絶たねばならない」という愛国主義的な意識だと指摘する。また、「反日」という言葉は直接日本や日本人を指す言葉でもなく、おもには韓国内の親日派に向けられたものだとものべている。
さらに中国では教科書などで、日中戦争当時の占領者、日本軍国主義者と現在の日本人を、政府と国民を区別するようにしているが、「韓国ではそのような区別がうまくいっていない」とも提起している。この点は、最近の徴用工問題をめぐる韓国の民衆運動が「反日ではなく反安倍」を掲げ、為政者と民衆を区別する様相を明確に示して いることともあわせて、深める必要があるように思われる。(「長周新聞」2019.10.14)